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2018年6月、4度目の会津若松

日新館 はじめに

青山貞一・池田こみち 
環境総合研究所顧問
掲載月日:2018年7月28日
 独立系メディア E−wave Tokyo
断転載禁
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 会津松平家の御薬園を後に、私たちは会津藩の藩校、日新館に向かった。

 御薬園を車で北上し15分の距離に会津藩校の日新館があった。

 會津藩校日新館、
 〒969-3441 福島県会津若松市河東町南高野字高塚山10

 ただし、もともと会津藩校日新館は、鶴ヶ城の西側に「会津藩校日新館跡の石碑」があるように、会津若松城の西側にあった。

 会津藩校日新館は、天明7(1787)年、稀有で秀逸な家老、会津藩家老田中玄宰(はるなか)が藩主松平容頌(かたのぶ)に、藩の「教育改革」を含む藩政改革を建議、以後、藩校の整備や改革が進められ、その一環として寛政11(1799)年、校舎の造営が始められ、「日新館」と名付けられた。

 會津藩校日新館
 〒969-3441 福島県会津若松市河東町南高野字高塚山10
 

出典:グーグルマップ

 下は日新館に行くための駐車場である。日新館は階段を上った写真右端に入口がある。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 階段を登りきると右手に下の「什の掟」がある。

 ※ 什の掟―じゅうのおきて(ならぬことはならぬものです)
  http://nisshinkan.jp/about/juu
  同じ町に住む六歳から九歳までの藩士の子供たちは、十人前後で
  集まりをつくっていました。この集まりのことを会津藩では「什 (じゅう)」
  と呼び、そのうちの年長者が一人什長(座長)となりました。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 下は正門前の池田こみち。この後、 門を入って右側の受付で購入する。入場券は大人一人600円である。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 下は山川健次郎氏のブロンズ像。山川氏は白虎隊員のひとり。戊辰戦争後、いったん斗南藩の一員として青森県下北半島に移住した後、秀逸な学術能力を買われ東京大学初代総長などを歴任した。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900

 ※山川 健次郎(やまかわ けんじろう、1854年9月9日(安政元年閏7月17日) - 1931年(昭和6年)6月26日) 
 明治時代から昭和初期にかけての日本の物理学者、教育者。男爵、理学博士。会津藩出身で白虎隊の兵士として明治政府と戦ったが、後に国費で米国留学をして東京帝国大学(東京大学の前身)に登用された。理科大学長・総長、九州帝国大学(九州大学の前身)初代総長、私立明治専門学校(九州工業大学の前身)総裁、京都帝国大学(京都大学の前身)総長、旧制武蔵高等学校(武蔵中学校・高等学校の前身)校長、貴族院議員、枢密顧問官を歴任した。 出典:Wikipedia


 下は入館時にいただいた入場券。白虎隊の学舎、会津藩校日新館、そして「文武」とある。


館時にいただいた日清館の入場券

 下は入館時にいただいたパンフ。


館時にいただいた日清館の入場券

 何しろ、日新館は広大な敷地に建っている。以下は会津藩校日新館案内絵図である。正門は中央下「入口」にある。


出典:会津藩校日新館案内絵図

 正門から入ってすぐに、以下の会津藩校日新館の概要がある。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


つづく