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2018年6月、4度目の会津若松

御薬園 1 

青山貞一・池田こみち 
環境総合研究所顧問
掲載月日:2018年7月28日
 独立系メディア E−wave Tokyo
断転載禁
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 2018年6月17日〜19日、青山貞一、池田こみちは、2011年3月11日以降の東日本大震災、津波、福島第一原発事故による影響、被害の復旧・復興状況を調査するため福島県内の調査を実施した。

 調査が一段落した6月19日、私たちは今まで訪問していない会津若松の歴史文化の拠点を訪問することにした。

 6月19日午前、最初に訪問したのは、宿泊先旅館からほど近いところにある。この日は超がつく好天。会津は盆地で暑すぎるくらいだ。

 御薬園、〒965-0804 福島県会津若松市花春町8?1


出典:グーグルマップ


出典:グーグルマップ


出典:御薬園 入園時にいただくパンフの表紙

 下の地図は、パンフにある園内の案内図である。正門は地図中、左上にある。


出典:御薬園 入園時にいただいたパンフにある案内図

 御薬園(おやくえん)は、福島県会津若松市にある日本庭園で会津松平氏庭園として国の名勝に指定されている。下はその御薬園の入り口である。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


出典:Wikimedia Commons


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900


出典:御薬園 入園時にいただいたパンフにある重陽閣

 下は秩父宮妃勢世子氏のレリーフ。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

歴史
 御薬園の起こりは、室町時代に霊泉の湧きだしたこの地に、永享4年(1432年)、蘆名盛久が別荘を建てたのがはじまりといわれている。

 その後の江戸時代の寛文10年(1670年)、会津藩2代藩主保科正経が領民を疫病から救うために園内に薬草園を作り、3代藩主松平正容が貞享年間に朝鮮人参を試植し、その栽培を民間に広く奨励したことから、それが名前の由来となっている。

 現在の庭園は、元禄9年(1696年)、松平正容が園匠の目黒浄定を招き、小堀遠州の流れをくんだ本格的な大名型山水庭園に大改造したもの。園内の楽寿亭や御茶屋御殿の建物は、戊辰戦争時に新政府軍の傷病者の診療所とされたため、戦火を免れた。

 昭和7年(1932年)10月19日に、江戸時代の代表的な大名型山水庭園として優秀なものとして国の名勝に指定された。昭和54年(1979年)6月25日には旧薬園跡、池水取入口などが追加指定された。

 以下はパンフにみる御薬園の主な歴史。


出典:御薬園 入園時にいただいたパンフにあった主な歴史


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

概要
 御薬園の敷地面積は約1.7ha。中央に心字の池を配し、その中央に亀島と楽寿亭を置き、池辺には巧みに石を配し、池への流水路として女滝、男滝を置く。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900

 下は庭園の解説。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 園内に多くのモミ、スギ、マツの大樹老木を配置し、キャラボク、ゴヨウマツの古木を点植し、回遊園路を設けた、東側の背炙山の連山を背景とした借景池泉回遊式庭園である。

 心字の池西側には御茶屋御殿があり、茶会などに利用されている。庭園北側には藩政時代の薬草栽培地跡を利用した薬用植物標本園があり、会津産薬草約200種を含め約400種の薬草が栽培されている。

 下は心字の池の中央にある楽寿亭。


心字の池の中央にある楽寿亭
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


つづく