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名誉毀損の法理からみた
八百長相撲裁判の核心!

青山貞一
掲載月日:2008年10月19日


 週刊現代に掲載された日本相撲の八百長疑惑の記事をめぐって、日本相撲協会と力士が名誉を傷つけられたとして、講談社と記事を書いた武田頼政氏を相手に複数の名誉毀損裁判(損害賠償及び謝罪広告を請求事件)が東京地裁に提起されているいる。

 ここでは、名誉毀損に係わる法理からみた場合、この八百長裁判の行方がどうなるかについて見てみたい。

 まず訴訟は、2007年に以下のように民事で第一次から第四次まで4件起こされており、一部併合審理となっている。刑事については2件の刑事告訴がなされている。

◆民事訴訟:

・第一次提訴
 概要:朝青龍以下、記事で実名をあげられた現役力士に対する名誉毀損
 原告:日本相撲協会と横綱朝青龍ら力士
 被告:講談社、武田頼政氏

・第二次提訴
 北の湖理事長に対する名誉毀損事件
 原告:日本相撲協会と北の湖前理事長
 被告:講談社、武田頼政氏

・第三次提訴
 豊ノ島など直接記事で触れられなかった現役力士に対する名誉毀損

・第四次提訴
 いわゆる金親テープによる北の湖理事長に対する名誉毀損

◆刑事事件:

  2007年7/5告訴受理済

◆名誉毀損罪(刑法)及び名誉毀損による損害賠償(民法)
 の成立条件


 まず刑法及び民法において名誉毀損が成立する条件を法理と過去の判例から見てみよう。

 民事の名誉毀損による不法行為に基づく害賠償及び謝罪広告等は、刑法の名誉毀損の成立条件と密接に関係するので、ここでは、まず刑法における成立条件について見てみる。

 刑法230条の2第1項によれば、

 もし、被告に名誉毀損に相当する表現があっても、

 第一に、それが公共の利害に関する事実に係るものであり、
 第二に、その目的がもっぱら公益を図るものであり、
 第三に、当該事実が真実であれば、

処罰されない。民事では損害賠償にあたらないことになる。

 このうち、第一と第二の要件について見てみよう。

 一般の場合(同条1項)、処罰を免れるには、「公共の利害」、「公益目的」、「真実性」のすべてを被告人が立証しなければならないことになる。

 被告がいずれかの立証に失敗すれば230条1項の原則に戻って処罰されることになる。すなわち有罪となる。

過去における名誉毀損に係わる裁判の多くで、被告は真実性の証明に多くの場合、失敗している。

 逆説すれば、刑事裁判では、記述内容に公共・公益性があり、真実性があれば、仮に名誉毀損があっても、刑法による処罰は免れられることになる。

 同様に、民事の場合にも、仮に名誉毀損があっても記述内容に公共・公益性があり、真実性があれば、不法行為による損害賠償や謝罪広告の掲載等は負わないこととなる。

 まず「公共の利害に関する事実」である。これは言うまでもなく、裁判の対象となった被告が書き、公表した内容が公共の利害に係わることであるかどうかである。日本相撲協会が社団法人となっていること、所管が文部科学省であること、さらに大相撲が国技と言われるように、国民的関心事であることから見て、今回の事件が「公共の利害に関する事実」であることは言を待たないであろう。

 次に、「その目的が専ら公益を図るものである」という点だ。その意味するところは何かが問題である。

 「専ら」の意義を文字通りに解した場合、同条による免責の可能性をほぼ失わせることは明らかである。

 なぜなら、一般に出版などの表現行為には、営利、売名、復讐などの目的が混入しているものと解すことができる。そこで学説上、この「専ら」とは「主として」と同意義と理解されており、したがって私怨その他若干の不純な動機が混入していても差し支えない、と解することとなっている。

 大相撲は国技として、公益を図るものであることは間違いないところである。仮に武田頼政氏がジャーナリストとして大相撲を永年取材していた。そこで得た情報を週刊誌に記事とし公表するなかで出版社や武田氏や証人となる力士の行為の中に営利、売名、復讐などの目的がある程度混入していても構わないということを意味する。これは原告側についても言えることである。

 ところで、本件における最大の関門は、第三の「真実性」の証明ということになる。

 これがどの程度厳格に要求されるか課題となるのである。これはNHKが被告になる場合、あるいは朝日新聞が被告になる場合、いずれの場合でも同様である。


◆真実性の証明における「真実性」と「相当性」

 顕示された事実が真実であることを完全に証明することは、実際の問題として不可能であるか、そうでないとしても著しく困難である。

 もし、真実の証明を厳格に要求し、それがなければ処罰する(あるいは損害賠償責任を課する)ということになると、マスコミ、ジャーナリズムなど表現者の活動を著しく萎縮させることになるのは明らかである。

 マスコミ、ジャーナリズムなど表現活動をする者(表現者)は、刑罰や損害賠償を恐れ、真実性に少しでも疑いのあることには、取材しても発表しなくなる可能性が強くなるからだ。

 実際、昨今その傾向が強い。こうした現象を「自己検閲」と呼ぶが、この傾向は、テレビや新聞のように、速報性が売り物であって、そのため事実関係の確認にあまり時間をかけられないメディアの場合には特に顕著となる。もちろん、いくら社会が速報性を要求していても、真実からほど遠いいい加減な記事を書き、公表してよいことには鳴らないが。

 そこで、過去の名誉毀損裁判の判例で導かれた真実性の法理では、「
われわれが通常、真実であるといっているものは、真実であると信ずるに足るだけの資料・根拠に基づく情報である、ということを意味している」ことになったのである。

 すなわち、名誉毀損の裁判では、顕示された事実が客観的に真実であるかどうかまで問題とするわけではないということを意味する。

 これを「真実性」に対し「相当性」と言う。

 もし、そうだとすれば、名誉毀損の場合にも、客観的に真実であることまで要求せず、真実であると信ずるに足る根拠があれば免責されることになる。

 刑事事件の場合には処罰されない、民事事件の場合では損害賠償責任を負わない、と考えることができる。

 
これにより「表現の自由」と「名誉の保護」との調和を図るべきとなる。我が国の名誉毀損に関する裁判はこうした立場をとっていると言える。


◆第四の条件としての「反論権」について

 以上、「公共性」、「公益性」、「真実性(あるいは相当性)」について述べてきた。

 これらは従来の名誉毀損の法理に照らした成立要件である。

 これら3つに加え、安念教授(成城大学法学部教授、弁護士)は、「反論権」と言う概念を提起する。

 この条件は、とくに「
政治家など公人に対する報道、マスメディアなど表現者の名誉毀損の成立条件をより厳しくする」ためのものと言える。

 具体的に言えば、反論機会が一般人に対比しいくらでもある代議士や政治家などが、マスコミを安易に訴えることを抑制することにその背景と目的があるといってよいだろう。

 果たして著名な大相撲の利式にこの「反論権」があるかどうかは、不確かであるが、このところ連日のように大相撲八百長問題に関連し、会見をしたり、ぶるさがり取材に応じている現実を見ると、著名力士や理事長などに「反論権」があると考えるのが常識ではないかと思える。

 安念教授は、この「反論権」を以下のように要約する。

 すなわち首相、国会議員はじめ公人は、いつでも記者会見などを開き、反論する機会を有する。これは憲法の表現の自由との関連にあって、刑法、民法を問わず、名誉毀損を安直に認めてはならないとする学説であるといえる。実際、この第四の観点は、多くの公人が提起した名誉毀損裁判において適用されている。

 本件に照らし合わせる場合、「反論権」は、原告のみでなく被告にも適用することが可能であると言えるだろう。


◆本件の法理上の争点は何か!

 本件に上記の四つの観点を照らすとどうなるか。

 第一に、それが公共の利害に関する事実に係るものであるかどうか、
    =公共の利害に係わるものである
 第二に、その目的がもっぱら公益を図るものであるかどうか、
    =公益を図るものである
 第三に、当該事実が真実性ないし相当性があるかどうか、
    =証拠取り調べをもとにした事実認定の結果いかん
 第四に、原告に反論権がある場合、
    =原告、被告ともに反論権はある

 次にひとつひとつ見て行こう。

 まず問題の発端となった講談社の週刊現代における武田氏の記事だが、既に述べたように、日本相撲協会の性格及び大相撲が国技である点などから見て第一の「公共性」と第二の「公益性」があることは言を待たないところである。

 すなわち講談社が株式会社であり、かつ週刊現代が営利の週刊誌であっても、大相撲の力士や役員に八百長の嫌疑がかけられていること自体、第一の「公共性」と第二の「公益性」をクリアーしていることになるだろう。

 また、原告となっている日本相撲協会と力士には第四の「反論権」があることは間違いないところであり、被告の講談社及び武田氏にも第四の「反論権」があることは間違いないだろう。

 となると、武田氏の記事及びそれを週刊現代に掲載し販売してきた講談社の側が、どこまで顕示した記事の内容に「真実性」、また真実性の証明が無理でも、真実であると信ずるに足るだけの資料・根拠に基づく「相当性」の立証ができるかに核心がかかっている。

 すなわち、ここでは「真実性」ないし「相当性」の立証が最大のポイントとなる。

 ところで、10月上旬より東京地裁で冒頭に掲げた裁判の口頭弁論が開催され、もととなる週刊現代の記事を書いたジャーナリストの武田氏、元小結・板井の板井圭介氏らが証言に立った。また原告の朝青龍氏、元理事長の北の湖氏らも証言にた。

 朝青龍氏は「相撲界に八百長はない」 の述べ、北の湖氏は「全くのうそです。八百長はないし、カネももらっていない」と八百長を全面的に否定した。当然、ここで八百長なりそれに類する行為をしたと朝青龍や北の湖が証言すれば、それまでだが、原告である以上、それらはあり得ない。

 一方、武田氏、板井氏はさまざまな状況証拠的な力士や部屋のから聞いた事実(主に伝聞証拠)をもとに八百長があったことを仔細に証言した。また武田氏は「故二子山親方の元妻、藤田憲子さんから『主人が初優勝した取組は八百長』と聞いた」と証言した。

 一方、証言に立った板井氏は、力士時代に八百長を依頼したり、依頼された事実をもとに大相撲に八百長が蔓延していることを証言した。板井氏は自分自身が証拠であると述べた。

 上述したように法的にみて、裁判の核心は、
真実が立証できなくとも、真実であると信ずるに足るだけの資料・根拠に基づく「相当性」の立証が可能かにかかっている。

 いわゆる談合事件同様、なかなか真実性あるいは相当性を証明する決定的な物的証拠が得られにくいこの種の訴訟で、どこまで迫れるかがポイントとなるだろう!