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2018年6月、4度目の会津若松

日新館 概要・歴史

青山貞一・池田こみち 
環境総合研究所顧問
掲載月日:2018年7月28日
 独立系メディア E−wave Tokyo
断転載禁
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日新館 はじめに 概要・歴史 学習・自習 大学・資料室 武術・天文台 
 
仏都会津の三霊地巡り 中田観音 立木千手観音 鳥追観音

概要
 1798年(寛政10年)、会津藩家老・田中玄宰の進言により計画される。

 1803年(享和3年)、会津藩の御用商人であった須田新九郎が新築経費を寄付したため、会津若松城の西隣に日新館の校舎が完成。東西約120間、南北およそ60間の敷地に日本最古のプールといわれる水練場や天文台までをも備えた、全国有数の藩校と当時の会津藩の上級藩士の子弟は10歳になると日新館に入学した。

 15歳までは素読所(小学)に属し、礼法、書学、武術などを学んだ。素読所を修了した者で成績優秀者は講釈所(大学)への入学が認められ、そこでも優秀な者には江戸や他藩への遊学が許された。全国に数ある藩校の中でも屈指の教育機関であると言える。

 以下は入館時にいただいたパンフレットからの概要。


出典:入館時にいただいたパンフレット

會津藩校日新館

 1868年(慶応4年)、戊辰戦争により校舎は焼失。現存するのは会津若松城趾西側に残る天文台跡のみ。

 実際の藩校は焼失したものの藩校に関する図面などの資料が残っていたため総工費34億円を費やし、1987年(昭和62年)3月に會津藩校日新館として会津若松市河東町(開館当時は河沼郡河東町)に完全復元、開館した。

 この施設は、博物館・道場(弓道場・武道場)・研修や宿泊施設・映画撮影所などを兼ねており、各種の武道団体も頻繁に練習や合宿に利用している。


 下は正門を入ってすぐのところにある戟門(げきもん)。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 戟門には左右に金色の「獅子」がある。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900



撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900

 以下は正門を背にして撮影した日新館。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 この後、日新館の校舎(教室)、武道施設などを順路に沿って視察する。


つづく