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ベルリン紀行(3)
森鴎外の足跡
フンボルト大学近くの下宿

青山貞一・池田こみち
Allright Reserved  転載禁
 
       

(1)ドレスデン:ザクセン王国の栄華を見る
 
(2):ベルリンの壁に触れる
(3):森鴎外の足跡 
(4):アレクサンダープラッツ
(5):ブランデンブルグ門 
(6):ベルリン大聖堂
(7):シュプレー川下り
(9)「くま」

ベルリン動物公園

 森鴎外が1887年、旧帝国陸軍の軍医として衛生学を学びにベルリンに留学したこと、近くにあるフンボルト大学に通っていたことはよく知られている。

  ※森鴎外の略歴、作家としての作品

 フリードリッヒ通りに近い鴎外の下宿を訪ねてみた。一回目はベルリンに着いた翌日の土曜日の早朝に訪問した。森鴎外記念館は土日休館、また普段の日も午前10時から開館とのことで、残念ながらなかに入れなかった。そこで国際学会の昼休みが毎日2時間あるので、昼休みに再度でかけた。

 場所は、有名なウンター・デン・リンデン駅かフリードリッヒ通り駅からルイーゼン通りに向け10分足らずのところにある。2度出かけたが、この辺はほとんど人通りがなかった。ベルリン官庁街の裏と言う場所であり、ドイツが東西に分断統治されていたときは、東独、東ベルリンに属している。

 もっぱら、森鴎外記念館は、鴎外の下宿部屋を中心に、いくつかの部屋で鴎外関連の各種展示があり、事務所兼研究室的な部屋があり、女性スタッフと女性の責任者が常駐しているようだ。管理は鴎外が通ったフンボルト大学日本学科が行っており、同大学のゼミも行われていると言う。現在もフンボルト大学が管理しているかどうかは不明。
 
鴎外記念館の入り口ドア 入り口にある呼び鈴これを押すとドアが開く
森鴎外が下宿していたビル、現在、この内部に森鴎外記念館がある

 もっぱら、森鴎外記念館は、鴎外の下宿部屋を中心に、いくつかの部屋で鴎外関連の各種展示があり、事務所兼研究室的な部屋があり、女性スタッフと女性の責任者が常駐しているようだ。管理は鴎外が通ったフンボルト大学日本学科が行っており、同大学のゼミも行われていると言う。 

近くにあるフンボルト大学の修復現場にて フンボルト大学の一部、何しろ古い

 ところで、森鴎外が留学し一時期通ったドイツのフンボルト大学について簡単に述べる。

 ドイツ・ベルリンにはフンボルト大学ベルリン自由大学ベルリン工科大学の3つの大学がある。今回私たちが国際学会で参加したのはベルリン工科大学である。

 フンボルト大学は旧東独の東ベルリンにある大学であり、他の2大学、すなわちベルリン自由大学とベルリン工科大学は旧西独の西ベルリンにある大学である。フンボルト大学の歴史は約200年である。ドイツには600年以上の歴史をもつハイデルベルグ大学がある。戦前ベルリン大学と呼ばれていたのはフンボルト大学のことである。

 潮木守一氏(教育社会学:桜美林大学教授)は、フンボルト大学設立の理念を氏の論考の中で次のように述べている。

「もともと、このフンボルト大学は1810年ベルリン大学という名称で誕生した。この大学の設立構想に大きな影響力を発揮したのが、政治家、哲学者ウィルヘルム・フォン・フンボルトと自然科学者アレキサンダー・フォン・フンボルトである。この大学の正門にこの兄弟の銅像が立っているのは、このためである。彼らがこの新大学の構想を練る頃、世界では科学上の新発見が相次ぐとともに、アメリカの独立、フランス革命と、人類史を揺るがすような大変動がおこっていた。彼らはこうした時代の激動を前にして、人間の最後の拠り所は、人間自身の知性だけだと悟った。だからベルリン大学の基本理念は「知性の使い方を訓練する」ことだった。「啓蒙」、これがその時代の合言葉だったが、この言葉のもともとの意味は「目を開く」ということである。そうした彼らの銅像が、200年を経て、黒帯で目隠しされることとなった」

注)上記にある「啓蒙」の蒙は現在わが国では差別用語とされておりますが、ここでは原典のままとする。

 このフンボルト大学本館玄関の正面にはカール・マルクスの次に有名な言葉が掲げられている。すなわち「哲学者は世の中をいろいろ解釈してきたが、問題は何をするか、変革だ」と。マルクスのこの言葉は、現代でもそのままあてはまるだろう。学者があれこれ世界を社会を解釈し、他方、実社会に組み込まれているなかで、肝心な社会変革がなおざりになっているからである。
 
 実際に鴎外がフンボルト大学に通っていた期間は数ヶ月と短かったようだが、フンボルト大学や下宿先の周辺は、ブランデンブルグ門、連邦議会はじめ戦前、戦後を通じドイツの政治、行政の中心となっている。おそらく19世紀後半にこの地に留学した鴎外は、肌身でドイツの医科学のみでなく、政治や行政を目の当たりに肌で感じたに違いない。

 以下は森鴎外の下宿である。ご覧になれば分かるように、非常に鴎外は質素な生活をしていたことが伺える。

鴎外が下宿で使っていた机 鴎外が下宿で使っていたベッド
鴎外が下宿で使っていた食事机 鴎外記念館から通りへ通ずる廊下

(1)ドレスデン:ザクセン王国の栄華を見る 
(2):ベルリンの壁に触れる
(3):森鴎外の足跡 
(4):アレクサンダープラッツ
(5):ブランデンブルグ門 
(6):ベルリン大聖堂
(7):シュプレー川下り
(9)「くま」

ベルリン動物公園