エントランスへはここをクリック   

再短訪 鎌倉
日蓮の足跡をたどる鎌倉の旅
長興山・妙本寺1

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
January 21, 2022
Independent Media E-wave Tokyo

撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 鎌倉妙本寺 2022-1-21

日蓮の足跡をたどる鎌倉の旅 2022-1-21
はじめに   安国論寺1   安国論寺2   安国論寺 南面窟 
妙法寺1   妙法寺2  妙本寺1   妙本寺2   妙本寺3
比企一族供養塔  蛇苦止堂   本覚寺   えびす堂 
日蓮辻説法跡   光則寺  日朗土牢  雨乞伝説・霊光寺

アクセス

 妙法寺の後は妙本寺(みょうほんじ)である。妙本寺は妙法寺同様、神奈川県鎌倉市大町にあり、日蓮宗の本山(霊跡寺院)、山号は長興山である。

 私達は以下のグーグルマップにあるように妙法寺から妙本寺は車で4分だったが、歩いても11分程度である。


出典:グーグルマップ

 妙本寺の創建は古く、以下にあるように日蓮自身により文応元年、1260年に開山されている非常に由緒ある寺院である。

 以下は妙本寺の全体概要である。

出典:Wikipedia

 下は妙本寺の境内案内図である。

 私達は車をTimesの駐車場に置き、総門→方丈門→本堂→鐘楼→二天文→日蓮上人立像→水屋→祖師堂の順で歩き参拝した。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 以下はj妙本寺の総門である。この反対側の参道をもどると本覚寺、えびす堂に到達する。


妙本寺の総門
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 これも総門である。右手に少し見えるのは本妙寺が経営する幼稚園である。


妙本寺の総門
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 以下が本妙寺が経営する幼稚園の全景である。他宗派でも多くの寺院はは地域で幼稚園を経営している事が多い。


妙本寺が経営する幼稚園
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

総門(そうもん)  出典:妙法寺公式Web

 比企谷幼稚園児の元気な声がいつも聞こえる園舎の横に建つのが、妙本寺境内の入口、総門である。現存する総門は大正12年(1923)9月1日の関東大震災で倒壊したものを大正14年に再興した門である。

 時の司務職第67世田中日肝聖人(住職は池上本門寺第71世日筵聖人)は生来病身であったたが、愛山護法の信念に支えられて、寺域整備、山内植樹、堂宇営繕に努められた。

 また、総門前の石塔は天明5年(1785年)に現在の場所に移転されたもので、本来は境内の祖師堂前にあったものである。石塔に刻まれている文字は第二十五世守玄院日聖人の筆蹟であり、ここが宗門最初の寺院であるという意味である。

 「賜紫」とは江戸時代、徳川将軍家から紫色の衣の着用の許しをもらったことを意味します。因みに、古くは僧侶の紫衣着用には朝廷の許可が必要でした。また、余談だが、当時の記録などを見ると紫衣の紫は深い紫色で「あずき色」に近かったようである。


 しばらく歩くと、以下の方丈門がある。


妙本寺の方丈門
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

◆方丈門(ほうじょうもん)   出典:妙法寺公式Web

 この門をくぐって60段ほどの石段を上ると、本堂、寺務所がある。方丈門付近では、サルスベリ、酔芙蓉、ツツジなど、四季折々の花が迎えてくれる。石段の両脇には紫陽花があり、6~7月に見頃を迎える。

 方丈門を登っていくと途中に美しい藪椿が咲いていた。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900

 このあと多数の石階段があるが手すりがあるので安全だ。


妙本寺の石段
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 石段を登りきると左手に2つの伽藍がある。二つ目が以下の写真にある妙本寺の本堂だ。


妙本寺の本堂
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900




妙本寺の本堂
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

本堂(ほんどう)   出典:妙法寺公式Web

 本堂とは、本尊を安置するお堂の総称である。現存の本堂は昭和6年、第75世 日雅聖人の代に建立された建物である。正面に久遠実成の本師釈迦牟尼佛を、その両脇には末法の世における法華経流布を誓われた本化の四菩薩(上行・無辺行・浄行・安立行)を安置し、その前に末法の世の導師であり、日蓮宗の開祖であり日蓮聖人の座像を安置する。

 また、正面脇には法華経行者守護を誓われた鬼子母神・十羅刹女・徳叉迦を祀る。正面の釈迦像は蓮台(蓮の花弁の台座)に坐し、法界定印(手を重ね、両手の親指を付ける)を結び、宝冠をつけたやさしいお顔の像である。

 そして、釈迦像の背銘を見ると、延宝5年(1677年)、第22世日玄聖人の代に中川佐渡守久恒が大願主となってつくられたことがわかる。中川佐渡守久恒は豊後岡藩(現在の大分県)の第4代藩主であり、長寿院妙応日慶霊位の菩提を弔うためにこの釈迦像を造立している。また、4月8日には桜や海棠が咲きほころぶ中、お釈迦様の誕生を祝う花祭り法要が本堂前にて行われ、参詣者に甘茶が振る舞われる。


妙本寺2へつづく