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ベルリン紀行(5)
ブランデンブルグ門
〜東西ベルリンの接点〜

青山貞一・池田こみち

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 ベルリンと言えばブランデンブルグ門、ブランデンブルグ門と言えばベルリンと、ベルリンに来たらブランデンブルグ門を見ないわけには行かない。

 到着翌日の土曜の朝、ベルリン工科大学にほど近い動物公園駅からポツダマープラッツまでU2の地下鉄で行く。そこで一端地上に出てからSバーンに乗り換える。ひと駅、ウンター・デン・リンデン駅で下車。地下から地上に出るとブランデンブルグ門が見えた。

ウンターリンデン駅側から見た早朝のブランデンブルグ門

  ※ブランデンブルグ門:
   1788−1794年にかけ建築家ラングハンスがアテネ神殿を手本に
   建造したもの。ドイツ古典主義建築の代表的建築物。第2次大戦で全壊。
   1957年及び1990年に復元される。


  ※ ブランデンブルグ門の夜景1
     ブランデンブルグ門の夜景2
     ブランデンブルグ門の夜景3

 ブランデルグ門は、1791年、プロイセン王国の凱旋門として建てられたそうだ。門の上には4頭立て騎馬に乗っているのは勝利の女神ビクトリアである。

 冷戦構造の崩壊の象徴でもあるベルリンの壁はこのブランデンブルグ門の前を通っていたと言う意味で、ベルリン市民にとって、この門は生死の境界線上にあったことになる。

 ベルリンの壁崩壊後、東西ドイツが統合した時、テレビがブランデングルグ門前に広がるティアガーデン(動物の庭)に結集した数十万人の歓喜にむせぶベルリン市民を世界中に放映したのは、私たちの記憶にしっかりと焼き付いている。

ブランデンブルグ門前の解説にあったかつてのブランデンブルグ門の絵と写真
壁崩壊後、壁の上に乗るベルリン市民 壁の歴史を伝える掲示板

 東西統合後のベルリンは、このブランデンブルグ門を核としている。下の写真(左)は、ブランデンブルグ門から西に向けティアガーデンを経由し、動物公園に至る、いわゆる6月17日通りである。

 一方、写真(右)はブランデンブルグ門から東に向かう通りである。この6月17日通りを西に行くとベルリン工科大学があるロイタープラッツに出会う。真ん中に見える白い建物は、現在、東西統一後のドイツ連邦議会議事堂である。

いわゆる6月17日通り ブランデンブルグ門から連邦議会を臨む

 ブランデンブルグ門からほんのちょっと東に行ったところに連邦議事堂がある。1933年ナチスの陰謀で消失した議事堂は東西ドイツ統合後8年の歳月をかけ大改築された。さらに1999年のベルリンへの東西ドイツ首都移転後、現在の連邦国会議事堂となっている。

 この連邦議事堂ではその後、焼け落ちた部分にガラスのドームで覆った。これについて浅田彰氏は、「ベルリン:記憶の政治学」の中で次のように述べている。

 すなわち「ベルリンという都市は、遷都に伴うバブルのなかで、無惨な変貌を遂げつつある。旧帝国議会に連邦議会が移ってくるのに際して、焼け落ちたままだったドームをノーマン・フォスターがカラスのドームに作り替えたのだが、民主主義的な透明性をリテラルに表現しようという意図は伝わってくるものの、建築的にはいかにもとってつけたような印象を免れない。」

 
ポツダマープラッツ周辺では、連邦議事堂に限らず、隣の連邦議会事務局ビル、それにソニーセンタービル群など、ベルリンの歴史と無縁な商業主義的な近代ビルが続々建築されている。


 連邦議事堂のガラス張りのドーム

ベルリンの壁に書かれた連邦議事堂

 ベルリンではブランデンブルグ門とともに、連邦議事堂が東西ドイツ統一の大きな象徴となっていることは間違いない。議事堂への入場は無料だが、入場者が多く最低30分は待たされる。
 
連邦国会議事堂に入場する団体客 連邦国会議事堂
議事堂の隣にある議会事務棟
手前の川はベルリンを横断するシュプレー川
議事堂近くのビルに残る弾痕