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2018年6月、4度目の会津若松

仏都会津・立木観音

青山貞一・池田こみち 
環境総合研究所顧問
掲載月日:2018年7月28日
 独立系メディア E−wave Tokyo
断転載禁
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仏都会津の三霊地巡り 中田観音 立木千手観音 鳥追観音

 仏都会津の三霊地、三観音の二つ目は、立木千手観音である。

 金塔山 恵隆寺(立木観音)
 〒969-6584 福島県河沼郡会津坂下町塔寺字松原2944


出典:グーグルマップ

 中田観音から立木観音へは、車では15分程度であったが、その昔、巡礼者は徒歩で2時間もかかったことが、以下のグーグルマップでわかる。


出典:グーグルマップ

 下は立木千手観音のお堂に通ずる参道である。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 下は参道の途中にある山門である。この日はすらばらしい晴天だったが暑かった。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 下の写真は金塔山 恵隆寺の立木千手観音の本堂である。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 以下は堂内を撮影した写真である。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


 以下は立木観音堂の概要説明である。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 この観音は、下の重要文化財の告知にあるように、実に8.5mの高さの立木千手観音菩薩の立像がある。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 以下は立木観音菩薩像を拝観するために本堂に入る池田こみち。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 以下は身丈が8m50cmもある日本最大級の立木観音菩薩の写真である。

 ただし、この観音を参拝するためには、本堂の奥に入らなければならず、しかもそのための拝観料が必要となる。今回、池田こみちが拝観料を払って内部に入ったが、写真撮影も禁止となったおり、拝観料を払った者だけがいただけるパンフレットに観音像の写真が掲載されていた。


出典:金塔山恵隆寺 立木千手観音パンフレット

 下はカラー写真で見た立木千手観音である。


出典:極上の会津

 以下は金塔山 恵隆寺 立木千手観音の概要である。

 寺の歴史によれば、本尊「十一面千手観音菩薩」は、大同三年(808年)に弘法大師(空海)が観音菩薩の霊感を受け、根が付いた状態(立ち木)で巨木の枝を切り、彫刻されたことから「立木観音」と伝えられている。

 本尊の身丈は8m50cmあり、一木彫で根の付いている仏像としては日本最大級の大きさである。

 また、本尊の左右に安置される脇侍の二十八部衆、風神・雷神30体の仏像は、身の丈2m弱の大きさで、すべて揃っており、密教様式を忠実に表現しており全国的にも大変珍しく貴重な仏像である。

 30体の眷属が揃っているのは京都三十間堂とこの立木観音堂だけとも言われている。


 以下は、金塔山恵隆寺 立木千手観音が重要文化財の指定を受けた事由である。


出典:金塔山恵隆寺 立木千手観音パンフレット


出典:金塔山恵隆寺 立木千手観音パンフレット

◆『会津仏教発祥・財宝伝説』 〜高寺伝説〜

 日本に仏教が伝わったとされた(五三八年)以前今から一千年以上も昔中国から青岩(せいがん)と言うえらい偉いお坊さんが仏教を伝える地を求めて会津にやって来ました。

 青岩は会津坂下町のある山を理想の場所として寺を建て「(せきとうざん)石塔山恵隆寺(えりゅうじ)」と名づけましたが、山のふもとの村人たちは、高い所に寺が建ったのでたかてら高寺と言い、いつしか山の名前が高寺山となりました。

 その後、この寺は非常に繁栄し、高寺山には立派な七堂伽藍が建ちならび並び、山の所々に三十六坊舎を建てお坊さんの数は数千名にもなったそうです。

 その後、徳一の開いた恵日寺と勢力争いが始まり、ついに戦火を交えることとなりました。 結果高寺山は敗れ建物は全部焼かれ、ほとんどのお坊さんは戦死または逃げてしまい、今は何一つ寺の跡は残っていません。

 三十六坊の中には、その後寺としてどくりつ独立し新たに建てられたのが二十ほどあります。高寺の昔の面影はなくなってしまいましたが、村々に伝わるふしぎ不思議な歌があります。

 「立てば前 座ればうしろ山吹の黄金千杯 朱千杯 三つ葉うつぎのしたにある。」

 昔、朱はたいそう喜ばれ黄金同様貴重品でした。寺がほろ滅びる時ひそかに宝を埋め、そこに目じるしとして三ツ葉のうつぎを植えたらしい。

 その話は、まんざらウソではないらしく、明治の末のほんとの話で、村人が馬をに逃がしてしまい、馬は高寺山に逃げこんだらしく、方々かけめぐってやっとつかまえた時、馬の片足が血だらけでした。

 小川できれいに洗い傷口をさがしましたが見あたらず、血ではなく朱に間違いないと村人はおもいました。その話を聞きつけ、何人もの人々が黄金を求めて高寺山に入り三つ葉のうつぎを探しに来ましたが、まだ見つかっていないそうです。 おしまい

 伝説ですがこの話しが本当であれば、奈良京都より早くこの会津の地に仏教が伝わったことになります。高寺山の財宝は今どこへ・・・・・

出典:会津六申出

 下は立木観音にあった多宝塔である。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 恵隆寺に関連する歴史(年表)を巻末に示す。


つづく


出典:金塔山恵隆寺 立木千手観音パンフレット