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神秘のジャワ島巨大仏教遺跡視察

   
ジャワ島の東にある島々
 
青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2017年1月31日
独立系メディア E−wave Tokyo
 
無断転載禁
@ 準備と出発 A ジョグジャカルタ到着 B ジャワ島のジョグジャカルタ
C ジャワ島の大地震   D ジャワ島の東にある島々   E 民族・言語と宗教
F 滞在先ホテル1 G 滞在先ホテル2 H 滞在先ホテル3

 ここでは、せっかくですので、ジャワ島より東にあるインドネシアの島々について概要を紹介します。出典は主にWikipedia です。


出典:グーグルマップ

 ※インドネシアの主な島々    ※インドネシア観光図


◆ジャワ島の東にある主なインドネシアの島々

 ところで、ジャワ島の東部には、バリ島、コモド島などがあり、さらに東にはインドネシアから独立した東ティモールがあります。

 ここでは、ジャワ島より東にある主な島々の概要を順次紹介します。それぞれ自然豊かな歴史と個性的文化がある魅力的な島々です。

 以下は多くの日本人が観光で訪れているバリ島です。バリ・ヒンズー教があります。

バリ島



 バリ島(インドネシア語: Pulau Bali)は、東南アジアのインドネシア共和国バリ州に属する島です。首都ジャカルタがあるジャワ島のすぐ東側に位置し、周辺の諸島と共に第一級地方自治体(Provinsi)であるバリ州を構成しています。2010年の島内人口は約389万人です。バリ・ヒンズーが根ざした地域として知られていますが、1990年代以降、イスラム教徒の移民流入が目立つようになっています。


バリ島の位置

 バリ島の地域社会では、バリ・ヒンズーに基づく独特な慣習様式(アダット)に従った生活が営まれており、オランダ植民地化以後も近代行政(ディナス)と併存するかたちで続いています。21世紀に入ってもなお、バンジャールやデサと呼ばれる地域コミュニティをベースとして、様々な労働作業(ゴトン・ロヨン)や宗教儀礼が共同で執り行われており、バンジャールからの追放は「死」に等しいとまでされているほどです。

 また、バリの人々は、特定の目的ごとに「スカ」ないし「スカハ」と呼ばれるグループを形成して対応することが多くなっています。例えば、ガムラン演奏団、青年団、舞踊団、自警団、合唱団といった具合に、スカはときにバンジャールを超えて形成され、多くはバンジャールと異なり加入・脱退が自由です。こうしたありようをギアツは「多元的集団性」と呼んでいます。


儀式の準備をするバンジャールの女性たち


レコン

出典:Wikipedia


 以下はコモドオオトカゲで有名なコモド島の概要です。

◆コモド島 (Pulau Komodo)



 インドネシアの小スンダ列島にある島です。近隣の大きな島は西のスンバワ島と東のフローレス島で、行政的には東ヌサ・トゥンガラ州に属しています。面積は 390 km2、人口は約 2000 人。島の住民は、島に追放された元囚人の子孫や、スラウェシ島から来たブギス族との混血で構成されています。住民の多くはイスラム教徒で、キリスト教徒やヒンズー教徒は少数です。コモド島はコモド国立公園の一部となっており、野生の
コモドオオトカゲが生息することで特に知られています。また島には古い囚人の施設があり、数多くの観光客が訪れています。


コモドオオトカゲ


This photo of Komodo Island is courtesy of TripAdvisor


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コモド島の位置

出典:Wikipedia


 以下はコモド島の東にあるフローレス島です。

◆フローレス島



 フローレス島は、小スンダ列島を構成する島の一つである。インドネシアの東ヌサ・トゥンガラ州に属します。フローレス」は、ポルトガル語で花の意。

 西にはコモド島、スンバワ島が、東にはアドナラ島、ロンブレン島などがあります。南にはスンバ海峡を隔てスンバ島があります。北にフローレス海が広がりますがアジア大陸とつながったことがありません。

 クリムトゥ山(ケリムトゥ山とも書かれる)、エゴン山、エブロボ山、レウォトビ山、レロボレン山、イリムダ山などの火山があります。島の西部にはコモドオオトカゲが生息しています。また、固有種として、フローレス大ネズミも生息しています。


フローレス島  出典:Tripadvisor


Cette photo de Asie est fournie gracieusement par TripAdvisor


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歴史

 1992年12月12日に、マグニチュード7.8[1]を記録する地震が起こり、マウメレで2,000人が死亡しています。

 2003年、ヒト属の新種ではないかとされる身長1mほどのホモ・フローレシエンシスの骨が発見され、翌年の公表以降話題を呼びました。

 エゴン山は有史以来噴火のない火山でしたが、2008年4月15日に噴火しました。2013年8月10日、パルエ島(英語版)のロカテンダ火山(Rokatenda)が噴火しています。



 東ティモールのはるか東には、パプアニューギニアで有名なインドネシアのパフア州と西パフアがあります。以下はそのインドネシアのパフア州の概要紹介です。

◆パフア州



 パプア州(パプアしゅう、インドネシア語: Papua)は、インドネシアのひとつ州です。インドネシアの領であるニューギニア島の西半分(イリアンジャヤ)のほとんどと周辺の小島からなっています。州都はジャヤプラです。

 以前はイリアンジャヤ州 (Irian Jaya Barat) といい、島のインドネシア領部分の全体が含まれていましたが、2002年にパプア州と改称し、2003年、西イリアンジャヤ州(現、西パプア州)が分離しました。分離前は、面積 420,981 平方キロメートル、人口293万人(2002年)です。


パフア州の位置

 パプア州の住民は大きく、古くからの先住民であるパプア人と、アウストロネシア系諸民族に分かれます。アウストロネシア系諸民族はさらに、古い移民で先住民に含められるメラネシア人と、インドネシア領時代の最近の移民に分かれています。

 人口比は、パプア人が52%、その他が計48%です (2002年 西パプア州分離前)。先住民(パプア人・メラネシア人)が82.52%、その他が計17.48%とするデータもあります。

 イスラム教国のインドネシアにおいて、このパフア州はキリスト教徒が4分の3を占めています。これは、この地がインドネシア本土に成立してきたイスラム諸王朝の勢力範囲外だったためイスラム教が広まらず、近代になって白人宣教師が先住民(パプア人・メラネシア人)にキリスト教を布教したためです。

出典:Wikipedia


出典:Wn.com


 以下はそのインドネシアの西パフア州の概要紹介です。

◆西パフア州



 西パプア州(インドネシア語:Papua Barat)はインドネシアの州です。

 州都はマノクワリである。同州はニューギニア島の最西端のバードヘッド半島(オランダ語:Vogelkop インドネシア語:Kepala Burung)に位置しています。

 北には太平洋が南にはセラム海が広がっている。また西では北マルク州、マルク州に、東はチュンデゥラワシ湾 (Cenderawasih) に接しています。東南でパプア州と州境を接します。人口は2014年時点で約88万人でインドネシアの中で非常に人口の少ない州です。


西パフア州の位置

歴史

 2003年2月にパプア州から西部地域が分離することで成立しました。この分離は多くの問題を残しています。ジャカルタの中央政府・移民は効率的な資源管理と公平な利益分配のために分離を支持しました。しかし、パプア州全体では、パプア独立派を押さえるために発行されたパプア州特別自治法が脅かされると考え、分離に反対する人が多かったようです。

 2004年11月、インドネシア法廷は「西パプア州分離はパプア州特別自治法違反」との見解を出しましたが、すでに州の分離が行われていることから、まだ分離が行われていなかった中部イリアンジャヤ州の設置を禁じるのみに留まりました。

 2007年2月7日、西イリアン・ジャヤ州 (Irian Jaya Barat) から西パプア州に改名しました。

 2010年10月上旬、トゥルク・ウォンダマ県に集中豪雨があり、洪水や土砂災害が発生しました。100人以上の死者を出し、5,000人以上が避難する規模となっています。


出典:Wikipedia


Sail Raja Ampat2014 西パプア州ラジャ・アンパット県6月に「セイル・インドネシア」
出典:インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)



 以下はジャワ島の北東にあるスラウェシ島です。

◆スラウェシ島(旧セレベス島)



スラウェシ島(インドネシア語:Sulawesi)は、インドネシア中部にある島です。

 植民地時代はセレベス島(Celebes)と呼ばれたが、インドネシア独立後は一般的にはスラウェシ島と呼ばれています。一部が赤みがかったタロイモの品種であるセレベス芋は、この島が原産です。

 面積は17万4600平方キロメートルで、世界第11位、インドネシアでは第4位の大きさを誇ります。

 西にカリマンタン島、東にマルク(モルッカ)諸島、北にセレベス海を挟んでミンダナオ島、そして南にフロレス海を挟んで小スンダ列島(ヌサ・トゥンガラ諸島)が位置しています。

 環太平洋造山帯とアルプス・ヒマラヤ造山帯の合流点にあるため地形は複雑であり、特徴あるアルファベットのKの字のような形状をしています。

 山がちな地形であり、最高所として標高3,455mのランテコムボラ山を有し、トウティ湖等の湖もあります。そのため、各地域は交流が少なく独自性が強くなり、長らく島としての一体性が弱かったと言えます。

 島の東側の3つの湾(トミニ湾、トロ湾、ボネ湾)のうち、一番北のトミニ湾に浮かぶウナウナ島のコロ山は1983年に大噴火を起こしたが、全島避難により間一髪で人的被害を免れました。スラウェシ島の最大の都市は、南西端にあるマカッサル。その他の主要都市として、南東部にケンダリ、北部のミナハサ半島にはゴロンタロやマナドがあります。


マナドの景色  出典:Wikipedia


This photo of Sulawesi is courtesy of TripAdvisor


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歴史
 1525年に島を訪れた最初のヨーロッパ人は、モルッカ諸島より金の探索に派遣されたポルトガル人でした。島は曲がった形をしているので当時は列島であると信じられていて、金を産出しているとの噂が流れていました。

 1605年にオランダ人がやってきて、直後にイギリス人が続きマカッサルにファクトリーを設立した。

 1660年よりオランダはマカッサル西海岸の主力であるゴワ王国との戦争に突入した。

1669年にスペルマン提督が、ゴワ・スルタン国のスルタン・ハサヌディンにボンガヤ条約を署名させました。条約はオランダ東インド会社の支配に関するものでした。

  1905年に島全体がオランダ領東インドの植民地となりました。

 第二次世界大戦南方作戦の1942年1月11日のメナドへの侵攻、1月24日のケンダリーへの上陸・占領、2月8日のマカッサル攻略作戦。その後、日本軍第2方面軍が占領しました。

 革命中に悪名高いオランダのターク・ウェスターリング大尉が3000から4000人もの人を殺害したとされるインドネシア独立戦争(インドネシア革命)の後、1949年スラウェシは独立したインドネシア連邦共和国の一部となり、1950年インドネシア連邦共和国はインドネシア共和国となっています。



 さらに以下はインドネシアではありませんが東ティモール民主共和国の紹介です。

◆東ティモール民主共和国




 通称東ティモールは、アジア(東南アジア)地域に位置する共和制国家です。1999年8月30日、国連主導の住民投票によりインドネシアの占領から2002年5月20日独立しました(ただし、国際法上はポルトガルより独立)。

 21世紀最初の独立国である。ポルトガル語諸国共同体加盟国です。東ティモールは島国であり、小スンダ列島にあるティモール島の東半分とアタウロ島、ジャコ島、飛地オエクシで構成されています。

 南方には、ティモール海を挟んでオーストラリアがあり、それ以外はインドネシア領東ヌサ・トゥンガラ州(西ティモールを含む)です。



東ティモールの位置


東チモール (トリップアドバイザー提供)


東チモール (トリップアドバイザー提供)


東チモール (トリップアドバイザー提供)

出典:Wikipedia



つづく