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増上寺石灯籠・宝塔、移築実態調査

(東京西部・埼玉西部

清瀬市 長命寺(3)

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda


December 31, 2014
Independent Media E-wave Tokyo
無断転載禁

調査の目的 D秩父市 慈眼寺 H秩父市 菊水寺 M秩父市 阿弥陀寺 R飯能市 観音寺
@練馬区 長命寺 E秩父市 野坂寺 I皆野町 水潜寺 N横瀬町 法長寺 S飯能市 竹寺 2本
A西東京市 東禅寺 F秩父市 常楽寺 J秩父市 長泉院  O日高市 聖天院  練馬区 正覚院
B清瀬市 長命寺 3本  三峯神社 16本 K秩父市 清雲寺 P飯能市 能仁寺 2本
C秩父市 四萬部寺  G小鹿野市 鳳林寺 L秩父市 法雲寺  Q飯能市 満福寺
註)寺の名前の後ろにあります本数は論考の頁数です。つづくをクリックすることで進みます。


◆能仁寺にある増上寺・寛永寺からの移築された
  石灯籠・宝塔についての実態調査


 伊藤友己氏の増上寺の石灯籠の移築調査によると、以下に示すように、清瀬市の長命寺には増上寺だけをとっても惇信院の灯籠が8基、文昭院の灯籠が1基、有章院の灯籠が4基、台徳院の灯籠が2基、合計で15基あることになっています。

 ちなみに惇信院は徳川家宣、文昭院は徳川家重、有章院は徳川家継、台徳院は徳川秀忠の院号です。その他、上野寛永寺の灯籠があり、常憲院が1基、有徳院が3基あることになっています。


出典:※伊藤友己氏 増上寺の石灯籠

<参考>
徳川家康  安国院(あんこくいん)
徳川秀忠  台徳院(だいとくいん)......増上寺
徳川家光  大猷院(たいゆういいん)
徳川家綱  厳有院(げんゆういん)
徳川綱吉  常憲院(じょうけんいん)......寛永寺
徳川家宣  文昭院(ぶんしょういん)......増上寺
徳川家継  有章院(ゆうしょういん)......増上寺
徳川吉宗  有徳院 (ゆうとくいん)......寛永寺
徳川家重  惇信院 (じゅんしんいん)......増上寺
徳川家治  浚明院(しゅんめいいん)
徳川家斉  文恭院(ぶんきょういん)
徳川家慶  慎徳院(しんとくいん)
徳川家定  温恭院(おんきょういん)
徳川家茂  昭徳院(しょうとくいん)

◆青山貞一・池田こみち:歴代徳川将軍家家系
◆池田こみち:徳川歴代将軍の生誕・没年月日と将軍在位期間(和暦対応表


昭和20年の繊細以前の増上寺霊廟図  出典:増上寺配付資料

 さらに、今回の実態調査で清瀬市の長命寺にだけ、増上寺の15基の石灯籠に加え、戦前また戦後も昭和50年頃まで増上寺の北廟屋にありました以下の2つの宝塔が存在していましたので、石灯籠調査に加え宝塔調査も実態調査に加えています。以下はその2つです。

  六代家宣正室 天英院 近衛熙子 宝塔
十一代家斉正室 廣大院 近衛寔子 宝塔 

 実態調査結果を分かりやすく示すために、調査結果を以下の石灯籠の配置図により示します。


宝塔及び石灯籠位置図        出典:グーグルマップ
グーグルマップの上に★マークと番号で石灯籠の位置を示しています。


◆石灯籠及び宝塔実態調査結果

 清瀬市長命寺にあっては、以下の写真にあるように本堂の前方の左右両側にそれぞれ1基づつ(位置、@、A)が合計2基が確認できました。

 さらに以下の写真にあるように、左側石灯籠の左に宝塔が1基、右側石灯籠の右に、宝塔が1基、都合2基の宝塔が確認できました。ただし、宝塔については、刻字が一切存在せず、 どちらが 六代家宣正室 天英院 近衛熙子 宝塔であり、どちらが十一代家斉正室 廣大院 近衛寔子 宝塔であるかについては確認できませんでした。 


長命寺本堂とその前に鎮座する2つの宝塔そして2つの増上寺の石灯籠があります。
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-22


●宝塔の両隣にある2つの石灯籠

 以下の写真は左側の石灯籠と宝塔のズームアップです。


本堂に向かって左側の宝塔に右隣の灯籠
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-22

 下の写真は右灯籠のズームアップです。何と有徳院とあります。有徳院は増上寺の灯籠ではなく上野寛永寺の灯籠です。宝塔は間違いなく増上寺にあったものですが、灯籠に刻まれている「有徳院」は、徳川吉宗の院号です。

 宝塔に院号などの刻字は一切無かったものの、増上寺から消えた 六代家宣正室 天英院 近衛熙子氏の宝塔か、十一代家斉正室 廣大院 近衛寔子氏の 宝塔のいずれかに間違いはありません。そう考えると、増上寺の宝塔の隣にまったく仕えた将軍と異なる吉宗に奉納された灯籠が存在するという、まったく不可思議、無節操な移築と配置であることが分かります。


左側宝塔の右隣にある石灯籠@の刻字 有徳院と見えます。

 下は石灯籠@の刻字のズームアップ写真です。間違いなく有徳院が確認できます。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22

 以下も石灯籠@の拡大写真です。間違いなく有徳院の刻字が確認できます。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22

 次に右側の宝塔と石灯籠Aについて確認します。下は右側の宝塔と石灯籠の写真です。宝塔は左側同様、刻字がないため増上寺から消えた 六代家宣正室 天英院 近衛熙子氏の宝塔か、十一代家斉正室 廣大院 近衛寔子氏の 宝塔のいずれかに間違いはありません。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22

 下は、上の写真の石灯籠@の刻字部分の単純なズームアップです。明らかに刻字は常憲院と読めます。常憲院は上野寛永寺にあります徳川綱吉の院号です。となると、左側同様、宝塔は間違いなく増上寺から消えた 六代家宣正室 天英院 近衛熙子氏の宝塔か、十一代家斉正室 廣大院 近衛寔子氏の 宝塔であるのに対して石灯籠は上野寛永寺の徳川綱吉のものであり、いずれの場合であっても正室の相手は増上寺にいない寛永寺の綱吉のものであるという、きわめて不可思議、無節操なものとなります。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22

 この石灯籠については、別途接写した写真がありますので以下に掲載します。 ご覧のように,間違いなく上野にある東叡山寛永寺の常憲院のものです。


常憲院と刻字されています。
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-22

 下も石灯籠Aの拡大写真です。間違いなく常憲院と刻字されています。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-22

 なお、上記2基の石灯籠を別の角度から刻字を撮影したところ、以下のように、昭和49年、上野寛永寺から長命寺に送られたという刻字がありました。

撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22

 しかし、これはもともと江戸時代、全国の諸大名などから徳川綱吉、徳川吉宗の両名に奉納されたものです。それをこともあろうか昭和の時代になって上野寛永寺から清瀬市にある長命寺に何らかの理由で移築する際に、彫刻したものであり、いわば原典に勝手に刻字を追加したものと推察されます。

 徳川綱吉  常憲院(じょうけんいん)......寛永寺
 徳川吉宗  有徳院 (ゆうとくいん)......寛永寺


●本堂前左側に並ぶ5つの石灯籠

 次に本堂向かって左側に並ぶ5基の灯籠(B、C、D、E、F)について確認します。以下は5基の灯籠の写真です。写真中左点前がBの灯籠、一番奥がFの灯籠となります。
 

本堂前、山門を背にして左側にある増上寺の5基の石灯籠群(B〜F)
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22

 以下の写真は灯籠Fから灯籠Bを見たものです。


本堂前、本堂側から山門側に向かって配置された増上寺の5基の石灯籠群(F〜B)
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22

 以下は、上記5基の灯籠について、山門側から本堂に向かってそれぞれの灯籠のズームアップです。

石灯籠B

 まず、石灯籠Bです。これは以下にズームアップの写真を示すように、徳川家重の院号、惇信院 が確認できます。
 

石灯籠B
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22

石灯籠C

 次は石灯籠Cです。
 

撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22

 下は石灯籠Cの院号接写です。惇信院がはっきり読み取れます。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22

石灯籠D 

 次は石灯籠Dです。
 

撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22

 下は石灯籠Dの院号接写です。惇信院とはっきり読み取れます。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22

石灯籠E

 次は石灯籠Eです。
 

撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22

 下は上の石灯籠Eの院号接写です。明らかに惇信院と読み取れます。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22

石灯籠F

 この列の最後は石灯籠Fです。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22
 下は上の石灯籠Fの接写写真です。明らかに 惇信院の院号が確認できます。惇信院は徳川家重の院号です。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22

 以上から、本堂前左列の石灯籠B〜Fまでの5基はいずれも惇信院のものであることが確認できました。


●本堂前右側に並ぶ5つの石灯籠

 さらに本堂に向かって右側に置かれた5基の灯籠について確認します。以下は5基の写真です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-22

 以下も右側5基の写真です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-22

 右側手前Gの写真です。 徳川家継の院号、有徳院が確認できます。




 右側Hの写真です。 これも徳川家継の院号、有徳院が確認できます。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22

 右側Iの写真です。 これは徳川家継の院号、有章院が確認できます。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22

 右側Jの写真です。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22

 上の灯籠J別の角度から撮影したのが以下です。有章院と確認されました。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22

 この列最後の右側Kの写真です。

 この灯籠Kについては、角度を変えて撮影した写真が見つからず、刻字から院号は読み取れませんでした。しかし、もともと長命寺に移築されたとされる伊藤氏のリスト院号別の灯籠数から判断すると有徳院の灯籠はすでに3基とも判明しており、本堂前左の列が有徳院と有章院のいずれかとなっていることから推察すると有章院と判断することが可能です。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22



●薬師堂前の両側にある2つの石灯籠

 ここでは、山門をくぐり境内に入って左奥の薬師堂のまえにある2基について確認してみます。
 
 下の写真は、薬師同堂前の2基の石灯籠(L、M)です。


薬師堂まえ左右の2つの石灯籠
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-22

 以下は薬師堂前、左の石灯籠Lです。この写真だけからは院号は読み取れません。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22

 さらに別の角度で撮影した写真では惇信院がはっきりと確認できます。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22

 一方、下の写真は、薬師堂前右側の石灯籠Mのものです。はっきりと文昭院と読み取れます。 


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22

 下の写真は、薬師堂前の石灯籠Mのものです。はっきりと文昭院と読み取れます。 


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22
 
 以上から薬師堂前のL、Mの石灯籠は惇信院と文昭院の2基それぞれ院号が分かりました。



●長命寺石灯籠実態調査のまとめ

 まず、伊藤氏が調査し作成したリストでは、院号別の石灯籠の数は以下のようになっています。

 惇信院(増上寺)北霊屋  8
 文昭院(増上寺)北霊屋  1
 有徳院(寛永寺)      3
 常憲院(寛永寺)      1
 有章院(増上寺)北霊屋 4
 台徳院(増上寺)南霊屋 2 

  院号から調査した石灯籠を判断すると

 惇信院  6  本堂右5基のうち5基、薬師堂前の2基のうちの1基
 文昭院  1  薬師堂前の2基のうちの1基
 有徳院  3  宝塔の隣1、本堂右5基のうち2基 
 常憲院  1  宝塔の隣1基
 有章院  3  本堂右5基のうち3基
 台徳院  0
 
 合計 14基 です。
 
 上記から確認済みを差し引くと

 惇信院       8 − 6 =2基
 文昭院       1 − 1 =0基
 有徳院(増上寺) 3 − 3 =0基
 常憲院(増上寺) 1 − 1 =0基
 有章院       4 − 3 =1基 
 台徳院       2 − 0 =2基

 合計 5基 です。

 合計5基 が不明となっています。

 なお、青山、池田は上記以外に境内に増上寺の石灯籠が存在しないかどうかくまなく探しましたが見つかりませんでした。

 実は、文献調査をしている最中、以下のWebの最後にある写真を発見しました。なんと、上記、台徳院(徳川秀忠)など推定4〜5基分の灯籠素材が志木街道を隔てた駐車場の資材置き場に杜撰においてあったと書かれています。筆者は台徳院へ奉納された石灯籠を調査しに長命寺にこられたようですが、結局、境内内に台徳院に送られた石灯籠を一基も見つけることが出来ず、志木街道の反対側にあります長命寺の駐車場及び寺関連施設の一角に灯籠素材を探し当て、写真を撮影されたようです。

出典:http://www.geocities.jp/way_to_aizu/choumeiji.html

総括

 以上で長命寺の宝塔及び石灯籠の実態調査は終わりですが、長命寺では、芝増上寺、上野寛永寺の歴史、由緒ある宝塔や石灯籠がかくも杜撰、いい加減に扱われていたことが判明しました。

 宝塔はそれぞれ天皇家から徳川家に嫁いだ方々のものであり、増上寺御北霊屋の一等地に鎮座していたものですが、それらが無碍に長命寺前の両脇に解説文もなく置かれ、さらにそれぞれの隣には増上寺ではなく寛永寺の石灯籠が無思慮、無配慮に置かれていました。

 さらに酷いのは、台徳院(徳川秀忠)など推定4〜5基分の灯籠素材が志木街道を隔てた駐車場の資材置き場に無残に置かれていたことです。到底信じられないことであり、私達より先攻して現地を見た人々も、怒りを禁じ得なかったようです。


補遺
 
 なお、下の写真はいずれも長命寺境内の志木街道を挟んで反対側にあります長命寺の駐車場と寺関係者の施設、資材置き場をグーグルマップから見たものです。これ以上の拡大は無理なのですが、真ん中より右下の樹木の右側に石灯籠の部材とおぼしき白い石のようなものが見えます。 

 ぜひ、機会をみて再調査を行い徳川二代将軍徳川秀忠公の灯籠を確認し公表したいと考えております。




出典:グーグルマップ


出典:グーグルマップ ストリートビュー


出典:グーグルマップ ストリートビュー


出典:グーグルマップ ストリートビュー