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温故知新:秩父事件

事件の現場を歩く

C龍勢会館資料


青山貞一
26, 27 Dec. 2009
独立系メディア「今日のコラム」

温故知新・秩父事件 2008.12.25-27
秩父というまち・秩父神社 事件の現場を歩くB半納・石間
秩父というまち・武甲山 事件の現場を歩くC龍勢会館資料
地場産業のちちぶ銘仙 映画「草の乱」について
事件の概要と背景・原因 当時の生糸の生産・流通
事件の現場を歩く@井上伝蔵 自由民権運動と農民蜂起
事件の現場を歩くA椋神社



●その後の井上伝蔵

 秩父事件の中心人物の一人である。井上伝蔵(安政元年6月26日から 大正7年)について

 井上伝蔵は、井上類作の次男として武蔵国下吉田村(のちの埼玉県秩父郡吉田町、現秩父市)に生まれる。幼名は治作。長男が早くなくなったため、商家「丸井」を継ぎ、代々の「伝蔵」を名乗る。商用で上京するうち自由民権運動に共鳴し、自由党に入る。

 1884年(明治17年)11月に起きた秩父事件では会計長を努めた。秩父事件敗北後、逃亡。欠席裁判で死刑の判決を受けたが、北海道に潜行していた。

 北海道石狩(?)代書屋を開業[釧路新聞説]、明治38年 「代書業取締規則」の施行で、規制が強化され、逃亡中の身であり身分証提出ができず代書業を廃業せざるを得ませんでした。

 井上伝蔵は1918年(大正7年)、野付牛町(現北見市)で、秩父から呼びよせた先妻や、変名(伊藤房次郎)のまま結婚した妻と子供に見守られながら波乱に富んだ生涯を閉じた。享年65。なお晩年伝蔵は、子供らに北海道へくる前の事を語ったという。

 井上伝蔵の生家は1947年(昭和22年)に取り壊され、いまは空き地となりわずかに「井上伝蔵の家」(吉田町教育委員会)という立看板があるだけである。また墓地も道路を挟んだ畑のなかにある。

 秩父時代の妻はコマ(「古ま」とも)。一子フデの子で孫にあたる小林もと(1920年生れ)が、地元秩父市に住んでいる。北海道時代の妻は高浜ミキ。その三女セツの子の佐藤知行(1927年生れ)と田中ゆう子(1925年生れ)が東京都足立区に住んでいる。 2003年6月23日には映画「草の乱」の上映を機会に孫3人が墓参を行っている。

 伝蔵は俳句もたしなみ号は柳蛙と号した。「想いだすことみな悲し秋の暮」などが残されている。秩父時代の妻コマは浅草の芸者だった。東京都板橋区の養育院(養老院)で死去している。

 事件後、約14000名が処罰され、首謀者とされた田代栄助・加藤織平・新井周三郎・高岸善吉・坂本宗作・菊池貫平・井上伝蔵の7名には死刑判決が下された。

 ただし、井上・菊池は欠席裁判での判決。井上は北海道に逃走し、1918年にそこで死去した。菊池はのち甲府で逮捕されたが、終身刑に減刑され、1905年出獄し、1914年に死去した。

 上記の出典はWikipedia


 以下は北海道に逃れた井上伝蔵の写真である。


北海道に逃れた井上伝蔵の写真
下吉田の龍勢会館にて
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8

 これについては、映画「草の乱」のあらすじに概要がある。以下参照のこと。 

 1918年(大正7年)、北海道野付牛町。一人の老人が妻と長男を呼び寄せ、自らの秘密を告白する。老人の本当の名は井上伝蔵、“秩父事件”の首謀者の一人で逮捕を逃れ北海道に渡り、33年のあいだ身分を偽り生きてきたのだった――。1883年(明治16年)秋、秩父郡下吉田村。山間のこの一帯は蚕を育て生糸を売って暮らしていた。しかし、松方デフレや軍備拡張の増税、世界的不況が重なり、人々は借金に頼らざるを得ない状況に陥っていた。生糸商家“丸井”を営む井上伝蔵は、そんな人々の窮状に心を痛め、彼らの助けになりたいと行動に出るのだったが…。

 度重なる増税や生糸輸出の激減に耐えかねた農民たちが武装蜂起した秩父事件の真相を、生き残りの中心人物・井上伝蔵が臨終の床で告白する。名も無き人々の抵抗の物語を、緒形直人、杉本哲太らの共演で描いた実録ドラマ。

 出典:草の乱DVDのまえがきより



北海道に逃れた井上伝蔵とその家族の写真
下吉田の龍勢会館にて
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8

 なお本事件に関しては、従来は専ら自由民権思想及び松方デフレの強い影響下に発生したと考えられてきたが、近年はそれらに加えて、前号で詳述したように、他の養蚕地域との比較や、上述の国際的環境の影響、秩父地方特有の民俗学的状況等に関しても考慮した研究の必要性が高まっている。

秩父事件の年表

●困民党軍の組織

 決起の当日に椋神社で発表された役割表と軍律

役割表(部分)

役割 出身 姓名
総理 大宮郷 田代栄助
副総理 石間村 加藤織平
会計長 下吉田村 井上伝蔵
上日野沢村 宮川津盛
同兼大宮郷小隊長 大宮郷 柴岡熊吉
参謀長 長野県北相木村 菊池貫平
甲大隊長 男衾郡西ノ入村 新井周三郎
同副 風布村 大野苗吉
乙大隊長 下吉田村 飯塚森蔵
同副 下吉田村 落合寅市 (後に丙大隊長)
注)大宮郷は現在の秩父市

 他に秩父郡各村小隊長・兵糧方・軍用金集方・弾薬方・銃砲隊長・小荷駄方・伝令使などの役割があった。

秩父事件関係略図
出典:椋神社境内の看板
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8


自由民権運動及び秩父事件に関する著作紹介


映画「草の乱」より







 上記はいずれも 下吉田の龍勢会館にて
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8



つづく