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伊能忠敬と日蓮の足跡を
たどる千葉の旅
 

地図の種類・特徴・精度、測定法等

青山貞一 Teiichi Aoyama・池田こみち Komichi Ikeda
Dec.11, 2018 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁


千葉視察総合目次

隠居・観測・測量 一次測量(蝦夷地) 二次測量(伊豆・東日本)
三次測量(東北・日本海)、四次測量(東海・北陸)
五次測量(近畿・中国)、六次測量(四国)
七次測量(九州一次)、八次測量(九州二次)
九次測量(伊豆諸島)、十次測量(江戸府内) 
地図作成作業と伊能忠敬の死
地図の種類・特徴・精度、測定方法等
伊能忠敬記念館  伊能忠敬年表
参考・芝丸山古墳と伊能忠孝記念碑
参考・忠孝測量の碑と星座石
参考・伊能忠敬九十九里記念公園
参考・伊能忠敬参照文献一覧

伊能忠敬

地図の種類・特徴

 忠敬とその弟子たちによって作られた大日本沿海輿地全図「伊能図」とも呼ばれています。縮尺36,000分の1の大図、216,000分の1の中図、432,000分の1の小図があり、大図は214枚、中図は8枚、小図は3枚で測量範囲をカバーしています。この他に特別大図や特別小図、特別地域図などといった特殊な地図も存在します。

 伊能図は日本で初めての実測による日本地図です。しかし測量は主に海岸線と主要な街道に限られていたため、内陸部の記述は乏しいものとなっています。測量していない箇所は空白となっていますが、蝦夷地については間宮林蔵の測量結果を取り入れています。

 地図には沿道の風景や山などが描かれ、絵画的に美しい地図になっている点も特徴の1つです。 最後は弟子たちによって、作られました。


最終の伊能図と一緒に幕府に提出された「輿地実測録」の中には、大図の接合法を示す一覧図もおさめられている(国立公文書館蔵)
出典:伊能忠敬の地図、注目再び 各地に写本、知識層に拡大か 朝日新聞 2018年6月5日
 

地図の精度

 忠敬は地図を作る際、地球を球形と考え、緯度1度の距離は28.2里としました。そしてこの前提のもと、測量結果から地図を描き、その後、経度の線を計算によって書き入れました。伊能図の経緯線はサンソン図法と同じです。

 忠敬が求めた緯度1度の距離は、現在の値と比較して誤差がおよそ1,000分の1と、当時としてはきわめて正確でした。また、各地の緯度も天体観測により多数測定できました。

 そのため緯度に関してはわずかな誤差しか見られません。

 一方で経度については、天体観測による測定が十分にできなかったこと、地図投影法の研究が足りず各地域の地図を1枚にまとめるときに接合部が正しくつながらなかったこと、後から書き加えた経線が地図と合っていなかったことなどの理由で、特に北海道と九州において大きな誤差が生じています。

その後の伊能図

 忠敬死後、地図は幕府の紅葉山文庫に納められました。その後の文政11年(1828年)、シーボルトがこの日本地図を国外に持ち出そうとしたことが発覚し、これに関係した日本の蘭学者(高橋景保ら)などが処罰される事件が起こりました(シーボルト事件)。

 シーボルトは内陸部の記述を正保日本図などで補っているため、実際の地形と異なる地形が描かれています。

 江戸時代を通じて伊能図の正本は国家機密として秘匿されましたが、シーボルトが国外に持ち出した写本を基にした日本地図が開国とともに日本に逆輸入されてしまったために秘匿の意味が無くなってしまいました。慶応年間に勝海舟が海防のために作成した地図は逆輸入された伊能図をモデルとしています。

 伊能図は明治時代に入って、「輯製二十万分一図」を作成する際などに活用されました。この地図は、後に三角測量を使った地図に置き換えられるまで使われています。

 伊能図の大図については、幕府に献上された正本は明治初期、1873年の皇居炎上で失われ、伊能家で保管されていた写しも関東大震災で焼失したとされています。

 しかし2001年、アメリカ議会図書館で写本207枚が発見されました。その後も各地で発見が相次ぎ、現在では地図の全容がつかめるようになっています。2006年12月には、大図全214枚を収録した『伊能大図総覧』が刊行された。

測量方法

 忠敬が測量で主に使用していた方法は、導線法と交会法です。これは当時の日本で一般的に使われていた方法であり、実際に測量作業を見学した徳島藩の測量家も、伊能測量は特別なことはしていないと報告しています。当時の西洋で主流だった三角測量は使用していません。

 忠敬による測量の特徴的な点は、誤差を減らす工夫を随所に設けたことと、天体観測を重視したことにあります。

導線法・交会法

 導線法とは、2点の距離と方角を連続して求める方法です。


伊能忠敬の導線法の説明図
出典:伊能忠敬の測量

 測量を始める点に器具を置き、少し離れたところに梵天(竹の棒の先に細長い紙をはたきのように吊るしたもの)を持った人を立たせます。

 そして、測量開始地点から梵天の位置までの距離と角度を測ります。測り終えたら、器具を梵天の位置まで移動し、別の場所に梵天持ちを立たせ、同じように距離と角度を測るのです。これを繰り返すことで測量を進めてゆきます。

 導線法を長い距離にわたって続けると、だんだん誤差が大きくなってきます。その誤差を修正するために交会法が使われます。


交会法の説明図
出典:伊能忠敬の測量

 交会法とは、山の頂上や家の屋根など、共通の目標物を決めておいて、測量地点からその目標物までの方角を測る方法です。導線法で求めた位置が正しければ、それぞれの測量地点と目標物を結ぶ直線は一点で交わるので、この方法で導線法による誤差を確かめることができます。

 さらに忠敬はこれに加えて、富士山などの遠くの山の方位を測って測量結果を確かめる遠山仮目的(えんざんかりめあて)の法などを活用していました。


杖先につけた方位磁石盤=伊能忠敬記念館蔵
出典:伊能忠敬の地図、注目再び 各地に写本、知識層に拡大か 
朝日新聞 2018年6月5日


伊能忠敬の量程車(複製)。国立科学博物館の展示
Source:Wikimedia Commons

天体観測


天体観測用の器具「中象限儀」=伊能忠敬記念館蔵
出典:伊能忠敬の地図、注目再び 各地に写本、知識層に拡大か 
朝日新聞 2018年6月5日

 測量にあたって天体観測を活用することで、観測地の緯度や経度を求めることができるため、地図の精度が向上します。

 このことは忠敬が測量を始めるおよそ80年前に建部賢弘が指摘していました。しかしそれを実行に移したのは忠敬が初めてです。忠敬は測量中、晴れていれば必ず天体観測を行なうようにしており、宿泊場所も観測器具が置けるだけの敷地があるところを指定していました。全測量日数3754日のうち、1404日は天体観測を行っています。

 主な観測内容は、恒星の南中高度、太陽の南中、日食、月食、木星の衛星食などです。また、文化2年(1805年)に家島で彗星を見たという記録が残っています(ビエラ彗星と推定されています)。


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