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再短訪 鎌倉
日蓮の足跡をたどる鎌倉の旅
日蓮辻説法跡

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
January 21, 2022
Independent Media E-wave Tokyo


日蓮上人辻説法跡 撮影;青山貞一 Nikon Coolpix S9900

日蓮の足跡をたどる鎌倉の旅 2022-1-21
はじめに   安国論寺1   安国論寺2   安国論寺 南面窟 
妙法寺1   妙法寺2  妙本寺1   妙本寺2   妙本寺3
比企一族供養塔  蛇苦止堂   本覚寺   えびす堂 
日蓮辻説法跡   光則寺  日朗土牢  雨乞伝説・霊光寺

アクセス

 日蓮上人辻説法跡は鎌倉市大町2-22-1にあり、以下の立体地図にあるように、小町大路に面している。周辺には三井のリパークなどいくつかの駐車場がある。


日蓮上人辻説法跡の周辺図     住所:鎌倉市大町2-22-1


概要

 1253年に鎌倉へと入った日蓮は、1274年5月12日身延へと向かう21年の間、伊豆流罪などを経つつも鎌倉にて布教活動を行った。

 鎌倉では各所で説法を行ったため、辻説法跡はいくつかあり、そのひとつがここ小町の日蓮上人辻説法跡である。 出典:鎌倉タイムズ

 小町のこの辺りは武家の屋敷と商家町が混在していたといわれており、毎日のようにこの辺りにて説法が行われたと伝えられている。
 
 日蓮の辻説法は著名であり、神奈川県鎌倉市の小町大路(小路)の2箇所に、辻説法跡の記念碑が建てられている(大町の本興寺門前、及び小町2丁目)。




日蓮上人辻説法跡の概要

 日蓮上人辻説法跡は、鎌倉市にある名所旧跡である。日蓮上人辻説法跡は、日蓮上人が鎌倉松葉ケ谷に結んだ草庵から、執権北條氏の邸宅や高札場などが立ち並んでいた当地周辺にやってきて法華経の功徳を説く辻説法を行なった地と伝えられている。

日蓮上人辻説法跡
日蓮上人辻説法跡の概要
名称 日蓮上人辻説法跡

日蓮上人辻説法跡碑日蓮上人辻説法跡碑
日蓮上人辻説法跡の由緒

 日蓮上人辻説法跡は、日蓮上人が鎌倉松葉ケ谷に結んだ草庵から、執権北條氏の邸宅や高札場などが立ち並んでいた当地周辺にやってきて法華経の功徳を説く辻説法を行なった地と伝えられている。

 境内石碑による日蓮上人辻説法跡について

日蓮上人辻説法跡

 日蓮上人は建長五年(一二五三)安房(千葉県)から鎌倉に来て、松葉ケ谷(現在の長勝寺、安国論寺の辺り)に草庵を結んだ。

 鎌倉時代、この辺りは武士の屋敷と商家町が混在した地域と考えられ、毎日のようにこの辺りを訪れて、法華経の功徳を説く辻説法を行ったと伝えられている。

 文応元年(一二六〇)、五代執権・北条時頼に提出した『立正安国論』が原因で、松葉ケ谷の草庵は焼き討ちされた。(鎌倉市掲示より)


日蓮上人辻説法跡全景 撮影;青山貞一 Nikon Coolpix S9900


日蓮上人辻説法跡 撮影;青山貞一 Nikon Coolpix S9900


日蓮上人辻説法跡 撮影;青山貞一 Nikon Coolpix S9900


日蓮上人辻説法跡 撮影;青山貞一 Nikon Coolpix S9900


光則寺へつづく