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増上寺・寛永寺石灯籠等、移築実態調査

(東京都・千葉県・長野県

君津市 神野寺(1)

池田こみち Komichi Ikeda

山形美智子 Michiko Yamagata

July 31, 2015
Independent Media E-wave Tokyo
無断転載禁

調査の目的 D清瀬市 円福寺 2本 I上田市 信濃国分寺
@練馬区 長命寺 E清瀬市 長命寺-2 J君津市 神野寺 2本
A西東京市 東禅寺 F清瀬市 長源寺 K東京都港区 妙定院
B清瀬市 長命寺 3本 G練馬区 道場寺
C練馬区 正覚院 H練馬区 三宝寺
註)寺の名前の後ろにあります本数は論考の頁数です。つづくをクリックすることで進みます。

 2015年8月15日、増上寺の石灯籠、全国移築実態調査で最初に訪れたのは、千葉県君津市にある神野寺です。現地視察したのは、池田こみちと山形美智子の2人です。天気は曇り、時々雨でした。

 以下にグーグルマップの経路探索を使い池田・山形の自宅があります東京都練馬区から千葉県君津市の神野寺までの経路を示します。東京湾横断アクアラインを使ったこともあり、容易にわずか1時間20分で行くことができました。

 なお、アクアラインは現在、通行料金は片道、1000円です。


グーグルマップによる東京都練馬区から千葉県君津市の神野寺までの経路

◆神野寺の概要

 神野寺(じんやじ)は、千葉県君津市にある真言宗智山派の寺院です。鹿野山琳聖院と称し、本尊は薬師如来・軍荼利明王です。

 寺伝によれば、聖徳太子の開創により創建されたと伝えられ、永正年間(1504年〜1521年)に真言宗の僧弘範により中興されたといいます。

 所在地は千葉県君津市鹿野山324-1です。

 神野寺を一躍有名にしたのは、トラの脱走事件です。

 1979年(昭和54年)当時、寺の境内に動物園を併設しており、そこで飼育されていたトラ2頭が逃げました。結局トラは射殺されたのですが、それに関連して忌野清志郎によって追悼コンサートが開催されました。

※ RCサクセション時代、千葉県神野寺で飼育されていた虎2頭が逃げ出すという事件があり、マザー牧場でのライブ(1979年8月4日)が中止になった。清志郎は警察に「虎を殺すな!」と電話で訴えたが、結局2頭とも射殺されて一連の騒動が鎮静化。RCサクセションはその後渋谷屋根裏で「虎追悼コンサート」(1979年9月15日)を行っている。 出典:Wikipedia

 神野寺にある文化財としては、以下があります。

・重要文化財(国指定)  表門(四脚門)
・千葉県指定有形文化財 本堂
・千葉県指定天然記念物 鹿野山の大桑

 以下は神野寺の公式Webにある概要です。

◆神野寺の概要 
 
 神野寺は今から1400年前、聖徳太子によって開かれた関東屈指の古刹(古寺)であります。

 初詣には40万人の参詣者で賑わい、厄除け・方位除け・交通安全自動車祈祷(車のお祓い)等の諸祈願をはじめ、ご供養(水子供養は千葉県の霊山)を願う方々の参拝が年間を通じ絶えることがありません。

 春はお花見、夏は納涼登山、秋は紅葉見物の名所として知られ、広い境内には国指定重要文化財の表門をはじめ、数々の歴史ある建物等が点在しています。

 宝物殿には、名工・名仏師の貴重な彫刻・仏像・寺宝が展示、今日では東京湾アクアライン・館山道の開通により日帰り観光客が四季を通じて訪れています。

出典:神野寺公式Web

 以下は、同じく神野寺の公式Webにあります寺の縁起です。

 縁起とは、仏教用語であり、他との関係が縁となって生起することを意味します。自己や仏を含む一切の存在は縁起によって成立しており、したがってそれ自身の本性、本質または実体といったものは存在せず、空である、と説かれています。さらに寺社の縁起とは、故事来歴の意味に用いて、神社仏閣の沿革(由緒)や、そこに現れる功徳利益などの伝説を指します。
 
◆神野寺の縁起

 
神野寺は推古天皇6年(598)聖徳太子の開山により始まりました。

 現在の地名ともなっている
鹿野山は、当山の山号であり、太子が当寺を建立する際、野生の鹿が沢山集まった事からインドのお釈迦様の初転法輪の地(鹿野苑)にちなみ、山名を名付け「鹿野山」名称の発祥の寺院であります。

 現在では、熊野峰(鹿野山神野寺)・白鳥峰(白鳥神社)・春日峰(春日神社)の三峰を総称して鹿野山といわれており、ご祈祷(お祓い・お参り)の霊山です。

 天安元年(857)には、慈覚大師が再興しています。平安時代から鎌倉時代にかけては天台の道場として栄えました。永正年間(1504)には高野山から弘範上人が来山して、真言密教の法灯を立てました。

 弘範上人は、真里谷城主(木更津市真里谷)真里谷信勝の協力を得て荒廃していた神野寺を復興しています。さらに、天文年間(1532〜1555)には里見義尭が神野寺を帰依し再興をはかっています。

 
天正18年(1590)徳川家康が関東を領有すると、同年7月に神野寺に朱印の禁制を与えました。それによると、軍勢などが神野寺に対して乱暴することや放火などを厳禁しています。

 天正19年(1591)に家康は寺領並びに格式十万石の大名格を寄進しています。また、この年家康は家臣である佐貫城主内藤家長(富津市佐貫)に伽藍や僧坊を造営させました。

 元和7年(1621)12月坊中から出火して堂宇を焼失しました。その後、第7世源瑜が中興し新義真言宗の法灯を伝えました。また、第14世利珊も堂宇や僧坊の復興を計画し、宝永5年(1708)に再建に成功しました。

 この時、松平勝隆は用材を寄進して利珊に協力しました。

 現在の本堂はこの時建設されたものであります。大正6年(1917)9月30日台風の襲来によって、樹齢数百年を数える杉の巨木数十株が倒れたほか、仁王門・表門・その他の建造物が倒壊しました。

 その後、数年にわたって境内の杉などの樹木が次々に伐採され神野寺の杉林は見る影を失ってしまいました。その後、第30世楠純隆が再建や修繕に力をつくし、ようやく昔のような神野寺の景観を取り戻しました。

 現在は真言宗智山派(総本山が智積院、大本山が成田山新勝寺・川崎大師平間寺・高尾山薬王院)に属し、境内地(約40,000坪、東京ドーム約3個分)には仁王門・本堂・経堂・六角堂・鐘楼堂・五重の石塔・天満宮・奥の院・表門・宝物殿・太子講堂・道場・宿坊・庫裏などが点在しています。

出典:神野寺公式Web

 以下は鹿野山についての概要です。

◆鹿野山

 千葉県房総丘陵の一角を成す千葉県で3番目に高い山で、上総地方の最高峰です。鹿野山とは、白鳥峰(東峰、379m)・熊野峰(中央峰、376m)・春日峰(西峰、352.4m、1等三角点)の3峰の総称です。熊野峰の直下には神野寺が、春日峰には国土地理院の測地観測所があります。山の南面は、九十九谷と呼ばれる景勝地で、侵食によってできた複雑な地形となっています。

歴史
 日本武尊が東征の際訪れ、先住民の豪族の阿久留王と戦い征伐したという伝説があります。598年、聖徳太子により神野寺が開山され、その後修験道の山として、また上総国と安房国を結ぶ街道の町として栄えたそうです。

出典:Wikipedia


◆伽藍の配置

 下は神野寺の伽藍の配置です。

 伽藍には、仁王門、本堂、六角堂、表門、鐘楼、奥の院などがあります。


伽藍の配置図    撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-8-15


◆主な伽藍の紹介

 以下に神野寺の主な伽藍を仁王門から本堂、奥の院に向かい歩いた順で紹介します。

 まず下の写真は仁王門です。仁王門の両側に、立派な石灯籠があるのが見えます。石灯籠は形からして、東京芝増上寺か上野寛永寺のものと推察されます。


神野寺仁王門  撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-8-15



神野寺仁王門の仁王像
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-8-15

 仁王門には以下の2つの像もありました。

 
神野寺仁王門にあった2つの立像
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-8-15

 下の写真は仁王門を本堂(反対)側から見たものです。


神野寺仁王門   撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-8-15

 下は神野寺本堂です。本堂は千葉県指定有形文化財に指定されています。本堂の手前にも石灯籠が左右両側にあるのが見えます。


神野寺本堂 千葉県指定有形文化財 
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-8-15

 下は本堂正面のクローズアップです。


神野寺の本堂正面のクローズアップ
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015
 
 下は奥本堂の裏にありました聖徳太子の立像ととぐろを巻いた蛇です。

 本堂の裏に、聖徳太子像と並んでおいてあった白蛇の彫刻は江戸時代にこの本堂を建てた棟梁がつくったと説明がありました。

◆奥の院(飯縄宮殿・元禄16年造営)

 このお堂は、間口4間、奥行き5間で内陣には宮殿が設けられています。

 本尊として、飯縄大権現(白狐に乗った烏天狗)が安置されています。

 この天狗様は秘仏の為、普段は拝み見る事は出来ませんが、年に一度10月9日10時より特別開扉されます。また、奥の院には天狗様の大下駄(下の写真)があり、これに触れて足腰のご守護並びに、健康を祈念する参拝者が絶えることがありません。

出典:神野寺公式Webサイトhttp://www.geocities.jp/jinyaji_598/okunoin.html

 
神野寺の奥の院で撮影
 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-8-15


神野寺の伽藍
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015

 下は本堂に向かって右にある六角堂です。


神野寺の六角堂  撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-8-15

 下は六角堂の手前にあります鐘楼です。


神野寺の鐘楼   撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015

 さらに下の写真は六角堂の方角をさらに右(東側)に行ったところにあります表門です。この表門は、国指定の重要文化財です。


神野寺の表門(四脚門)  重要文化財(国指定)  
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-8-15

★表門(国指定重要文化財)

 この表門は、道場・太子講堂・宿坊などに出入りする為の門です。当山の建造物は、ほとんどが江戸時代に再建や改築されたもので、その年代がわかります。しかし、この四脚門のみ建設の年代が不明ですが1505年〜1520年に建立されたと推定されます。


表門 国指定重要文化財

 大寺院の門は、その構造上から重層門と単層門に分けられますが、この四脚門は単層門で2本の主柱の前後にそれぞれ2本ずつ控え柱を配した平面の門で、正面は1間、側面は2間。萱葺屋根の切妻造りで、この構架のあたりにも室町時代の手法が伺えます。関東地方でも優れた建築構架のみられる四脚門です。

出典:神野寺公式Webサイト
http://www.geocities.jp/jinyaji_598/omotemon.html

 下は本堂に向かって左(西)の奥にあります奥の院です。


神野寺の奥の院    撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-8-15

★奥の院(飯縄宮殿・元禄16年造営)

 このお堂は、間口4間、奥行き5間で内陣には宮殿が設けられています。

 本尊として、飯縄大権現(白狐に乗った烏天狗)が安置されています。

 この天狗様は秘仏の為、普段は拝み見る事は出来ませんが、年に一度10月9日10時より特別開扉されます。また、奥の院には天狗様の大下駄(下の写真)があり、これに触れて足腰のご守護並びに、健康を祈念する参拝者が絶えることがありません。

出典:神野寺公式Webサイト http://www.geocities.jp/jinyaji_598/okunoin.html


神野寺の奥の院    撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-8-15


神野寺の奥の院で撮影
 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-8-15


神野寺の奥の院で撮影 天狗の下駄
 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-8-15


つづく