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日本と中国の歴史をひも解くシリーズ

A級戦犯
Wikipedia 日本語、Wikimedi Comons

独立系メディア E-wave Tokyo 2022年1月5日
 

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本文

 A級戦犯(英語: Class-A war criminal)は、 第二次世界大戦に勝利した連合国によって行われた枢軸国側の戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判と極東国際軍事裁判の被告に対する呼称。戦犯は戦争犯罪人の略である。

 ドイツの降伏後の1945年8月8日にイギリス、フランス、アメリカ合衆国、ソビエト連邦の4ヵ国が調印した国際軍事裁判所憲章では、通例の戦争犯罪に加えて、平和に対する罪と人道に対する罪が新たに規定された。

 国際軍事裁判所憲章では、a.平和に対する罪、b.(通例の)戦争犯罪、c.人道に対する罪の3つが英語原文でabc順になっているため、項目aの平和に対する罪で訴追された者を「A級戦犯」、項目b、項目cで訴追されたものをそれぞれB級戦犯、C級戦犯と呼ぶ。日本はそのほとんどがB級戦犯であった。

 なお、上記のようにA,B,Cは戦争犯罪の分類であるが、A級戦犯で起訴された28名のうち7名が死刑となった。


逮捕までの経緯

 1945年(昭和20年)7月26日、ポツダム会談での合意に基づいて連合国を構成する国のうちイギリス、アメリカ、中華民国の3国により、大日本帝国に対して13か条から成る降伏勧告「ポツダム宣言」が発せられた。第10項の中に「我らの俘虜(捕虜)を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰が加えられるであろう」とある。

 戦犯の逮捕は連合国軍最高司令官から終戦連絡中央事務局を通じて日本政府に通達され、本人には連合国軍の中でも最初に東京に駐留を開始したアメリカ軍の第8憲兵司令部への出頭命令という形で伝達され、100名をゆうに超える逮捕者を出した。なお、出頭命令を受ける前に杉山元は9月12日に自殺している(第二次戦犯指名リストには掲載されていた)。下記のA級戦犯容疑での逮捕者は計126名(5名は逮捕・出頭前に自殺)。

 また、アメリカの植民地であるフィリピンでの行為は、アメリカ軍が管理するマニラ軍事法廷で裁かれたため、フィリピンで捕虜にならず帰国していた者は日本で逮捕後、マニラへ送還された。ドイツ大使館付警察武官のヨーゼフ・マイジンガーは、前任地のポーランドでの行為が罪に問われたため、逮捕後ワルシャワに送還された。


戦犯容疑者

第一次戦犯指名


 1945年(昭和20年)9月11日に逮捕命令(計14名)。逮捕されたのは主に東條内閣閣僚。

・東條英機
・東郷茂徳
・嶋田繁太郎
・賀屋興宣
・鈴木貞一
・岸信介
・岩村通世
・小泉親彦(9月13日に自殺)
・橋田邦彦(9月14日に自殺)
・井野碩哉
・村田省蔵
・寺島健
・上田良武

 1945年9月21日に逮捕命令(2名)。

・土肥原賢二、阿部信行
1945年10月22日に逮捕命令(1名)。

・安倍源基

第二次戦犯指名

 1945年11月19日に逮捕命令(11名)。主要な大臣や軍上層部など。

・荒木貞夫
・小磯国昭
・松岡洋右
・松井石根
・南次郎
・白鳥敏夫
・本庄繁(11月20日に自殺)
・鹿子木員信
・久原房之助
・葛生能久
・真崎甚三郎

第三次戦犯指名

 1945年12月2日に逮捕命令(59名)。軍の高官だけでなく、政財界に広く逮捕者。

・畑俊六
・平沼騏一郎
・広田弘毅
・星野直樹
・大川周明
・佐藤賢了
・鮎川義介
・天羽英二
・安藤紀三郎
・青木一男
・有馬頼寧
・藤原銀次郎
・古野伊之助
・郷古潔
・後藤文夫
・秦彦三郎
・本多熊太郎
・井田磐楠
・池田成彬
・池崎忠孝
・石田乙五郎
・石原広一郎
・上砂勝七
・河辺正三
・菊池武夫
・木下栄市
・小林順一郎
・小林躋造
・児玉誉士夫
・松阪広政
・水野錬太郎
・牟田口廉也
・長友次男
・中島知久平
・中村明人
・梨本宮守正王
・西尾寿造
・納見敏郎(12月13日に自決)
・岡部長景
・大倉邦彦
・大野広一
・太田耕造
・太田正孝
・桜井兵五郎
・笹川良一
・下村宏
・進藤一馬
・塩野季彦
・四王天延孝
・正力松太郎
・多田駿
・高橋三吉
・高地茂都
・谷正之
・徳富猪一郎
・豊田副武
・津田信吾
・後宮淳
・横山雄偉

第四次戦犯指名

 1945年12月6日に逮捕命令(9名)。国際検察局(IPS)が追加逮捕。

・木戸幸一
・大島浩
・近衛文麿(12月16日に自殺)
・酒井忠正
・大河内正敏
・緒方竹虎
・大達茂雄
・伍堂卓雄
・須磨弥吉郎

 1946年(昭和21年)3月16日に逮捕命令(1名)

・永野修身
1946年4月7日に逮捕命令(1名)

・岡敬純
1946年4月29日に逮捕命令(2名)

・梅津美治郎
・重光葵

 1946年11月5日に逮捕命令(1名)

・長谷川清

その他

 板垣征四郎、木村兵太郎、武藤章は外地で逮捕。橋本欣五郎は国内で単独で逮捕(都合4名)。

BC級、外国人戦犯

 1945年9月11日に逮捕命令(計26名)。逮捕されたのは本来はA級戦犯とは関係のない、フィリピン方面の軍関係者や人体実験関係者、捕虜収容所関係者などのBC級戦犯。

本間雅晴(B級戦犯)、黒田重徳(B級戦犯)、長浜彰(B級戦犯)、太田清一(B級戦犯)、鈴木薫二(BC級戦犯)、徳田久吉(BC級戦犯)、飛田時雄(C級戦犯)、長内茂(C級戦犯)、三浦宗一(C級戦犯)、竹内寛(BC級戦犯)、ジェームズ・W・佐々木/佐々木薫一(BC級戦犯)

外国人戦犯

 1945年9月11日に逮捕命令(15名)。

・テインマウン(駐日ビルマ国大使)、
・アウンサン(ビルマ大使館付陸軍武官、ビルマ独立軍組織者)

・ホセ・ラウレル(日本占領下で独立したフィリピン大統領)、
・ベニグノ・アキノ・シニア(フィリピン国民会議議長)、
・ホルヘ・バルガス(駐日フィリピン大使)

・ルアン・ウィチットワカタン(駐日タイ大使)

・マヘンドラ・プラタップ(インド独立運動家、インド臨時政府大統領)

・ハインリヒ・スターマー(駐日ドイツ国大使)、
・アルフレート・クレッチマー(ドイツ大使館付武官・陸軍中将)、
・ヨーゼフ・マイジンガー(ドイツ大使館付警察武官、逮捕後ポーランドに移送)

・ウィレム・ジョシアス・ヴァン・ディユンスト(ラジオ東京・オランダ語放送員)、
・リリー・アベック(ドイツ紙「フランクフルター・ツァイトゥング紙」記者。ラジオ東京・ドイツ語放送員、スイス人)、
・チャールズ・カスンズ(ラジオ東京・オーストラリア人放送員・オーストラリア軍少佐時に日本軍の捕虜となる)、
・マーク・ルイス・ストリーター(ラジオ東京・英語原稿係・ウェーク島で捕虜となったアメリカ人、文民。)

・ジョン・ホランド(上海にあるドイツの放送局XGRSのオーストラリア人放送員。日本の現地放送局にも勤務。)


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