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アンコール遺跡群現地調査報告


プノン・クーレン
(Phnom Kulen)


青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
2019年1月24日公開
独立系メディア E-Wave Tokyo 
無断転載禁
アンコール遺跡全体目次

<北東部郊外の寺院・遺跡>
バンテアイ・スレイ1
  バンテアイ・スレイ2  バンテアイ・スレイ3
バンテアイ・スレイ4  バンテアイ・スレイ5  プノン・クーレン
クバール・スピアン1  クバール・スピアン2   クバール・スピアン3 
べンメリア1  べンメリア2  ベンメリア3  ベンメリア4
コーケル1  コーケル2  コーケル3  コーケル4   コーケル5



プノン・クーレン(Phnom Kulen)

 プノンクレーン(Phnom Kulen)は、アンコール発祥の地と言われて聖なる山です。シェムリアップから北へ約50kmのところにクレーン山の麓があり、その後約30分ほど登ったところの山頂に、滝やプレアアントン涅槃像、千本リンガの遺跡があります。

 現在でも信仰の場になっており、カンボジア全土から多くの人が訪れています。通常の観光客が入らない山中には50を超える寺院や彫像などの遺跡があると言われていますが、地雷が残っている確率があり、現地ガイドの同行がなければ危険です。また、観光には時間制限があり、正午を過ぎると車での入山は出来なくなります。


アンコール遺跡・寺院地図

プノン・クーレン(クーレン山、 Koulen Mountain、「ライチの山」の意)は、カンボジアのシェムリアップ州に位置する山岳地帯す。


Phnom Kulen, Cambodia
souece:Wikimedia Commons


プノン・クーレン の位置

地勢

 プノン・クーレンは、丘というよりはむしろダンレク山地の南に横たわる穏やかな高さの小山の台地が独立した小山脈です。シェムリアップの北東約40キロメートルに位置し、その範囲は北西-南東(西北西-東南東)約30キロメートルにおよんでいます。

 その最頂地点は487メートルである[3]。プノン・クーレンの標高は比較的一定で、連なりのすべてにわたって平均およそ400メートルであるが[1]、南東側に向けてやや高い[2]。

地質学的にプノン・クーレンは砂岩で形成される。アンコール時代の採石場として重要であり、その主要な採石場が、山塊の東南方向に位置していた[4]。

プノン・クーレンの大滝


プノン・クーレンの大滝
Source:Wikimedia Commons

 チュ・プリア (Chup Preah) が、小川として山の渓谷に流れ込んでいる。プノン・クーレンには主となる2つの滝がある。第1の滝は高さ4-5メートル、幅20-25メートル。第2の滝は高さ15-20メートル、幅10-15メートルであり、これらの値は乾季および雨季による。

保護区

 詳細は「プノン・クーレン国立公園」を参照

 プノン・クーレン国立公園の地域保護区が、スヴァイ・レン (Svay Len) とヴァ・リン (Va Rin) の区域にまたがってある。その目的は、いくつかの素晴らしい滝のような、プノン・クーレンの山の自然的景観の要素を保全するための科学および活動です。

 プノン・クーレンは、アンコール・ワットの北東30キロメートルに位置し、その名は「ライチの山」("Mountain of the Lychees")を意味する。この連なる山上に聖なる高丘の地があります。

 プノン・クーレンは、カンボジアにおいて聖なる山と見なされ、巡礼に山を訪ねるヒンドゥー教徒や仏教徒にとって特別な宗教的意義があります。またそこは王ジャヤーヴァルマン2世が、西暦紀元802年にジャワからの独立を宣言した場所がプノン・クーレンであったことから、古代クメール王朝の発祥の地として、カンボジア人に対して大きな象徴的重要性を持っています。

プノン・クーレンの1,000本リンガ


プノン・クーレンの1,000本リンガ
Source:Wikimedia Commons

 ジャヤーヴァルマン2世は、802年より王の崇拝、リンガ礼拝を起こし、かつクメールが従属状態であったジャワからの独立を宣言した(これが実際の「ジャワ (Java)」、もしくは「ラヴァ (Lava)」〈ラオスの王国〉)であったかは議論があります)。プノン・クーレンは、アンコール時代の碑文より、マヘンドラパルヴァタ(大インドラの山)として知られています。

 一帯は、その豊沃を象徴する彫刻と、ヒンドゥー教徒にとって特別な意味を持つその水域で知られています。1,000余の小彫刻が、水面下わずか5センチメートルの砂岩の川床に刻み込まれています。

 その水域は、ジャヤーヴァルマン2世が川で水浴するために選ばれたとされ、神聖視されています。また、そこは石の床に彫刻できるように迂回させる川がありました。彫刻には、ヒンドゥー教の神ヴィシュヌが、彼のヘビであるアナンタ(シェーシャ)の上に横たわり、彼の足元には妻ラクシュミーがいる石の描出やハスの花が、神ブラフマーのへその位置から伸び出しているものなどがあります。川はやがて滝と滝壺に終わります。


プリア・アン・トムへの参道


プリア・アン・トムへの参道
Source:Wikimedia Commons

 近くには16世紀の磨崖仏寺院プリア・アン・トム (Preah Ang Thom) があり、巨岩の上に彫られた全長8メートルとなる[2]国内最大の巨大な涅槃仏は注目に値します。

 サムレ (Samre) 族が、かつて砂岩を採石するプノン・クーレンの端に住み、国王の都にそれを輸送しました。また、クメール・ルージュは、彼らの政権が1979年より最後を迎えるまで、最終的な砦としてのその場所を使用していました。

世界遺産評価

 この地域は、1992年9月1日にユネスコの世界遺産暫定リストの文化カテゴリに追加されました。


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