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日本と中国の歴史をひも解くシリーズ

大同市南郷の「万人坑」で
6万人が1つの位置に
留まった裏話
歴史経典 鸡汤叔叔教你盘点 2018年10月18日
大同南沟万人坑,为何6万人都保持一个姿势,
背后有怎样的故事


  中国語翻訳:青山貞一(東京都市大学名誉教授)
独立系メディア E-wave Tokyo 2021年11月17日



本文

 どこの国の国民も戦争はしたくない。戦争は多くの資源を奪うだけでなく、そのためにどれだけの兵士が犠牲になったか、さらに罪のないのは一般の人々である。

 社会の中で最も普通の人々として、戦争の年には彼らは謙虚になる。 敵の軍隊がどんなに強くても弱くても、取るに足らないとはいえ国の最も重要な部分である国民の村では、あえて好き勝手なことをしている。 戦争になれば、一番傷つくのは人間である。

 第二次世界大戦中、弱小国であった我が国(中国)は、多くの国から侵略を受け、日本軍の侵攻により我が国に未曾有の大災害をもたらした。 東北の豊富な資源は日本に狙われ、侵攻後、日本は擬似満州(満州国)を築き上げ、現地の人々は大きな苦しみを味わった。 東北地方だけでなく、北陸地方は鉱物が最も豊富なので、再び炭鉱を狙った。

 日本は自国の資源が乏しく、開発に限界があったため、日本の天皇は生産を発展させるために外国をターゲットにして、その資源を侵略しようとした。 かつては西欧の羨望の的であったが、清朝末期には最弱国の一つにまで落ちぶれ、日本軍の侵攻によってさらなる危機に陥ったのである。

 日本軍は東北の資源を乗っ取り、炭鉱にも手を出した。 大同の炭谷の一つには、当時の日本の犯罪が残っており、日本軍は石炭を掘るために、地元の屈強な男たちを総動員したのである。



 食事が与えられないだけでなく、良い仕事をしなければ殴られ、長時間の労働と栄養不足で餓死する者も少なくなかった。

 日本軍は死者を気にせず、穴を見つけては埋め、労働者が足りなければ村に行き、屈強な男がいなければ老人や女性を連れて行く、要するに日本軍にできないことは何もなかったのである。

 一番危険だったのは鉱山災害で、ここでも大崩落が起こり、坑内で働いていた人たちは必死に上がろうとしたが、日本軍は構わずに死なせてしまったのだ。 多くの人が外に出る前に中で亡くなり、それでも最後に必死になって登り、行動が固定されていった。



 大同南峡は、もともと目立たない渓谷だったが、大量の墓が発見されたことで注目を浴びるようになった。 考古学者がこの大きな穴を発掘したとき、中にはまだ朽ち果てていないものが多く、服は腐っていたが、上側にはまだボロボロのえぐれた部分が見えた。

 この6万人近い人々の悲惨な状況は、誰もが心を痛め、生き延びるための最後の仕草が額に入れられている様子は、彼らの悲惨さだけでなく、日本人の恥ずかしさをも示していた。