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千葉県北東部寺社短訪

正峯山 妙興寺多古町)


青山貞一 Teiichi Aoyama・池田こみち Komichi Ikeda
2021年11月19日視察 2021年11月24日公開
独立系メディア E-wave Tokyo
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妙興寺4


 ここで日蓮宗 正峰山 妙興寺の由緒、縁起などを紹介する

 まずは妙興寺の概要と由緒。創建は正安2年(1300年)の鎌倉時代と古く、日蓮上人の直弟子、中老の日辨(日弁)が創建している

 山号  正峰山
 宗旨  日蓮宗
 創建  正安2年(1300年)
 開山  日辨
 別名  峯の寺
 住所 千葉県香取郡多古町南中344-2


 正峰山妙興寺は日蓮上人の直弟子、中老の日辨が正安2年(1300年)に創建したとされる。二世の日忍の頃に現在の場所(多古町)に移り、山号を正峰山と改めた。以降、通称「峯の寺」と呼ばれ親しまれている。立派な山門には多古藩主の定紋があり、多数の寺宝が所蔵される寺としても知られている。

 次は地元自治体、千葉県多古町による妙興寺の紹介である。

正峰山 妙興寺 歴史の重さを感じさせる名刹、峰の寺

                            正峰山妙興寺

 寺域に本堂、山門、鐘楼などが建ち並び歴史の重さを感じさせる名刹、正峰山妙興寺。日蓮上人の直弟子、中老日辨によって正安2年(1300)年に創建された。二世日忍の時に現在の峰の地に移り、山号を正峰山と改めて以降、通称「峯の寺」と呼ばれている。

 威風堂々たる構えの山門は明和2年(1765)、三世日精の代に建てられ、多古藩主の定紋が附されている。

 寺には、弘安2年(1279)に日辨に与えた日蓮直筆の曼陀羅、立正安国論草稿のほか、日辨御持扇地紙、日祐・日尊・日親の曼陀羅、正木大膳時茂、原胤栄の制札など、多数の寺宝が所蔵されている。

 また寺内には、多古藩主久松氏の墓地、演劇で有名な「鏡山おはつ」のモデルとされる忠婢さつの墓がある。


                                 出典: 千葉県多古町


 
※注) 日弁(1239年(延応元年)- 1311年7月12日(応長元年))
  日弁は、鎌倉時代の法華宗(日蓮宗)の僧。日辨(旧字体)とも。
  越後房。越後阿闍梨。中老僧の一人。1239年(延応元年)駿河
  国富士郡に生まれる。1251年(建長3年)天台宗の滝泉寺にて
  出家。名を宥弁と称す。1275年(文永12年)身延山に日蓮を訪ね、
  「真言亡国とはいかなる義なりや。」と詰問。ものの見事に論破さ
  れる。弟子となることを許され、日弁の名を賜る。

 

 さらに、以下は明治時代に書かれた『中村寺院明細帳』による妙興寺の由緒と伽藍概要。文語の長文だが紹介する。
 
   千葉県管下々総国香取郡中村南中字横宿
                                  法華経寺末
                                  日蓮宗 妙興寺
一、本尊   釈迦牟尼仏
一、由緒   正安二年(一三〇〇)日蓮上人ノ門弟日弁開基ナリ。日弁ハ藤原ノ信成卿ノ孫ナリ。元天台宗ノ僧ニシテ、富士郡下方ノ瀧泉寺ノ別当タリシ時、日蓮上人ハ宗旨建立ノ際ニテ、数々宗義ヲ討論シ終ニ日蓮上人ニ帰伏セリ。依之下方ノ令主・平ノ左近将監入道行智怒リテ、日弁ヲ公場ニ訴ヘ擯逐ス。奥ニ檀徒内記ト云フ者アリ、日弁ヲ助ケテ上総国鷲ノ巣ニ至リ、一宇ヲ建立セシ即チ長国山鷲山寺是ナリ。然シテ後、下総国大嶋城ニ到リ一寺ヲ創立シ、正円山妙興寺ト名ク。其後日弁ノ直弟日忍ナルモノヲ同国中村ニ移シ、山号ヲ改メテ正峯山妙興寺ト名ク。尓来六百年ニ垂ントス。故ニ弘安二年(一二七九)四月日蓮ヨリ日弁ニ授ケラレタル大曼荼羅、安国並ニ日蓮上人ノ直筆ナリ等今ニ当寺ニ存在セリ

一、堂宇間数 間口七間 奥行七間.....本堂
一、庫裏間数 間口六間 奥行拾間.....庫裏
一、客殿間数 間口九間 奥行七間.....客間(書院)
一、鐘楼堂  間口弐間 奥行弐間.....鐘楼
一、惣門   間口三間 奥行弐間......総門
一、山門   間口六間 奥行四間......山門
一、経堂   間口二間三尺 奥行二間三尺.....経堂
一、境内坪数 三千百四坪 官有地第四種......境内面積
一、境内仏堂 壱宇......境内内の仏堂(本堂)
  妙見堂
   本尊 妙見大菩薩......本尊
   由緒 宝暦年(一七五一~六三)ノ創立......創立年
   建物 間口六尺 奥行六尺......建物の、間口と奥行
一、境外所有地......境内外の所有地
        (別記)
一、檀徒人員  五百人......壇林の収容人数
                                             
 由緒縁起についての重要な付記・証文などはいずれもその写が保存されており、参考としてその一部を次に収録した。
 
一、日蓮肖像について
 一、祖像口伝
 弁師御孝心深クシテ自ラ彫二-刻シテ祖像一請ヒ二直御点眼ヲ一給フ時ニ宗祖点眼シ給イ契約シテノ玉(タマ)ハク、殿ノ孝心予感スル事深シ、故ニ望ニ任セ点眼シテ日蓮カ魂魄ヲ込ル所也。弥々弘法ノ志ヲ励シ廣宣流布ヲ祈リ玉ヘト。祝シテ御持参ノ末廣ヲ賜ハリ、何地何国ノ末ナリトモ此ノ像ヲ安置シテヲワサハ、日蓮カ魂魄此像ニ止リ、法華ノ行者ヲ守護シテ二世ノ所願ヲ成セシムヘシ 云云明記
 
二、日蓮御真骨について
   奉伝授大聖人御舎利事
   令知見法華経中仏〓(菩薩)給不存偽候
 右御舎利者、於武州池上荼毘之庭和泉公日法[号円性御房日弁之弟子]、悲歎恋慕之余竊於火中盗取之奉入当山[上総国鷲栖法華道場]畢凡正真之婆羅門、竊納仏舎利於爪中山弘法沙門忍得尊師御骨於火中爰自故、先師日弁以来二代相伝之間安置年久而崇敬日新、雖然任所願成就之旨所令分奉御舎利内三粒、下総国中山法花堂也。且為後輩之疑且為致崇重之誠載誓状之語録之者如件
   暦応二年太歳己卯(一三三九)十一月廿六日  大法師日忍 在判
 依当山安堵立願奉御舎梨之内三粒 中山別当御房之時曰記為後日留之。日忍在判
 
三、立正安国論草稿について
   廿幅物之奥書
 右当本者、御高祖此論御撰作之時ノ御案文ニテマシマシ候由申シ伝ヘ候。然間、御高祖三十七八九之時ノ御筆タルヘク候歟。末ノ半紙紛失不申定テ其時ノ年号、御判等御座アルヘク候ニ、紛失申シ候。無其曲候。御高祖ヨリ弁師ヘ御付属ニ候。弁師ヨリ忍師ヘ御付属ニテ、忍師ヨリ当寺代々相伝申、只今日等頂戴申処也
   弘治三年巳(一五五七)七月三日      行法院日等(七世)
 
四、由緒についての付記・異説

 イ 譲曰、鷲山寺ノ縁起ニハ、滝泉寺塔中四ケノ法務ノ中両人身延ニ行テ討論シ昼夜終屈伏シテ入道行智ヲ改宗セシメントス。行智怒テ四人ヲ責、両人ハ忽ニ真言ニ皈ス、二人ハ不レ伏、所レ謂日秀、日弁ナリ。日秀行智ノ怒ヲ恐テ本宗ニ皈ス、弁師不穏終ニ出行スト云云

 ロ 日忍下総ニ居住之事
  御本云、此申状ハ駿河国富士下方滝泉寺ハ日弁重代ノ所領也。法花経ノ故ニ被二没収一之時給ル此御案文合メ十紙ニテ畢ス、此内半紙アリ、但シ奥ノ三紙ハ別筆ト見ヘタリ、然ルニ入筆裏書ハ御自筆(日蓮の)也
    于時暦応四年辛巳(一三四一)十二月廿日
     於二下総国千田ノ庄大嶋ノ城一為二末代一記之 日忍 在判

 ハ 大嶋ノ城ト者、船越篠本ノ間ニテ小嶋ト云処アリ、今ハ船越ノ内也。此処ニ円山ト云山アリ、当山大嶋ノ城ニ在ル時ハ正円山ト云ヒ、今ノ峰ニ移リテ正峰山ト改ルト云フ旧記ノ言ヲ以テ考レハ、初ノ正円山モ処ノ名ヲ以テ山号トスル歟。若尓ハ忍師暦応年中最初開闢ノ処ハ恐ハ此今ノ小嶋円山ノ内ナルヘシ。元ト大嶋ナレトモ後ニ訛テ小嶋ト唱ル歟。後日尋問ヘハ大嶋トハ今嶋村ノ事ナリト云ヘリ。若尓ハヤハリ今嶋ナルヘキ歟
    明云、前段ニハ其後峰ヘ移ル其峰ヲ今ハ田胡城ト云 云。若尓ハ峰ト云ハ元ノ田胡ノ城ノ地名ニシテ、峰ノ妙興寺ト唱ヘシ故今 地ニ来テモ峯ト云巨峰山ト云カ、但シ正ク今ノ地ヲ峯ト云カ。不審
 
 
妙興寺へのアクセス

所在地
千葉県香取郡多古町南中344-2

自動車をご利用の方

 東関東自動車道成田ICより約30分
 東関東自動車道大栄ICより約30分
 銚子連絡道路横芝光ICより約20分

電車・バスをご利用の方
多古市街地まで

 空港第2ビル駅より、多古-成田空港間シャトルバス(多古行)多古町役場前下車。
芝山千代田駅より徒歩約2分、整備地区バス停より、多古-成田空港間シャトルバス(多古行)多古町役 場前下車

 JR成田駅より、JRバス(多古行・八日市場行)多古新町下車
 JR八日市場駅より、JRバス(多古行・成田行)多古新町下車
 JR横芝駅より、千葉交通バス(多古行・八日市場行)多古新町下車
 JR佐原駅より、JRバス(多古行)多古仲町下車
 東京駅より東関東自動車道高速バス(多古・匝瑳方面行)道の駅多古下車

多古市街地から正峰山妙興寺へ

 多古新町、多古町役場、道の駅多古より多古町循環バス(常磐・中ルート)東谷下車 徒歩10分

多古新町よりJRバス(八日市場行)南中下車 徒歩10分

 駅から直通
成田駅・芝山千代田駅よりJRバス(多古行・八日市場行)南中下車 徒歩10分
八日市場駅よりJRバス(多古行・成田行)南中下車 徒歩10分


妙興寺4へつづく