エントランスへはここをクリック   

ウィーンフィル

ニューイヤーコンサート

2010@

青山貞一 Teiichi Aoyama 
Jan. 2010
独立系メディア「今日のコラム」


【関連ブログ】 青山貞一:美しき青きドナウ An der Schoenen Burauen Donau


 以下のウィーンフィルニューイヤーコンサート2010で使用している画像の出典はいずれもウィーンフィルハーモニー管弦楽団及びNHKテレビの地上波(教育、総合)、NHKのBSハイビジョンにあります。


ウィーンの楽友協会から最初に送られてきた画面
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団のエンブレム


ウィーンの楽友協会

 2010年の今年も、1月元旦日本時間午後7時10分からにウィーンフィルニューイヤーコンサートがNHKの衛星中継で放映された。全世界80以上の国々へ同時中継だそうだ。翌日の1月2日はNHKのデジタルハイビジョンBS2で精細な画像と5.1チャンネル音響で放映された。

 以下はNHKによる地上波テレビ・BSハイビジョン・FM放送によるウィーンフィルニューイヤーコンサートの日程である。まだ1月3日分があるので、見ていない方は是非ご覧いただきたい。

2010年
1月1日(金)教育 午後7:10〜10:00
1月1日(金)FM 午後7:15〜10:00
1月2日(土)BShi 午後5:00〜7:50
1月3日(日)総合 午前10:05〜11:54 


2010年1月元旦、ウィーンの楽友会館大ホールをうめ尽くした聴衆

 私は毎年ではないが、ウィーンフィルニューイヤーコンサートについては、感想を論考にしてきた(以下参照)。

青山貞一:ニューイヤーコンサートウィーンフィルハーモニー2008

青山貞一・池田こみち:ウィーンフィル・NYCスナップ写真集2008

青山貞一:ウィーンフィルコンサート2007

青山貞一:ウィーンフィルニューイヤーコンサート2006を聴いて

青山貞一:ウィーンフィル・ニューイヤーズ・コンサート2005 

青山貞一:ウィーンフィルと永世中立国、オーストリア2004

青山貞一:ベルリン・フィル、ピクニックコンサート2004

青山貞一:真冬の夜のウィーン・シェーンブルン宮殿コンサート2003


2008年に引き続き指揮をとったジョルジュ・プレートル

 プレートル氏はパリ音楽院卒業後、フランス国内の数多くの小さな歌劇場で指揮を執った後、オペラ=コミック座でリヒャルト・シュトラウスのカプリッチョを指揮パリでデビューを果たしている。

 1961年には英国の王立歌劇場でイギリス・デビューを果たした。さらに1960年後半に、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場やイタリアのミラノ・スカラ座にも初登場。多くの機会で晩年のマリア・カラスと共演し、カルメンやトスカの録音は歴史的名盤と呼ばれている。一時パリのオペラ座の音楽監督も務めたという。

 オペラを別にすれば、プレートルはフランス音楽の専門家として最も有名で、とりわけプーランクと縁が深い。プーランクの歌劇人間の声をオペラ=コミック座で1959年に初演し、1963年には7つのレスポンソリウムSept repons des tenebres を初演している。1999年にはプーランク生誕100周年を記念して一連の演奏会を催した。 


2008年に引き続き指揮をとったジョルジュ・プレートル


練習中のプレートル

 今年の指揮者は、2008年と同じ、そのフランス人のジョルジュ・プレートルだ。

 85歳とは思えない闊達でお茶目な指揮で楽友協会大ホールに駆けつけた聴衆を魅了していた。1年をおいて指揮をとった理由のひとつは、その演奏が耳が肥えたウィーン子に評価が高いことらしい! 練習が厳しいことは有名だが、2008年のニューイヤーコンサートでは、あのコンサートマスターに警告を発するなど、非常に厳しい一面もある。当然でしょうが。

 下はNHKの番組紹介記事。

 毎年オーストリア・ウィーンのウィーン楽友協会大ホールで行われる「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート」。クラシック音楽界最大のイベントであるこのコンサートは、全世界の70を超える国と地域に生放送で配信され、世界で最も多くの人々が同時に視聴するクラシックコンサートとなっている。

 ウィンナ・ワルツを中心に華やかな名曲の数々が演奏されるが、その中で話題となる「今年の指揮者」は、フランスの指揮者ジョルジュ・プレートルである。

 85歳を越えて、今なお世界一流の指揮者であるプレートルは、2008年以来2年ぶり2回目の登場である。

 フランスならではのエスプリと優雅さのあるプレートルの指揮の下、世界最高峰のオーケストラであるウィーン・フィルがどのような音楽をつむぎだすのか、ウィーンの聴衆のみならず世界中のクラシックファンから大きな期待がよせられている。

 またコンサートの音楽に合わせて登場するバレエもこのイベントならではの魅力のひとつ。ウィーン国立歌劇場バレエ団を中心に華麗なパフォーマンスを披露する。このコンサートの模様を、教育とFMではすべて生放送、BShiと総合でも放送する。

 下のウィーンフィル自身による2010年のニューイヤーコンサートの紹介である。おもにプレートルのプロフィールが紹介されている。プレートルは、パリ音楽院卒業後、47年間に渡り定期的にウィーンで指揮をしており、その時期、ウィーンフィルでも指揮をとってきた。プレートルは、ごく最近でも、ウィーン、ミラノ、バヅス、バーデンバーデンそしてリンツの7つのコンサートで指揮をしていると。

 The Vienna Philharmonic New Year's Concert 2010 was conducted for the second time by the French conductor Georges Pretre. Philharmonic Chairman Clemens Hellsberg stated that the decision was made "in recognition of our many years of collaboration and Pretre's extensive experience with this genre." The success of Pretre's debut at the New Year's Concert 2008 "was for the conductor, the orchestra and the audience very gratifying."

Georges Pretre has conducted regularly in Vienna for the past 47 years, and his work with the Vienna Philharmonic has encompassed this same time period. Most recently he performed seven concerts with the orchestra in Vienna, Milan, Vaduz, Baden-Baden and Linz. For his artistic achievements, Georges Pretre has been honored several times in his home country and also in Austria. In 2004 he was named a Commander of the French Foreign Legion and in the same year was awarded the Austrian Honorary Cross for Science and the Arts, 1st Class. The French president recently designated Pretre for the highest honor within the Foreign Legion, the "Grand Officier de la Legion d'Honneur".

Due to the television and radio broadcasts in more than 70 countries, the New Year's Concert is in terms of its international coverage the largest classical music event in the world. In view of the tradition of the New Year's Concerts, which began during the Second World War, the Vienna Philharmonic performs the concert even today not only as a presentation of Viennese musical culture at the highest level, but also to send the world a New Year's greeting in the spirit of hope, friendship and peace.


ウィーンフィルのストリングス・セクション


ウィーンフィルのストリングス・セクション(コントラバス)


ウィーンフィルのストリングス・セクション(バイオリン、ビオラ)


番組では楽器のメンテナンスの詳細も描かれていた!


入念な弓のメンテナンス

 さて2010年の肝心な曲目(プログラム)である。以下がウィーンフィル公式Webにある曲目である。

 ドイツ語で恐縮だが、実は指揮者プレートルがフランス人であること、しかも2008年にひき続いての指揮であるからか、フランスに関連した楽曲が含まれていて、ジャック・オッフェンバックの「ラインの妖精」などフランス人が作曲した曲が多く、フランスのエスプリを大いに堪能できた。

ジャック・オッフェンバック
(Jacques Offenbach, 1819年6月20日-1880年10月4日)
ドイツ生まれでフランスで活躍(後に帰化)した作曲家/チェロ演奏者/オペレッタ作曲家である。ジャック・オッフェンバックは父親の出身地(ドイツ・フランクフルト近郊のオッフェンバッハ・アム・マイン)からとったペンネームで、本名はヤーコプ・レヴィ・エーベルスト(Jakob Levy Eberst)。オペレッタの原型を作ったともいわれ、音楽と喜劇との融合を果たした作曲家である。なお、ドイツ語読みでオッフェンバッハと呼ばれることもある。


Jacques Offenbach

 さらにウィーンフィル創始者でもあるオットー・ニコライのウィンザーの「陽気な女房たち」など、ニューイヤーコンサートとして新味がある楽曲も選ばれていた。

カール・オットー・エーレンフリート・ニコライ
(Carl Otto Ehrenfried Nicolai, 1810年6月9日 〜 1849年5月11日) ドイツの作曲家・指揮者。1842年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(の前身Philharmonische Academie
の創設、およびシェイクスピアの喜劇に基づくオペラ『ウィンザーの陽気な女房たち』で知られている。5つのオペラのほか、管弦楽曲・合唱曲を作曲している。

Carl Otto Ehrenfried Nicolai,

 このオットー・ニコライは現在のカリーニングラード、昔のプロイセンのケーリヒブルグの出身だ。昨年3月ポーランドに行ったとき、ワルシャワの北にあり、時間があればカリーニングラードに寄りたかったが寄れなかった。

 この地からは、哲学者のカント、数学者のオイラーなど名だたる識者、学者が出ている。とくに傑出した哲学者、神学者、思想家、数学者が多い。ケーリヒブルグ、現在のカリニングラードは、ロシア領でポーランドとリトアニアに挟まれた飛び地となっている(下図参照)。




ウィーンフィルが誇るブラスセクション(トランペット)


ウィーンフィルが誇るブラスセクション(ウィーンフィル独特のフレンチホルン)


ウィーンフィルが誇る木管セクション(フルート、オーボエ)


ウィーンフィルが誇る木管セクション(クラリネット、オーボエ、ファゴット)

 頭の曲は、ヨハン・シュトラウス2世が1874年に作曲したコウモリである。

 なお、全3幕のオペレッタ 『こうもり』( Die Fledermaus)は数あるウィンナ・オペレッタの中でも最高峰とされる作品であり、「オペレッタの王様」ともよばれている。

 コウモリは、ヨハン・シュトラウス2世特有の優雅で軽快なウィンナ・ワルツの旋律が全編を彩り、その親しみやすいメロディーは全世界で愛されている。

 このコウモリは物語が大晦日の晩の出来事を題材にしている事から、ウィーンをはじめドイツ語圏の国々の歌劇場では大晦日恒例の出し物となっている。ウィーン国立歌劇場では毎年年末年始に公演が組まれており、大晦日の国立歌劇場の「こうもり」と年始のウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートがウィーンでの恒例行事となっているほどである。



2010年の演奏プログラム(アンコール曲は別)

 NHKの放映では、例によってテロップでそれぞれの楽曲ができた背景などを逐次流してくれ楽しかった。とくにオフェンバック兄弟とシュトラウス兄弟の間での作曲、演奏を巡る競争は、ことの他面白かった。

 実際には上の公式プログラム終了後、アンコール曲として、オーストリアの国歌に準ずる曲となっている「美しき青きドナウ」が演奏された。

 「美しく青きドナウ」An der schonen blauen Donau)は、ヨハン・シュトラウス2世によって1867年に作曲されたワルツ。非常に有名で人気が高く、作曲者のワルツの代名詞的な曲として広く親しまれており、ニューイヤーコンサートのアンコールの定番曲となっている。

 この曲の序奏部を少し奏した後、拍手によって一旦打ち切り、指揮者や団員の新年の挨拶が続くという習慣となっており、今回、プレートルもそれに従って演奏した。さらにアンコールの定番、曲「ラデツキー行進曲」が最後に演奏された。

 ラデツキー行進曲Radetzkymarsch)はいうまでもなく1848年にヨハン・シュトラウスI世(父)が作曲した行進曲。同年に北イタリアの独立運動を鎮圧したヨーゼフ・ラデツキー将軍を称えて作曲され、2001年には、ニコラウス・アーノンクールにより、コンサートの冒頭を飾る曲として初めて原典版が演奏された。

 ただし、2005年には演奏されていない。これは、前年末に起こったスマトラ島沖地震の犠牲者へ弔意を示し復興の支援を進めるためである。



つづく