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第三回 アマルフィ海岸自治体の持続可能性基礎調査
A Survey on Sustainability of Costiera Amalfitana Comune
    訪問先別ハイライト 4日目
フローレ
青山貞一・池田こみち Teiichi Aoyama & Komichi Ikeda
Environmental Research Institute, Tokyo
    
掲載月日:2013年6月14日
 
独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁

南イタリア・アマルフィ海岸自治体の持続可能性に係わる基礎調査 
2008年2月及び2011年3月の調査概要
基礎調査(概要)  基礎データ@  データA  アマルフィ海岸(とは  アマルフィ公国とは
テルミニ ネラーノ カントーネ マッサ・ルブレンセ ソレント サンタニェーロ ピアノ・デイ・ソレント 
ポジターノ フローレ プライアーノ コンカ・デイ・マリーニ  アマルフィ アトラーニ ラヴェッロ
スカーラ ミノーリ
 トラモンティ マイオーリ チェターラ
  マーレ  ポンペイ 参考 ナポリ サレルノ

 2013年アマルフィ海岸現地視察調査報告<125本 全体メニュー>

   
アマルフィ海岸の位置 フローレの紋章 イタリア国旗

<4>日程・訪問先別ハイライト(2013年6月6日 その5 フローレ)
 

  最初に、訪問先別の秀逸で希有な景観を写真でブログ風にご紹介しましょう。ソレント半島及びアマルフィ海岸の景観は、単なる自然の美ではありません。9世紀以来、持続する歴史や文化に彩られた空、海、地形によって醸成された希有で秀逸そして洗練された美があります。しかも、そこには慎ましやかな住民の生活と小規模自治体の競争的分権の連携があります。

◆フレーレのB&Bと断崖絶壁のレストラン 2013年6月6日

 
 この日の宿泊はフローレ(Furore)です。

 フローレは、下の写真にあるように断崖絶壁の上にある人口わずか900人ほどのコムーネです。アマルフィ海岸におけるフローレの位置、プライアートとコンカ・デイ・マリーニの間にあります。

 しかし、フローレのまちは実質、崖の上にあるため、フローレに行くためには、一旦、アマルフィに近いコンカ・デイ・マリーニから戻るようにして急な坂を車を登ってゆかなければなりません。アマルフィ側からはまだしもプライオーリの側からフローレに行くためには、かなりの距離を覚悟しなければなりません


フローレ それはアマルフィとポジターノをつなぐ歴史ある900人の小さなむら
Source:Wikipedia Italia
 
 下の地形図は、広域で見た場合のフローレの位置が分かります。左(西)にプライアーノ、右(東)にコンカ・デイ・マリーニに挟まれた崖の上の台地にフローレはあります。


ピアノ・ディ・ソレントからアマルフィまでの海岸 出典:グーグルマップ

 フローレ村へ入口は、徒歩ではいるには西側と東側にひとつずつ、さらに車ではアマルフィ近くからと3つあります。このように、車で行けるのは、コンカ・デイ・マリーニのアマルフィ側からだけですが、これもかなりの距離となります。

 下の地図に歩いてフローレに登る場合の2つの経路、すなわち西側(Furore Marina di Praia )と東側(Furore Fiordo)の絶壁を上る登山道を○で示します。地元のひとはいざ知らず、実際に両コースを完遂した今回の経験(後述)からすると、いずれの側もそれなりの装備が必要になります。一方、私達が宿泊する予定のB&Bは、下の地図の橙色のA近くに位置しています。標高は200mから250mの間のはずです。
 

フローレに海側から入るには2つの入り口がある。
左側が Furore Marina di Praia、右側が Furore Fiordo
Source:Google Map

 以下の写真は、Marina di Praia(上の写真の左側の○)です。


Furore Marina di Praia
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2011.3

 下はフローレの Fiordo (右側の○)です。両者は地形、構造が似ていますが、フローレにありながらまったく別のものです。
 

橋の上から Fiordoを見たところ。奧の崖の谷は切り込みがかなり深い
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2011.3

 以下はフローレのFiordoに降りる入り口に立つ青山貞一です(これは2011年3月)。


フローレのFiordoに降りる入り口に立つ青山貞一
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S8 2011.3


フローレのFiordoを橋の上から見る池田こみち
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2011.3


フローレのFiordoを橋の上から釣りをしている住民を見る池田こみち
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2011.3

■フローレの歴史と特徴、文化

 ポジターノから海岸沿いにアマルフィに向かって狭く古い道路を走ります。プライアーノを過ぎて少し進むといきなり渓谷の奧深くに入るヘアピンカーブに出会います。ここからがフローレです。


断崖絶壁の「裂け目」を通るヘアピンカーブ Furore Marina di Praia
出典:Google Map

 フローレというコムーネは、沿岸域の断崖絶壁に出来た2つの「裂け目」によって形成されています。イタリア語では、Marina di PraiaとFiordoの2つの大きな裂け目です。言うまでもなく、Fiordoはフィヨルドを意味します。

 また、この二つの「隙間」の間には切り立った断崖の上にわずかな居住地と棚田のような耕作地があり、村人の多くはそこにへばりつくように暮らしています。

 とはいえ、フローレ村には耕作可能な土地がほとんどなく、海岸沿いのわずかな土地も居住には適さないため、断崖絶壁上の荒れ果てた土地に住むことを余儀なくされれてきたといえます。

 この地に最初に定住したのは、そのほとんどがアマルフィからの難民であったと思われる漁師、職人、農民たちであった。

フローレの写真
フローレ (トリップアドバイザー提供)

フローレの写真
フローレ (トリップアドバイザー提供)

 その昔、サラセン(イスラム)がイタリアに侵略してきたとき、フローレの断崖絶壁にある2つの「隙間」が上陸を許すことになったという皮肉があります。つまり、アマルフィ海岸のその他の場所は急峻な断崖絶壁ばかりであり、フローレの2つの「裂け目」がサラセンの侵入を可能としたということです。

 フローレは、ローマ帝国時代、ローマ人グループがカプリ島からアマルフィ海岸沿いをさまよい、フローレのフィオルド(Fiordo)から切り立ったアマルフィ海岸に入り、その崖の上を最初の入植地としたという説もあります。

 一方、フローレという名前は、1400年にナポリに移住したローマの貴族が、フローレに入り、貧しいながらも正直に働く未婚女性に感心して名付けたと言う言い伝えもありmす。

 さらにフローレという名は、ゴツゴツとした岩に押し寄せる波が恐ろしいほど大きな轟音を発し、とりわけ嵐の夜に大荒れの海の轟音からその名を取ったという説もあります。確かに、英語のFurore には、喧々囂々(けんけんごうごう)という訳があります。

フローレの写真
フローレ (トリップアドバイザー提供)

フローレの写真
フローレ (トリップアドバイザー提供)

フローレの写真
フローレ (トリップアドバイザー提供)

フローレの写真
フローレ (トリップアドバイザー提供)

 現在のフローレでは、漁業以外に手作りの工芸製品や酪農製品(pasteurising)さらにオリーブをつかった製品、急斜面の棚田でつくるブドウや鮮やかな黄色をしたレモン、野生のブラックベリーなどが村の特産となっています。


断崖絶壁にあるフローレの家やホテル 
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2011.3

フローレの写真
フローレ (トリップアドバイザー提供)

フローレの写真
フローレ (トリップアドバイザー提供)



 フローレの村民は、日常的に車を使っていますが、SS163というアマルフィ海岸沿いの幹線道路をを走る路線バスに乗車する場合には、フローレ村から Furore Fiordo に至る約1000段の石の階段を走って降りているようです。走らない場合は約40分、走ると約20分かかります。私達は翌日、B&B前に出発点があるこの階段をバス停まで降りてみましたが、50分ほどかかりました。

つづく

フローレ・コムーネの基礎データ

自治体
名称
距離 標高
(m)
人口 世帯 平均
年齢
製造業
企業数
従業
員数
サービス
企業数
従業
員数
一次
企業
就業
者数
行政
事務所
職員
自動車
保有
台数
住民
所得
総計
(億円)
住民
平均
年収
(万円)
Furore 55 0-656 810 353 40.6 20 77 13 22 30 78 5 23 737 6.7 78.8

Source:青山貞一・池田こみち、環境総合研究所(東京都品川区)