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旧中山道、信州 宿場探訪

城光院(佐久市)

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda

May 15, 2015
Alternative Media E-wave Tokyo
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望月城


出典:グーグルマップ衛星画像



 望月城は長野県佐久市にあった日本の城です。

 戦国時代、信濃国の佐久郡望月地方の豪族望月氏の山城でした。

 城主郭部の標高は780m、市街地の標高が670m程度であるため、比高は110mほど。主郭部の東側は浅い谷津であり、比高は30m程度に過ぎません。

 城主郭部(山頂)から南西2kmほどの広さに、主郭から三の郭までが構築され、南方の支城には五の郭までは確認できています。


望月城推定図
撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S6400  2015-5-4

 雄大にして堅固な山城で、腰曲輪や帯曲輪、空堀など整然と構築され、比較的保存状態も良いようです。

歴史・沿革

 望月城の歴史は古く、最初の築城は鎌倉時代頃であり、滋野氏の流れを汲む滋野三家の望月氏が本拠地として天神城として築城されました。中先代の乱(1335年)8月に、信濃守護の小笠原貞宗が経氏に命令し攻撃・落城したとありますが、望月氏は滅亡せず室町時代に新たに望月城をして築城しています。

 天文12年(1543年)、武田信玄の猛攻によって陥落しますが、望月氏が武田氏の支配下となることで城は存続しました。武田氏滅亡後、北条氏と一年も籠城戦を行い大軍を動員していた北条方が兵糧等の戦費が負担になり望月氏と和睦をするも、天正10年(1582年)に徳川軍の依田信蕃によって佐久の諸城は攻略され、望月城も一ヶ月半の籠城戦の後に落城しました。


◆望月山城光院

 望月城麓に位置する曹洞宗の寺です。甲州北巨摩郡大八田村清光寺。


出典:グーグルマップ衛星画像

 城光院は文明7年(1475年)に真田家とゆかりのある望月城主、望月遠江守光恒が開基となり南浦宗清和尚を招いて開山と伝えられています。

 境内の裏山は望月城となっており、城光院は望月氏代々の菩提寺として庇護されました。

 真田十勇士の一人「望月六郎」は、この望月氏の子孫といわれおります。

 城光院の本尊阿弥陀如来坐像は室町時代初期の作とされ、望月氏の祖とされる善淵王像は江戸中期の安永年間に制作されたもので、本堂は江戸後期の享和年間に再建されたものです。

 境内に安置されている石造庚申塔、石造十王像(10尊)、石造宝篋院塔(4基)はいずれも佐久市指定有形文化財に指定されています。

 出典:佐久市
 
 下は寺側からみた望月宿です。


撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S6400  2015-5-4

 文明7年(1475年)年、望月城主望月遠江守光恒の開基で、望月氏代々の菩提寺です。

 本堂は享和期(江戸後期)の建築ですが、本尊阿弥陀如来坐像は室町初期の作とされています。望月氏の祖と称せられる善淵王像は、江戸中期安永の造像。本堂裏に室町末期永正年間の宝筐印塔2基があります。


撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S6400  2015-5-4



撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S6400  2015-5-4



撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S6400  2015-5-4


撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S6400  2015-5-4

◆長野県の武田信玄伝説

 城光院は、望月氏代々の菩提寺です。

 今の境内は望月氏の居館跡で、市中に出る道を御前小路と称しています。

 旧寺地は蓬田の南西で、寺田、寺屋敷、寺窪、堂窪等の字があります。泉水と称する地からは古瓦が出ていますが、その中に月と武田菱の形のついたものがあります。これは武田典厩信繁の次男、左京大夫義勝が望月の継嗣になった時に修造したものとされています。

(長野県の武田信玄伝説より)


撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S6400  2015-5-4


撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S6400  2015-5-4


つづく