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増上寺の宝物

大英博物館から里帰りした台徳院霊廟模型

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda


September 18 2015

Alternative Media E-wave Tokyo
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◆東京芝の増上寺の宝物
@阿弥陀如来立像 黒本尊祈願会
A三大経蔵(宋版・元版・高麗版)
B戦前の南北御霊屋・霊廟・宝塔の行先
C御南霊屋の台徳院霊奥院・宝塔(丸山古墳)
D大英博物館から里帰りした台徳院霊廟模型
歴代徳川将軍家家系

 2015年9月25日、天気は雨でしたが、増上寺に大英博物館から里帰りした台徳院霊廟模型を見に青山、池田で行きました。

 台徳院霊廟は、下の江戸時代の増上寺の絵図にあって台徳院の奥院・宝塔の階段下にあり、まわりを透かし壁で囲われている二階建て、権現造りの拝殿と正殿を意味します。


主に御南霊屋を表す江戸時代の錦絵   出典:増上寺

 また以下は「増上寺と江戸時代の幕開け」(フジテレビ)にでてくる台徳院霊廟と増上寺です。絵図中、左側が台徳院霊廟、右側が増上寺です。増上寺は大門→三解脱門が見えます。一方、台徳院霊廟は惣門、勅額門、御成門(左上に一部)が見えます。)


出典:「増上寺と江戸時代の幕開け」(フジテレビ)

 下は台徳院霊廟台徳院奥院・宝塔との位置関係を示したものです。この台徳院霊廟は、日光の東照宮はじめ徳川家康の複数あります他の東照宮(上野、芝、川越、静岡)などで有名な権現造の構造になっています。
 
 一説には、増上寺の御南霊屋にあった台徳院霊廟は、日光の東照宮にあります家康の霊廟に勝るとも劣らぬ壮麗さをもった建築物であるとあります。それくらい素晴らしい霊廟であったにもかかわらず、第二次世界大戦の米軍空襲によりすべて焼失しました。


主に御南霊屋を表す江戸時代の錦絵   出典:増上寺

 下は台徳院霊廟の部分拡大です。霊廟は見るからに壮麗です。周りに透かし壁があり、勅額門と御成門があります。ただし、なぜかこの勅額門と御成門は、所沢市にあります狭山不動寺に移築されています。


江戸図屏風』に描かれた台徳院霊廟 部分拡大図
出典:http://markystar.wordpress.com/2013/05/29/daitokuin/

 なお、以下の写真は台徳院霊廟の全景です。右上に台徳院霊廟の拝殿・本殿が見えます。


台徳院霊廟の全景  出典:増上寺


◆大英博物館から里帰りした台徳院霊廟模型

 増上寺によれば、「平成27年は、徳川家康公没後400年にあたります。その記念すべき年に、家康公によって徳川将軍家の菩提寺と定められ発展してきた増上寺では、本堂地下1階に宝物展示室を開設することになりました。

 展示の中心となるのは、英国ロイヤルコレクション所蔵の「台徳院霊廟模型」です。台徳院霊廟は二代秀忠公の御霊屋(おたまや)として、1632年(寛永9年)、三代将軍家光公によって境内南側に造営された壮大な建築群でした。徳川家霊廟の中で最も壮麗とされる日光東照宮のプロトタイプとなった霊廟で、1930年(昭和5年)に国宝に指定されましたが、1945年(昭和20年)5月の戦災により焼失してしまいました。

 この模型は、いまではモノクロ写真でしか往時の姿をしのぶことができない台徳院霊廟の主要部分が、10分の1のスケールで製作されたものです。

 1910年(明治43年)ロンドンで開催された日英博覧会に東京市の展示物として出品。博覧会終了後に英国王室へ贈呈され、ロイヤルコレクションの一つとなり、現在まで英国にて大切に保管されてきたのです。
」とあります。


出典:増上寺


増上寺にて
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-9-15


増上寺にて
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-9-15


宝物展示室入口にて
撮影:池田こみち AUスマホ

 この台徳院霊廟の実物の1/10の模型は1910年、英国のロンドンで開催された日英博覧会に東京市(当時の市長は尾崎行雄氏)から出品されたあと、同じ英国のロンドンにある大英博物館に所蔵されていたとのことです。
 
 昨年、台徳院霊廟の実物の1/10の模型が一世紀後、増上寺に里帰りし、部分的な修正、再生作業を約一年行った後、2015年4月2日から増上寺地下一階の宝物展示室で展示されることになったのです。

 ※Magnificent model of Japanese architectural treasure returns to Tokyo

  増上寺のパンフレットによれば、「模型の製作は、東京美術学校(現東京芸術大学)が行い、古宇田実教授(建築)、高村光雲教授(彫刻)両名の監修のもと、明治末期の最高の技術をもって、忠実に再現しました。

 英国側がこの模型を日本で展示し、ひろく一般公開する意向を持ち、英国大使を通じて徳川御宗家並びに増上寺への協力依頼により本計画が実現しました。

 展示室を開設し一般公開することは、日英文化交流にとって友好のしるしとなること、そして模型が持つ美術工芸品的、資料的、歴史的価値を多くの人に知っていただける好機だと増上寺では考えています。
」とあります。

 2015年9月15日に増上寺に青山、池田が出かけた際は、週一回の休館日(火曜が休館)であり、見ることが出来なかったので、9月25日に再度増上寺に行き観ることとなったわけです。

 ということで、増上寺地下一階の宝物展示室入場時に1枚頂いたパンフレットしか写真はないので、ここではその写真を掲載します。他は増上寺がマスコミに限定し春に行ったときの新聞に掲載された写真です。

 以下は台徳院霊廟の模型が展示されている増上寺地下一階の宝物殿展示場です。真ん中に置いてあるのが台徳院霊廟の実物の1/10の模型です。


出典:入館時パンフレット(増上寺)より

 下は台徳院霊廟の実物の1/10の模型です。

 霊廟の周りに透おし壁があるのが分かります。これは日光東照宮、上野寛永寺の東照宮でも同じ構造となっています。


台徳院霊廟の実物の1/10の模型   
出典:増上寺、朝日新聞 秀忠霊廟の精巧な模型、2日から公開 東京・増上寺で 2015年4月2日


台徳院霊廟の実物の1/10の模型   
出典:増上寺、産経新聞 報道陣に披露された「台徳院霊廟」の模型 2015年4月2日

 霊廟のつくり、構造が権現造りであることが分かります。


出典:増上寺パンフ(Web)より

◆権現造について   出典:Wikidpia

 神社建築様式のひとつ。<本殿>と<拝殿>を<石の間>または<相の間>などの名で呼ばれる幣殿でつなぐものです。平安時代の北野神社にはじまり,東照宮がこれを採用して以来,近世の神社建築に多く用いられてきました。石の間造り。八棟(やつむね)造り。

 権現造(ごんげんづくり)は、日本の神社建築様式の1つです。石の間造(いしのまづくり)とも呼ばれています。本殿と拝殿の二棟を一体化し、間に「石の間(いしのま)」と呼ばれる一段低い建物を設けているのが特徴です。構造は、入母屋造・平入の3棟を、入母屋造・妻入の縦の棟で串刺し状に一体化しています。

 屋根の棟数が多い八棟造(やつむねづくり)を採用するものが多いようですが、その場合の実態は7棟です(下図参照)。


典型的な権現造の平面図  八棟造の権現造平面図、黄線が棟(日光東照宮)


図中下が拝殿、上が本殿、真ん中が石の間造

 たとえば、以下は根津神社における権現つくりの霊です。

◆青山・池田・山形・鷹取: 下町の歴史を刻む森 D本殿・幣殿・拝殿


 以下は台徳院霊廟の屋根部分と内外部です。


台徳院霊廟の実物の1/10の模型   
出典:朝日新聞 秀忠霊廟の精巧な模型、2日から公開 東京・増上寺で 2015年4月2日

 以下は台徳院霊廟の本殿内外部です。


出典:入館時パンフレット(増上寺)より

 以下は台徳院霊廟の天井部分です。


出典:入館時パンフレット(増上寺)より

 以下は1910年、英国のロンドンで開催された日英博覧会に東京市(当時の市長は尾崎行雄氏)から出品されたときの写真です。


1910年の日英博覧会で展示された台徳院霊廟模型の写真
出典:増上寺、産経新聞

 入場料は700円(大人)ですが、残念なことに、当日、まったく撮影は禁止ということで、模型もDVD上映内容も一切撮影できませんでした。まして、今回の台徳院霊廟は模型であり、もともと東京市が制作し、日英博覧会に出品したものです。

 類似のものとしては、韓国の世界遺産、海印寺、仏国寺ではごく一部を除きすべて写真撮影OKとは対照的です。また西洋ではイタリアのバチカン博物館でもごく一部(システィーニュ礼拝堂)をのぞきすべて撮影OKです。

 宝物展示場にいた男性に聞けば、今後、カラー写真版のグラビア資料を売り出すとのことです。だから撮影禁止というのでは、韓国の世界遺産の海印寺、仏国寺などと比べてもあまりにも理不尽です。また海印寺では八万教板が世界遺産、世界記録遺産になっていますが、その実物は見れなくても常時、DVDまたレプリカで参観者は見ることが出来ます。

 一方、上に示したように増上寺は新聞など大メディアには撮影許可しています。
 
 とかく、日本では欧米と異なり高額の入場料をとりながら一切撮影禁止という場所が多いのにおどろきます。 たとえば、岩手県の平泉中尊寺の金色堂なども入場料を徴収しながら撮影禁止です。といいながら、NHKなどは独占的に撮影を許可され放映しています。

 一億、総デジカメカメラマンとなり、誰でもがブログやフェイスブックに写真を掲載する時代、増上寺の対応は時代遅れであり、事大主義的あるいは権威主義的と言われても過言ではないでしょう。

  なお、模型の修復に際しては、日本各地から職人が集められたようですが、だんだん修理できる技術を
もつ人材や材料も減っているためかなりの時間と費用を要したとのことです。例えば、漆塗り、緻密な彫刻、建築、天井や壁面の彩色など。さらに言えば、日本製の漆(うるし)の生産量が激減しており、同時に漆の木の栽培や液の収集に関わる職人も激減しているという問題もあります。