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日本と中国の歴史をひも解くシリーズ
「南京大虐殺」に詳細資料
独外交官の報告発見
旧東独公文書館
「身の毛もよだつ」

出典:朝日新聞 1990年12月18日

独立系メディア E-wave Tokyo 2021年10月23日
 
独立系メディア E-wave Tokyo 2023年10月21日 
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 【ボン17日=共同】昭和12年(1937年)12月13日に旧日本軍が中国・南京に入城した際に起きたいわゆる「南京大虐殺事件」に関するドイツ外交官の現地からの詳細な報告文書が旧東ドイツ国立中央公文書館(現在、ドイツ連邦公文書館ポツダム支所)に保存されていることが分かり、このほどそのコピーを入手した。

 文書は当時、南京にいたドイツ人やその他の外国人が直接見聞した事実に基づいて、旧日本軍の行動を「グロイエルターテン(Greueltaten、残虐行為)(38年1月15日報告)と表現、日本兵が市内で多数の無抵抗の市民を殺りくし、女性に対する暴行や「略奪の限りを尽くしていた」などと伝えている。

 当時のドイツは日本と防共協定(36年)を結んでいた。しかし、現地のドイツ外交官は、中国での旧日本軍の行動は反発を買い、「ドイツの政策目標である共産主義の拡大防止に明白に対立する」(37年12月24日付)と厳しく批判していたことも明らかになった。

 共同通信が入手した文書は同中央公文書館に保存される「在中国ドイツ大使館文書」のうち「日中紛争、1937年12月から1938年12月まで」のタイトルでまとめられた部分。タイプ用紙にして約190枚。

 南京大虐殺関連の報告には主として、ドイツ大使館南京分館のローゼン政務書記官の署名がつけられ、東京裁判でも証言した米国聖公会のマギー牧師が撮影した記録映画の各シーンごとの詳細な記録も含まれている。

 神父から提供を受け、本省に送ったフィルム(現在、行方不明)に添付した報告の中で、同書記官は「身の毛もよだつドキュメント。(ヒトラー)総統もぜひ見てほしい」と述べている。

 南京大虐殺の犠牲者の総数について具体的な言及はないが、ローゼン書記官は「郊外の下関港には大量虐殺に由来する約3万の死体が流れ着いた」(38年3月4日付)と報告している。

「港には3万の処刑死体が漂着」

【ボン17日=共同】旧東ドイツ国立中央公文書館で発見された「在中国ドイツ大使館文書」の要旨は次の通り。(特記しない限り、ドイツ大使館南京分館ローゼン書記官からベルリンのドイツ大使館あて)

・南京情勢に関するロイター通信スミス記者の講演(38年1月1日付、漢口発ドイツ情報局あて)

37年12月9日 初めて遠くから大砲の音。

 12日 中国軍1個師団が市内に入ったが、統制もとれないまま北へ逃亡しているようだ。夕方、市内南部から全面撤退開始。約千人の残留部隊も真夜中までに完全にせん滅された。北門前には1メートルほどの高さになった兵士と民間人の死体がある。私の推計では千人ほどか。

 13日 前夜、南門での戦闘で約千人の中国人が死亡したもよう。
未明になり、中国兵と民間人が略奪を始めた。

 14日 昼ごろから日本兵は部隊所属章を外して略奪を始めた。

 15日 略奪が続き、多くの中国人女性、少女が自宅から連れ去られた。日本軍が広場で中国人数千人を縛り上げ、射殺するため小人数のグループに分けた。中国人はひざまかされ、後頭部に銃弾を1発撃ち込まれる。こうして殺された人を100人ほど目撃した。

・日本軍の残虐行為と南京情勢(1月15日付)

一、南京市内は日本軍の略奪で廃虚と化した。けだもののような暴行の例は数百件も反論の余地なく挙げることができる。

一、ドイツ大使館の事務課でさえ、給仕が銃を突き付けられて、女性を差し出せと脅迫された。大使の私邸までも、女性を渡せと侵入してきた。

・南京の変化(1月20日付)

一、安全区国際委員会は3日間の停戦などを日中両国に提案したが、蒋介石に拒否された。日本軍の近藤海軍少将は、英海軍のホールト提督に対し、南京の下流の中洲には3万人の中国兵がいて「掃討」しなければならないと認めた。これは機関銃の一斉射撃や、燃料をかけて焼き殺すことを意味する。

・日本軍の残虐行為の映像記録(2月10日付)

一、米国聖公会のジョン・マギー牧師は日本軍の行為を撮影、これは日本軍の残虐行為を雄弁に物語っている。同封した英文の解説は、映画同様、身の毛もよだつドキュメントであり、総統にもぜひ見てほしい。

・38年2、3月の南京の状況(3月4日付)

一、2月および3月初めに南京とその周辺の状況は一応安定した。残虐行為は数の上では減少したが、質の面では相変わらずだ。

一、紅卍字会が大量の死体の埋葬を少しずつ進めている。郊外の下関港には大量処刑された約3万体の死体が流れ着いており、紅卍字会は
毎日500から600体を共同墓地に埋葬している。

【朝日新聞 1990年12月18日掲載】

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