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清渓川復元現地訪問記
その3


阿部 賢一

2007年6月9日


7. 壁画「正祖大王・陵行班次図」

清渓広場(始点)から三番目の橋梁、「広橋」と五番目の「三一橋」との間にわたって上流側から見て左側側面に壁画が貼り付けられている。これは朝鮮王朝時代の絵画『正祖大王・陵行班次図』である。原図(18m、横15m)を拡大した白磁の図版(30×30a)4960枚で作成したもので、高さ2.4m、長さ184mの大きさ。

原画は、朝鮮朝第22代王正祖が、1795年、母后の恵慶宮・洪氏と一緒に華城(水原)へ向かう風景を描いた絵巻。金弘道ら画家が1779人の行列と779頭の馬を描写したもの。

清渓川沿いに本店がある朝興銀行が15億ウオンを投じて製作、ソウル市に寄附した。200592日、ソウル市はこの壁画の除幕式を行った。

[15] 壁画「正祖大王・陵行班次図」 その1
2006/5/16早朝に筆者撮影

 ビオトープがソウルの「グレー」のイメージを「ブルー」に変えた典型的な風景。

[16] 壁画「正祖大王・陵行班次図」 その2
2006/5/16早朝に筆者撮影

5mの側壁のところどころに、このような壁面を飾るアートなどがあることも、清渓川散策者を楽しませる。

8. 清渓川復元に伴う周辺の変化

清渓川復元事業に平行して清渓川両側のビジネスも様変わりし、土地価格が上昇、不動産開発が活発化している。

筆者が散策した範囲でも、古い建物の撤去やビルの新築現場が多く見られた。

光化門(クァンファムン)ロータリー周辺には、レストランやベーカリー、カフェが進出。ソウル中心街の変化は光化門商圏から清渓川に沿って東大門商圏にまで広がっている。

清渓川復元は東大門周辺の三十余の大型商店街にも影響を与えている。東大門市場一帯のショッピングモールは、これまで衣類一色だった商店街(東京神田の岩本町的雰囲気の街)の中に、飲食店、ネットカフェ、コンビニなどが進出。夜間のみ営業していた卸売商店街も、昼間の営業を開始した。

清渓38街の工具・照明商店街(秋葉原的雰囲気の街)の土地代、賃貸料も上昇。清渓川周辺のマンションも同じように価格が上昇している*

[17]清渓広場上空から俯瞰
出典:朝鮮日報

* 朝鮮日報 2005/08/22

清渓川沿いの高層ビルの地上空間スペースには緑地が設けられ『清渓川復元事業』効果を共有している。

[18] 清渓川周辺道路沿の高層ビルの「緑のスペース」
2006/5/16早朝に筆者撮影

[19] 水標橋(スピョキョ)(歴史を再現)

2006/5/16早朝に筆者撮影

清渓川にかかる橋梁には車道橋ばかりではなく、ところどころに、歩道専用橋も設置されている。

街路樹の「ヒトツバタゴ」と高層ビル群のかもしだす景観も新しいソウルの「緑のイメージ」だ

清渓川の『緑のイメージ』や多数の飛び石や造園で醸し出された景観が、清渓川流域へと、人々を引き寄せ、それに伴い、清渓川から横に広がる地域のビジネスやその形態を変化させている。

[20] 飛び石渡り場と休息ベンチ

2006/5/16早朝に筆者撮影

清渓川にはところどころにこのような飛び石伝いの渡り場やベンチが設けられている。

映画館が集中しているソウル鍾路3街から、乙支路ミョンボ劇場、忠武路大韓劇場に向かう道にある、清渓川始点から7番目の観水橋が「映画の橋」と呼ばれるようになった。

 20074月からこの橋の下で野外映画の上映が可能な「映画広場」がオープン、10月末まで「無料映画館」となる。橋の下の北側の壁に縦6m、横8mのスクリーンが設置され、南側にある階段に約80人が座り、映画を鑑賞できる*
*朝鮮日報 2007/04/09

[21] 観水橋「映画広場」

出典:朝鮮日報

9. 清渓川復元事業の成果

清渓川復元事業の成功は、清渓川復元事業を第一公約として掲げてソウル市長に当選した李明博氏の強力な実行力に負うところが大きい。

その具体的内容については、黄祺淵ソウル市政開発研究院都市交通研究部長ほか二名著『清渓川復元〜ソウル市民葛藤の物語〜』日刊建設工業新聞社(20061月刊)に詳しい。

これは、韓国で20054月に出版された書物を国交省外郭団体リバーフロント整備センターが監修して日刊建設工業新聞社が出版したものである。

翻訳がぎこちなく読みにくい部分もあるが、清渓川復元事業の事業者側の「熱気」は十分に伝わってくる。しかし、期待していた技術的な検討や計画についての記述がない。具体的な「住民参加」についても記述がない。

もっぱら事業者側の「リーダー・組織論」である。

ソウル市長に当選して就任した李明博氏の主張は明確である。

ソウルが21世紀型都市として競争力を確保しようとするならば、都心環境を改善しなければならない。このための具体的な方策のひとつが清渓川復元事業である。ソウル全体の競争力を確保しようとするならば、清渓川復元事業を必ず推進しなければならない。-------89p

(1) 葛藤管理

同書は「葛藤管理」である。
我が国の公共事業関係者にとっては聞きなれない『葛藤』とは---------

葛藤とは、《葛(かずら)や藤(ふじ)のこと。

枝がもつれ絡むところから

1 人と人が互いに譲らず対立し、いがみ合うこと。

「親子の葛藤」

2 心の中に相反する動機・欲求・感情などが存在し、そのいずれをとるか迷うこと。

「義理と人情とのあいだで葛藤する」

3 仏語。正道を妨げる煩悩のたとえ。

出典:はてなダイアリー

英語ではconflict ((between))troubledifficultiescomplicationsである。

同書では「(公共)葛藤管理」を以下のように定義している。

(公共)葛藤管理」とは、公共事業を中心とする公的施策の実施を巡ってさまざまな主体間で生じる社会的対立を、事前に予防したり、発生後に的確に対処して解決に導く一連の過程を総称する用語として用いられている。------同書の最初の頁

筆者流に解釈すれば、「(公共)葛藤管理」は公共事業の企画から執行の過程において生ずる『さまざまな利害関係者、人と人の間の紛争処理・管理』である。

清渓川復元事業は、「新たな公共葛藤管理パラダイムの時代的要求」を分析・把握して、それに対処した成果である」ことを、同書は強調している。

(2) 同書の概要

同書の記述されている期間

「清渓川復元問題が現実化してマスコミで論議されていた20026月のソウル市長選挙から、清渓川復元事業が着手できるようになった200371日までとする。」-------18p

以下、同書の内容を概略引用すると

この(清渓川復元事業)の成果としては、地方自治体の一方的な主導の下に政策葛藤を解消してきた従来の官僚主義的事業推進モデルから脱し、事業企画段階からソウル市のみならず研究集団であるソウル市政開発研究院及び市民団体という三者が、バランスを取りつつ介入することにより、特段の葛藤表出もなく事業を成功裡に進めることができたという点を挙げることができる。----20p

『清渓川復元事業の推進背景としての四項目』

安全----高架覆蓋構造物の老朽化⇒安全問題の根本解決

環境----都市環境の悪化    ⇒環境に優しい都市環境の造成

文化----歴史・文化遺跡の滅失  ⇒ソウルの歴史性と文化性の回復

経済----周辺地域の立ち後れ  ⇒長期的周辺開発による均衡発展

-------89-90p

清渓川復元事業と下位実践計画との連携

具体的な実践計画

清渓川復元の媒介

意図した結果

低所得市民の生活安定

清渓川復元を通じた

雇用創出

10万人の雇用創出

大気汚染の改善

清渓川復元周辺空間

清渓川周辺緑地軸造成

伝統と現代文化の空間

清渓川復元周辺空間

清渓川周辺文化空間造成

江南・江北均衡発展

清渓川復元を通じた

再開発

江北経済の活性化

---------120p

(李市長は、市長就任後の20027月、直ちに清渓川復元本部を組織して)二ヶ月足らずで、清渓川復元事業の推進のためには、商人たちとの葛藤解決が重要であると判断し、業務推進体系を変更した。

2002923日、市長は復元行政企画団長及び管理担当官を新設した。団長には、大統領府で民政を担当していた政策企画官を任命し、商人問題に関する権限を委任し、限られた時間内に商人たちとの葛藤を解消できるよう、力(権限)を与えた。李市長は、自分に不足する部分に関しては、経験の豊富な人材を登用して配置することにより、事業の円滑な推進に拍車をかけたのである。------183p

李市長のリーダーシップ

@商人との葛藤に対する葛藤管理能力

李市長は復元事業の推進に当たり五つの原則を立てた。

第一は、営業損失補償などの間接補償は行わない。

第二は、移転問題とリフォーム、再開発、建替えに関する金融支援などの交渉案については、文書契約はせず、ただ口頭により説得して交渉する。(地方)政府は企業ではない。政策を発表したならば、それをきちんと執行すればよいのである。

政府は企業と異なり、政策を以って誰かと交渉するものではない。それゆえ、契約書は必要ない。李市長によれば、政府の政策発表は執行を前提とするものであり、政策関係者と交渉をするためのものではない。

こうした原則を通じ、李市長の行政スタイルと推進力を知ることができる。

第三は、意思のある商人には最大限支援する。これは、商人たちが望めば、移転に必要な行政的・財政的支援についての方策を最大限講じるという意味である。

第四に、間接的補償は絶対にしないが、工事途中で生じた商品や建物の毀損などの直接的被害は100%補償する。

第五は、誰が、いつ、どこで、誰と会っても、一貫性をもって話をする。

--------187-188p

Aマスメディアとの葛藤管理能力

 李市長は、工事工法についてわかりやすく自信を持ってマスメディアに説明した。充分な説得力があった。現代建設の最高経営者(CEO)の経験が生きた。

B中央政府との葛藤管理努力

着工を15日後に控えて、警察庁側は、交通問題、商人問題で協力はできないという方針を立てていた。

李市長は何回も大統領への面談を申請した末に、国務会議で討論することとする決定を受け取った。

(国務会議では)一問一答方式で行われ、李市長は、長官達の質問に対し、可能な限り詳細に答弁した。

清渓川復元事業に対して反対一色であった国務会議の雰囲気が一部の長官達の質問により180度変わった。

交通速度など交通統制資料に対する報告が警察庁とソウル市の両者であまりにも異なることに対して釈明を求めた。

李市長は「統計というのは予測に過ぎないから、誰も正確なところはわからないのではないか。しかし、それは重要な問題ではない。重要なことは、この事業が他の誰でもない市民のための事業だということだ。」と答えた。

李市長は、この日国務会議で質問に対して結論から答えたが、その理由は、長官達の質問が事案に対する本論ではなかったためである。本来の重要な事案とかけ離れたところでしか議論をせず、時間を浪費して、結局、真に重要な事案は、時間に追われて大雑把な決定をしてしまいがちだというおそれがある。

清渓川復元事業は、ビジョンを共有する多様なリーダー集団の意図により、政策が推進されたという点で、他の公共事業とは差異があると言える。----193p

ソウル市役所が取った清渓川商人総合対策

分  野

内   容

営業不便

最小化対策

・工事区間を清渓川道路幅員以内に限定

・工事中や完了後清渓川路両側に2車線の道路を確保

・商人の荷捌き空間は別途確保し営業活動の継続を保障

・工事区間にシートを張って騒音・粉塵を最小化

・東大門運動場に駐車場を設置し周辺商人に解放

・工事中は清渓川路周辺に無料シャトルバス運行

商圏活性化対策

・在来市場環境改善事業費無償支援(事業費の80%以内)

・市場現代化のための再開発事業費100億ウォン以内融資

・小企業・零細商工人のため経営安定資金融資

・訓練院・宗廟・東大門運動場駐車場駐車料金割引

・都心再開発事業地域については行政的・財政的支援

その他

・移転支援対策

・個別の商人からの相談を積極的に受け付け

------322p

清渓川復元事業の成果

1. 都市管理パラダイムの大変革

4車線の高架道路がなくなって、道路幅員も半分に減ったにも拘らず、着工初期段階の交通モニタリング結果を見ると、むしろ施行前に比べ、ソウル市全体の通行速度も最初の三日間を除いては改善されたこともわかった。ソウル市の予測値が誤差の範囲内でかなり正確性を持つことが分析の結果明らかになり、ソウル市の交通行政の信頼性を高めるのに決定的な契機となった。

その理由は、公共交通サービスがこうした衝撃を吸収するだけ十分に提供されたからだと判断される。特に地下鉄利用者数は都心の場合5%近く増加した。

それまで何度も施行が保留されていたソウル市役所前の広場を解放し、それまで歩行者が無視されていた都心の幹線道路沿いに多くの横断歩道を提供することにより、都心の幹線道路に大きな変化をもたらした。

また横断歩道は地域の商圏にも大きな変化をもたらし、北倉洞では、ソウル市に感謝する垂れ幕を掲げて祝ったほどだ。

市民に便利なバス運行システムを作ろうという事業はこれまで幾度も試みられてきたがそのたびに失敗してきたが、ソウル市が試みた中央バス専用レーン制とバス準公営性は定着した。

ソウル市外から市内バスターミナルまたは主要地下鉄駅まで運行する会社(バスの色は各社とも青に統一)と、市内のみ運行する会社(バスの色は赤)に区分し、収入減少分の一部はソウル市が補償した。これがバス準公営制である。

高架構造物の撤去後、交通問題はそれ程深刻にならず、むしろ住民達の反応が良かったことで、都市交通構造物管理政策にも大きな影響を及ぼした。高架道路が次々と撤去される現象が生じている。-----335p

2. 共生の国民文化

地域利己主義が、目的達成のための政府を相手とする暴力デモや集会、違法ストライキなどの各種の暴力的違法行為が、清渓川復元事業の葛藤管理戦略により役立たなくなってきたことを示した。非暴力的で合法的な方法を通じて、いつかはお互いに利益になり得る共生方策を導くことができるという点を、清渓川復元事業は教えてくれた。

キム・テギ教授(壇国大学紛争解決研究所長)は、暴力的な非合法的な国民の反対運動・行為、雰囲気を「近頃の韓国社会は、いわゆる“ゴネ法“コネ法という二つの法が支配している。相対的に力のない組織は、我も我もと集団行動に出て、力のある集団は公正で透明な方法でなく便法により問題を解決しようとしている」と指摘し、「特定集団の利益になっても、全体に害を及ぼす集団行動に対しては、断固として対処しなければならないのに、政治家や政府はあまりにも責任を回避する道徳的な弛みに直面している」と批判している。

(東亜日報 20030701)--------341p

清渓川復元事業の成功要素の総括

事業の名分確保

(さまざまな問題が発生する可能性が懸念されたが、)それにも拘らず、清渓川復元事業が順調に推進できた理由は、清渓川の復元というテーマが新たな社会問題的パラダイムとうまくかみ合った。

開発から環境へ、経済成長から社会の共生へ、効率から衡平へ転換する後期資本主義的方向とこの事業が非常に符合したということである。

日本植民地時代の残滓を取り除こうという民族の誇りの実践*、韓国の歴史文化の復元、補修工事が必要になった古くて危険極まりない高架道路をなくすことにより得られる安全性問題の根源的解決、高架道路下の陰になってスラム化した商業施設を快適な地域に変貌させるとともに、復元により実現される環境に優しい都市の建設、金融と文化の通りへの変身を通じた江南・江北均衡発展など、ほとんどすべての面で長所が明白で、大多数の市民と専門家集団がこれらの点を認めている。ほとんどすべての人々が原則賛成の立場を示したのである。

着工に向けて最大の懸案となっていた交通問題も、工事開始後比較的良好な交通状況を示しており住民の憂慮を払拭させることができ、経済が困難な時期に確保された大規模都市開発工事を通じた建設需要の創出はおよそ人々が考えてもいなかった事業の付随効果となった。

成功裡に事業を進められたのは、社会指導層の献身的役割と、政治経済的状況の成熟、マスメディアの積極的世論形成などによる事業の名分の確保が大いに寄与した。----359-360p

*清渓川の覆蓋は朴正煕大統領時代に行われたものであるが、日本植民地時代に高架鉄道を建設する計画があった。

リーダーシップ

もうひとつの成功要素は李・ソウル市長の卓越したリーダーシップにある。

(最後に)

大規模公共事業が、進行過程上の深刻な事態に陥り難航したり、結局は座礁してしまう場合が最近の韓国社会では多い(扶安核廃棄物施設設立地問題、セマングム干拓問題)

解決を見出し得ない葛藤は、費用の増大となり、国家競争力の弱化をもたらしている。

中央政府レベルの葛藤解決制度や葛藤解決専門組織がない状態である。

清渓川復元事業で示された葛藤の成功的解決事例は、韓国社会全般に与える示唆点が非常に大きい。

政策は、権力とアイデアが出会うとき現実に推進できる。-------374p

同書からの引用が随分と長くなったが、『清渓川復元事業』を成功させた韓国ソウル市長及び事業者側の『激しい意気込み』が伝わってくる。

ソウル市の『清渓川復元事業』についての『公共葛藤管理』の成果を述べたものであり、ソウル市民・住民が如何にこの事業に参加したかを述べたものではない。

しかし、我が国の公共事業の現状を考えるとき、きわめて示唆に富んだ内容の書物である。

筆者はこの書物を西東京市図書館から借り出して一気に読み上げて、現地を訪問した。

10. 今後の環境問題と交通問題

(1) 今後の都市環境・交通ヴィジョン

『清渓川復元事業』は、「今後の都市環境は如何にあるべきか」「老朽化した高速道路をどうするか」「今後の都市交通混雑問題をどう解決するか」、そして「事業を行う場合の紛争処理・補償をどうするか」など、我が国の都市の今後の都市環境・交通ヴィジョンを考える際の恰好の参考事例となる。

『清渓川復元事業』推進に当たり、最大の障害になると予想された交通混乱問題は、ソウル市担当者側の周到な事前対策もあり、ほとんど混乱が生じなかった、という事実は重い。

ヴィジョンもない、戦略もない、目先の交通混雑対策に追われてきた我が国交通関係当局者には、このことの重みを大いに考えてもらわなければならない。

ソウル市は、清渓川復元事業と並行して、道路中央部をバス専用車線とする中央バス専用レーン制を20047月に導入した。それ以来、中央車線での交通事故が減少していることが分かった、と現地紙は報じている*

2006年上半期に中央車線で起きた交通事故は714件、2005年下半期の866件から17.5%減少した。

中央車線での事故発生件数は、2003年下半期の692件から、中央バス専用レーン制が導入された2004年下半期には925件まで増えたが、その後は減少傾向が続いている。
ソウル市関係者は「ドライバーや市民が新しいシステムに適応しており、交通安全施設も設置されたことから中央車線での事故が減っている」と話している。

新方式導入で当初は戸惑った人々も、新システムに次第に馴染んできている。
* 聨合ニュース 2007/4/14

筆者がソウル市内を移動中、道路中心部のはっきりと色分けされたバスレーンを確認した。さらに、数車線の道路でのUターンも経験した。夕方のトンネル前の混雑、雨の中の渋滞も体験したが、苦痛を感じるほどではなかった。

出典:日本橋みち会議資料http://www.nihonbashi-michikaigi.jp/pdf/teigen03.pdf

『清渓川復元事業』は交通量の多い幹線道路(地上・高架二本)を完全に廃止し、人工河川とはいえ、清渓川を復元したものであり、別途、道路を新設したりはしていない。それでも、渋滞は増加せず、事故も減少した、市民からの苦情もあまりない、という結果に我が国の交通関係者は注目する必要がある。

もうひとつ、ソウルでは、改修工事中の世界遺産「景福宮」から清渓川起点の清渓広場に至る世宗路、往復16車線の一部(光化門前)を往復10車線に減少する「光化門広場造成計画」が20061227日に発表され、折から工事中であった。

20088月、「景福宮」光化門前には幅27m、長さ500mの緑の広場が完成する*
*朝鮮日報 2006/12/29

往復16車線という広さは名古屋市の100m道路も顔負けの車線数だが、それを6車線分減らして、「緑のスペース」を作るという計画は、ソウル市庁舎前の「ソウル広場」の実績を踏まえたものである。

[22]「光化門広場」完成予想図

出典:朝鮮日報

(2) 日本橋プロジェクト

『清渓川復元事業』には、我が国からの関係者の視察も相次いでいる。とりわけ、東京の日本橋の現状は、『清渓川復元事業』との共通点が多い。九州その他の都市からの視察者や関係業界も多数押しかけている。

しかし、これまでの我が国関係者の議論の進め方を見ると、日本橋直下に高速道路の地下トンネル新設1兆円プロジェクトだというような「新たなハコモノ」論議だけが目立つ。

東京オリンピックに間に合わすため、既設の河川空間に高架道路を建設し、日本の起点、日本橋の景観を台無しにした拙速・劣悪な高速道路計画に対する反省や、二十一世紀の東京の交通をどうゆう方向に進めるべきかという将来ヴィジョンの話はさっぱりない。日本橋に限定した局所的議論の域を出ていない*
*
日本橋みち会議 日本橋川に空を取りもどす会http://www.nihonbashi-michikaigi.jp/index.html

ソウル市では『清渓川復元事業』成功を生かすべく既設の高架道路廃止の動きが進んでいる。都市への自動車の流入を制御する検討を進め、実行している。

我が国では、東京オリンピックを契機として建設されてきた都心の高速道路をはじめさまざまな公共施設が耐用期限を向かえ、更新あるいは廃止すべき時期に来ている。「壊してまた新しくつくる」という考え方をやめて、ゼロの視点から見直し、新しい二十一世紀都市環境・交通ビジョンを確立し、実施する必要がある。

我が国民・住民も、これまでのような行政に「よりかかる」「おまかせする」公共事業推進思考・態勢から全面的に脱却し、都市の将来像とそのための戦略を緻密に立て、それを実施する仕組みを積極的につくっていく必要がある。

(終わり)