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グーグル社と
南サンフランシスコ的
民主主義風土

青山貞一
掲載月日:2008年9月28日


 この3月ひさしぶりにサンフランシスコにでかけた。たまたま私たちが宿をとった場所は、南サンフランシスコであった。

 カリフォルニア州のサンフランシスコ南部地域には、有名なシリコンバレーなどのハードな研究開発型企業やベンチャービジネスが集積しているが、実はこの地には昔から全米だけでなく世界的にみてもユニークな企業が出ている。そのいくつかは米国というより世界的な企業になっている。

 これは何も企業(PO)だけでない。米国を代表する消費者団体やいわゆるNPO/NGO(非営利・非政府組織)もここから生まれたものが多い。

 地域としてはサンフランシスコ湾の南端ちかくにあるサンホセ、パルアルトそしてサンマテオなどである。


南サンフランシスコ地域。グーグル社の現在の本社はサンマテオ

 この地で興味深いビジネスモデルや社会組織モデルが生まれる背景のひとつに、米国の超名門大学であるスタンフォード大学やカリフォルニア大学バークレー校の存在を忘れてはならないと思う。
 

  • 1996年1月 - Googleの原型となる、バックリンクを分析する検索エンジンBackRub(バックラブ)が、スタンフォード大学で博士課程に在籍していたラリー・ページとセルゲイ・ブリン(以下参照)によって開発される。もともとは研究プロジェクトとして始められたものだった。
  • 1998年9月7日 - アンディ・ベクトルシャイムからの10万ドルの資金援助を受け、カリフォルニア州メンロパークにある友人のアパートで創業。
  • 1999年 - 3月パロアルトに移転。6月マウンテンビューに移転。


ローレンス・エドワード・ペイジ(Lawrence Edward "Larry" Page)

1973年3月26日 - )は、Google の創業者、製品部門担当社長。ファミリーネームについてはページとの表記もある。アメリカ合衆国・ミシガン州ランシング生まれ。父はミシガン州立大学計算機科学・人工知能教授のカール・ビクター・ペイジ。母はユダヤ人のグロリア・ペイジで、彼女もミシガン州立大学でコンピュータプログラミングの教師をしている。兄のカール・ビクター・ペイジ・ジュニアはメーリングリストサービス eGroups の設立者で、後に Yahoo! へ売却して財をなした。

6歳の頃からコンピュータを触り始める。ミシガン大学で計算機工学を専攻し、1995年に工学士号を取得。在学時にはレゴブロックを使用してインクジェットプリンターを組み立てたこともある。卒業後、スタンフォード大学計算機科学の博士課程に進学し、テリー・ウィノグラードの指導の下、ウェブのリンク構造、人間とコンピュータの相互作用、検索エンジン、情報アクセスインタフェースの拡張性、個人的なデータのデータマイニング手法などを研究。

在学中、同じくスタンフォード大学計算機科学の博士課程に在籍していたセルゲイ・ブリンと出会い、The Anatomy of a Large-Scale Hypertextual Web Search Engine(大規模なハイパーテキスト的な Web 検索エンジンに関する解剖)と題された論文を共著で執筆した。修士号を取得した後スタンフォード大学を休学し、1998年に Google 社を共同設立。論文は PageRank 技術(Page は彼のファミリーネームに由来)に取り入れられることになった。従業員200人程度の規模になった2001年4月頃まで最高経営責任者を務め、同年7月に最高経営責任者職をエリック・シュミットに譲った。

ミシガン大学工学部の国家諮問委員も務めている。2002年、世界経済フォーラムにて Global Leader for Tomorrow(未来のグローバルリーダー)に指名される。2004年には全米技術アカデミーの会員に選出され、2005年からはエックスプライズ財団の理事も務めている。

出典:Wikipedia

セルゲイ・ブリン(Sergey Brin)

1973年8月21日 - )は、Google の創業者、現技術部門担当社長。国際会議やビジネス・テクノロジーフォーラムにもたびたび招聘され、世界経済フォーラムにて講演を行った実績もある。CNBC や CNN のテレビ番組にも出演し、技術産業や検索技術の将来について意見を述べている。

 ソビエト連邦・モスクワに住むユダヤ人の家庭に生まれる。父は数学者でメリーランド大学の数学教授、母はアメリカ航空宇宙局の研究員。1979年、6歳の時に家族でアメリカ合衆国に渡る。

 幼少時からコンピュータに興味を持ち始め、1990年にメリーランド大学に入学し計算機科学と数学を専攻。1993年に理学士号を取得した。卒業後米国科学財団から特待生として認められ、スタンフォード大学にて計算機科学の修士課程に進む。スタンフォード大学ではインターネットに関心を持つようになり、検索エンジンや構造化されていないソースからの情報抽出法、莫大なテキストデータや科学データのデータマイニング手法などを研究し、学会誌にも多数の論文を発表した。1995年に計算機科学の修士号を取得。また、スペインの Instituto de Empresa でも経営学修士号を取得している。

 ラリー・ペイジとはスタンフォード大学在学中に知り合った。初めは仲が良くなかったものの、やがて「膨大なデータの集合から関連した情報を検索するシステムを作る」という共通する関心があることに気づき、The Anatomy of a Large-Scale Hypertextual Web Search Engine(大規模なハイパーテキスト的な Web 検索エンジンに関する解剖)と題された検索エンジンに関する論文をページとの共著で執筆した。スタンフォード大学の博士課程を休学し、1998年に Google 社を共同設立。この論文は後に Google の PageRank 技術に取り入れられることになった。

出典:Wikipedia


 スタンフォード大学は東部のハーバード大学と並ぶ米国の2私大である。大学の世界ランキングでも上位3位に入る名門大学である。ちなみに日本の東京大学といえど10位以内にはいっていない。

 その昔、米国で最初に環境問題の市民運動のリーダーとなったデニス・ヘイズ氏も、このスタンフォード大学を卒業している。”アースデー”の生みの親と言えばわかりやすいかも知れない。


スタンフォード大学キャンパス

 またカリフォルニア大学バークレー校も米国だけでなく世界的に有名な大学、それもリベラルな気風をもつ総合大学である。全米的なベトナム反戦活動もUCBを発端としている。またUCBの環境講義はおそらく世界一拡充している。

 推察するに、スタンフォード大学やカリフォルニア大学バークレー校の校風や設立の理念、思想のなかに、リベラルやアドボカシー、スチュワードシップと言ったものがあるのだろう。それは仮にビジネスや工学、医学など実務に係わる分野にも生きているに違いない。

 この地から生まれた組織や活動には、単なる営利企業や住民運動と異なるモデルが存在していると言って良い。それは巨額の富を稼いだ企業やその会長が、チャリティー活動、慈善活動として寄付をするというものではないのだ。

 企業の場合なら、ことのはじめから社会貢献、社会責任、いまの言葉で言うところのCSRを自覚し、また草の根的、市民的センスをもって研究開発や企業活動をしているといってよいだろう。

 他方、この地から生まれたNPO/NGOの多くは、経営的感覚を持った市民団体であるものが多い。その端緒を切り開いたのは先にあげたラルフ・デーダー氏である。

 両方に共通するのは、民主主義、それも草の根民主主義を理解していることだと思う。 

 ....

 ところで現在、世界でもっともエキサイティングなソフトあるいはIT系企業をひとつだけあげろと言われたら、私は間違いなくグーグル社をあげる。そのグーグル社は南サンフランシスコのサンマテオに本社がある。

Google(グーグル)

 
アメリカ合衆国のソフトウェア会社、あるいは、同社の運営するインターネット上での検索エンジンである。

 米国グーグルは人類が使う全ての情報を集め整理すると言う壮大な目的をもって設立された。独自開発したプログラムが、世界中のウェブサイトを巡回して情報を集め、検索用の索引を作り続けている。

 約30万台のコンピュータが稼動中といわれる。検索結果の表示画面や提携したウェブサイト上に広告を載せることで、収益の大部分をあげている。

 検索エンジンとしては、2002年には世界で最も人気のあるものになり、AOLなどのクライアントを通じてインターネット検索のトップを占めるまでになっている。日本では、Yahoo! JAPANに次いでシェア2位である。

 ペットを持ち込み可能なオフィスやおもちゃなど遊び道具を持ち込める仕事部屋、ラバライトやゴムボールがあちらこちらに置かれた独特な企業文化で知られる。

 また、NASDAQ市場に公開するに先立ち、無料ランチを継続して提供することを宣言した。自由な企業文化と肯定的にとらえる見方がある一方、子供っぽいと見られることもある(ただし、この場合の子供っぽいという表現は必ずしも否定的な意味を伴うものではない)。

 3Mの15%ルールの様に、勤務時間の20%を自分の気に入ったプロジェクトに割くよう義務付ける「20 percent time」という規則があり、そこからOrkutやGmailなどの実験的サービスが生まれている。

 Googleは社内で多くのオープンソースソフトウェアを使っているため、オープンソースの開発者を雇うなど、オープンソースの支援を積極的に行っている。

 2005年には、「Google Summer of Code」というオープンソースの開発に資金を提供するプロジェクトを行った。これは、Googleが、指定したプロジェクトに参加する学生に開発費用を提供するというもので、一定期間の補助を受けて開発を行う。

 現在は、ウィキペディアに対しても資金提供をするなど、オープンな文化に対する積極的な支援を行う企業としても名前をあげつつある。

 また、2005年9月28日には、NASAと提携し、大規模コンピューティングの活用や、データマイニング、ナノ、バイオテクノロジーでの協力などを行うことを発表している。

 地元マウンテンビューでは無料のネットワークが張り巡らされている。2007年、サンフランシスコでも無線インターネット接続が発表された。

出典:Wikipedia他


 グーグル社のビジネスモデルは、間違いなく従来の米国型営利企業のイメージを一新させたといえる。これはマイクロソフト社と比較すれば明瞭、明快である。

 グーグル社は、一方で秀逸かつ卓越した検索エンジンの研究開発と検索エンジンと連携した広告により巨額の収益を上げるとともに、他方で世界のひとびとにインターネット上のさまざまなツールを無償で提供してきた。

 グーグルは検索システムにはじまりブログ、グーグルマップ、グーグルアース、グーグルトランジットなどなど、膨大な情報システムやソフトなどのツールを無償で提供することで、いままでの世界とまったく異なる世界をひとびとに提供している。

 インターネットは、従来なら国、自治体といったGO(行政組織)、多国籍企業、巨大企業といったPO(営利組織)に独占されていた情報や通信、それも簡単な装置で世界中のひとびとが互いに意見を交換し、情報交流する機会を提供してくれた。

 グーグルはインターネットをいわばインフラストラクチャーとして使うことにより、その上であらゆる地球上の考えがことなる人々うあ民族が、いとも容易に意見交流するためのさまざまなツールを無償で提供してきたのである。

 ...

 以下に紹介するのインタビュー記事は、2003年に行われたグーグル社会長兼CEOへの共同インタビューのごく一部である。このインタビューは長時間にわたり行われおり、原文は全て公開されている。

 現在の会長のエリック・シュミットは、スタンフォード大学ではなく、プリンストン大学卒業であるが、その後カリフォルニア大学バークレー校の大学院に進んでいる。

 エリック・シュミット会長の思考には、南カリフォルニアの気風が十分読み取れる。

 以下のインタビューにはグーグル社会長でCEO、エリックシュミット氏の先進的、リベラルな思想が2003年の明確に現れているからだ。

 2003年時点でのインタビューであることに留意して欲しい。

Google CEO:エリック・シュミット
Google CEO、その強さの秘密を語る
ジェフ・ルート、佐々木俊尚訳 2003/7/12

■インターネットはニッチ・メディア

 MosaicとNetscapeが登場する以前のことを思い出してみてほしい。ほんの10年前まで、われわれの国の文化は均一的だった。皆が同じ話題を取り上げ、皆が同じことを話し、日々の暮らしの中で、自分と異なる意見を聞く機会はほとんどなかった。

 だって会社では同じような人たちと一緒に働き、皆で同じ本を読んで、おまけに目の前の仕事を片づけるのに忙しくてそれどころじゃなかったからね。

 そんなところにインターネットが登場してきた。いままで自分たちが理解していた世界とはまったく別の世界だ。衝撃的だった。

 ネットの登場によって初めて、世界観には無限のバリエーションがあるということに人々は気づいたわけだ。例えば「地球は平たい」と真面目に主張している「フラット・アース・ソサエティ」とか、世界にはいろんな主義主張を持った驚くほどさまざまな人たちがいる。

 当初はインターネットは人々の結びつきを強めると考えられていて、それがどのようにしてメディアのあり方を変えてしまうのかということが真面目に論じられていた。しかし、インターネットは実はもっと狭いターゲットに向けて、特定の情報を流すことが得意なメディアだ。

 例えば米国では、テレビはわずか3つの系列ネットワークによって支配されている。みんなそれを当たり前だと思っていて、同じ時間帯に同じ内容のニュースをみんなで見ることに何も疑問を感じていなかった。

 しかしニュースの情報源はどんどん細分化しており、雑誌や書籍は昔と比べてずっと多種多様になった。読者ターゲットが細分化していくことで、メディアは分散し、小規模化を続けているのだ。

 ではインターネットはどうか。いま言ったような大きな潮流が、さらに特化して起きているのがインターネット――特にGoogleでの現状なんだ。それはひょっとしたら、必ずしも良い方向ではないのかもしれない。

 しかし少なくとも、さまざまなコミュニティが独自の考え方とパワーを持ち合わせたブログを何百万も作りつつあるというのは推測できる。でもそうした何百万のブログがひとつの政治勢力を生み出そうとしているわけでもないし、宗教団体みたいにみんながひとつの生き方を求めているわけでもない。

 ブログ運営者たちの考え方はまちまちで、天地創造説の支持者は自分たちのブログを作っているし、進化論の支持者は別のブログを持っている。それぞれのコミュニティは、気の合う友人を見つけたり、一緒に運動してくれる仲間を見つけるなどの活動を行っている。そうしたコミュニティは何千も生まれている。

 10年前、わたしはインターネットによって人類学の新しい研究テーマが生まれ、既知の社会を研究し尽くしてきたこの分野でも再び新しい博士論文が書かれるようになるのではないかと考えた。

 実際、ネットの中では数千もの新しいコミュニティが生まれてきた。その状況と、Googleが情報をさまざまな形でネットユーザーにアクセスしてもらう手段を提供しようという戦略は、明確に合致している。

 もちろん、そうやって得られた情報の中には人々に受け入れられないような種類のものもあるだろう。でもさらにいえば、それはわれわれが知る以上に世界には多くの視点があるんだということを認識することでもあり、そして人々がセルフパブリッシングによって新たなパワーを得ることでもある。