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寺社仏閣の「明治村」?

狭山山不動寺(所沢市)

18.台徳院霊廟 詳細2


青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda


December 8 2014
Alternative Media E-wave Tokyo
無断転載
@調査の背景と目的 E第二多宝塔、康信寺 J桂昌院宝塔 O御成門
A狭山不動寺全体 F大黒天 K本殿、書院晴明閣 P台徳院霊廟詳細1
B桜井門・石灯籠 G羅漢堂 L徳川霊廟門 Q台徳院霊廟詳細2
C石灯籠の全国移築1 H鐘楼・総門 M丁子門 R崇源院霊廟詳細
D石灯籠の全国移築2 I第一多宝塔 N勅額門
歴代徳川将軍家家系 徳川歴代将軍の生誕・没年月日と将軍在位期間

撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-12

◆台徳院霊廟 詳細2

 ここでは、主に台徳院霊廟に関連した往事の写真を紹介します。
 
 以下は昭和20年以前の増上寺にあった徳川将軍家の霊廟及び石塔、宝塔の位置図です。台徳霊廟は、増上寺の下側(南側)にあります。


昭和20年の戦災以前の増上寺霊廟図  出典:増上寺配付資料

 
 霊廟造営にあたっては、総奉行を土井利勝が務め、副奉行の(大工)鈴木長次、木原義久等、棟梁の甲良宗広と宗次父子、平内正信等が造営にあたりました。

 拝殿は桁行五間、梁間三間、入母屋造千鳥破風付で、前面に唐破風造の向拝を設けていました。本殿は方五間、入母屋造。外見は重層に見えますが一重裳階(もこし)付きで、方三間の身舎の周囲に裳階(もこし)をめぐらしています。

 全体に禅宗仏堂風のつくりであるが内部は土間でなく畳敷きとしており、宮殿(くうでん)形の厨子を安置しています。拝殿・本殿間を桁行四間、梁間一間の相之間でつないでいます。各建物は屋根を銅瓦葺きとし、内外を装飾彫刻、彩色、漆塗等で荘厳としています。

 奥院宝塔は円柱形の塔身の上に宝形屋根を載せた形式の木造塔で、平面八角形で裳階付きの覆屋内に安置されています。

 上記の主な出典:Wikipedia

 下は、台徳院霊廟中門と透塀ですが、焼失しています。


出典:http://markystar.wordpress.com/2013/05/29/daitokuin/

 下は、台徳院霊廟奥院中門と玉垣です、焼失しています。奥院中門の後ろに見えるのが拝殿です。


出典:http://markystar.wordpress.com/2013/05/29/daitokuin/

 なお、以下は、台徳院霊廟奥院宝塔覆屋外観です。

 上の絵地図の中央上にある丘にあるのが台徳院霊廟奥院宝塔覆屋です。


台徳院霊廟奥院宝塔覆屋外観
出典:http://markystar.wordpress.com/2013/05/29/daitokuin/

 下は、焼け落ちた増上寺の南にあった台徳院霊廟奥院宝塔覆屋です。


台徳院霊廟の中心部、台徳院霊廟奥院宝塔覆屋の空襲による残骸
出典:http://markystar.wordpress.com/2013/05/29/daitokuin/

 ※ 外国文献にもこの台徳引例病が紹介されています。
   http://markystar.wordpress.com/2013/05/29/daitokuin/
 

焼失前の台徳院霊廟の古写真  左右水盤舎


焼失前の台徳院霊廟の御成門


焼失前の台徳院霊廟の古写真  奥院中門・玉垣・宝塔覆屋

 以下の増上寺の特別拝観でいただいた絵はがきの写真の一部です。


@台徳院殿(二代秀忠公)霊廟 惣門
 寛永9年(1632)造営。旧国宝、現 国指定重要文化財。
 台徳院殿霊廟の表門にあたり、奥にみえる勅額門から本殿、奥院へと続く。
 戦災による焼失を免れた数少ない建造物。



A台徳院殿(二代秀忠公)霊廟 奥院宝塔
 旧国宝。寛永9年(1632)造営、昭和20年(1945)戦災にて焼失。
 奥院、八角の覆堂内部に祀られた宝塔(墓塔)。装飾美麗であり、当時の工芸
 美術の粋を尽くしたものであった。


つづく