エントランスへはここをクリック   


美しき青きドナウ」のすべて@

An der schoenen blauen Donau


序論:ドナウ川とは


青山貞一
Teiichi Aoyama
 
Jan. 2010, 8 Jan 2010 
独立系メディア「今日のコラム」

@ 序論 ドナウ川とは
A ドイツ(始点)からオーストリア
B スロバキアからクロアチア

C セルビアからルーマニア(終点)

 今年もウィーンフィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートのアンコール曲として「美しき青きドナウ」が演奏された。

◆青山貞一:ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート2010

 「美しく青きドナウ」(An der schoenen blauen Donauは、いうまでもなくヨハン・シュトラウス2世により1867年に作曲されたワルツ。世界的に人気が高く、作曲者のワルツの代名詞的な曲として広く親しまれている。

 またウィーンフィルの十八番(オハコ)の楽曲でもあり、オーストリア国民にとっては第2の国歌でもあるようだ。

 以下はヨハン・シュトラウスUの美しき青きドナウの楽譜(冒頭部分)である。


美しき青きドナウの最初のフレーズの音符
Source:From Wikipedia, the free encyclopedia

 下は楽譜のカバー。


美しき青きドナウの楽譜のカバー
Source:From Wikipedia, the free encyclopedia

●作曲者、ヨハン・シュトラウス二世について(詳細)

ヨハン・シュトラウス2世
Johann Straus II),全名はヨハン・バプティスト・シュトラウスJohann Baptist Straus, 1825年10月25日 - 1899年6月3日)はオーストリアのウィーンで活躍した作曲家/指揮者/ヴァイオリニスト。

●ヨハンシュトラウス二世の楽曲一覧


ウィーンの楽友協会近くの都市公園にある
ヨハン・シュトラウス(Johann Straus)2世像  
撮影:青山貞一 デジカメ NIkon Pool Pix S20 2007.3.15 ウイーン都市公園にて 


ヨハン・シュトラウス(Johann Straus)2世像(拡大) 


公園内にあるヨハン・シュトラウス像への案内板
撮影:青山貞一 デジカメ NIkon Pool Pix S20 2007.3.15 ウイーン都市公園にて

 以下は、プレスト指揮DTMコンサート・オーケストラによる演奏(DTM とはパソコンを使った音楽作りと演奏)です。 スピーカーをつけたパソコンで演奏が聴けます。以下のYou Tube画面の真ん中をクリックして下さい!



●美しき青きドナウの全音符(スコアー)
出典:Leipzig: Breitkopf & Hartel, n.d.(ca.1920), plate P.B. 3281
Reprint - Mineola: Dover Publications, 1989
著作権:フリー


 さて、2010年元旦のニューイヤー・コンサートでは、「美しき青きドナウ」演奏の背景イメージとして、ドナウ川の源流(ドイツ)からドナウ・デルタ(ルーマニア)まで、2840kmに及ぶ流域の自然は歴史・文化的景観が映像として流されていた。



 下の地図は、ドイツにある源流からルーマニアのドナウ・デルタが黒海に注ぐとろこを示す地図である。ざっと地図を見ただけでも、流域にはシュタットガルト、ミュンヘン、リンツ、ウイーン、ブラチスラバ、ブダペスト、ベオグラード、ブカレストなど欧州を代表する都市があることが分かる。


Source:Wikipedia

 私もドイツ、オーストリア、スロバキア、クロアチアなどドナウが流れる国々にでかけた際に、現地でその自然、文化、歴史を見て感じている。スロバキアの首都ブラチスラバに出かけたときは、ドナウ川の畔にあるその名も「ドナウホテル」に宿泊する機会も得た。

●ドナウ川とは

 ドナウ川は欧州でヴォルガ川に次いで2番目に長い大河である。

 ドイツ南部バーデン=ヴュルテンベルク州の森林地帯「シュヴァルツヴァルト(黒い森)」に端を発し、概ね東から南東方向に流れ、東欧各国を含む10ヶ国を通って黒海に注ぐ重要な国際河川である。河口にはドナウ・デルタが広がる。全長は2,850 kmに及んでいる。北海道から沖縄までと言ったらよいだろうか。

 「ドナウ」(Donau)はドイツ語である。ローマ時代にはダヌウィウスとよばれ、英語ではダニューブ川、セルビア・クロアチア語とブルガリア語ではドゥナフ川、ルーマニア語ではドゥナリヤ川という。

 このドナウ川には300を超す支流がある。このうちレヒ川・イーザル川・イン川・モラバ川・バーハ川・ラーバ川・ドラバ川・ティサ川・サバ川・プルート川などおよそ60の河川は航行が可能である。

 ドナウ川の流域面積はおよそ78万km2に及ぶ。その流域には、ドイツ、オーストリア、スロバキア、ハンガリー、セルビア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ウクライナなどの国や地域の一部が含まれている。


●ドナウ川を巡るヨーロッパの歴史

 ドナウ川は、西ヨーロッパと黒海をむすぶ重要な航路として、古くから利用されていた。ローマ時代には帝国領域の北限となった。中世初期になると、ゴート族、フン族、アバール人、スラブ人、マジャール人などがドナウ川をこえて、ローマ帝国へ、そして後にはビザンティン帝国へと侵入した。

 十字軍の遠征の際には、ビザンティン帝国へいたる幹線路であり、さらに、そこから聖地までをむすぶ主要な交通路であった。

 14世紀末にはじまるオスマン帝国の中央ヨーロッパと西部ヨーロッパへの進出にも利用された。

 19世紀には、ドイツの工業中心地とバルカン半島の農業地域をつなぐ交易ルートとなった。この時期には、中流と上流の大半がオーストリア帝国に、下流は衰退していくオスマン帝国に属していた。

 クリミア戦争の終結にともなう1956年のパリ条約によって、ドナウ川デルタ地域を管理するヨーロッパ・ドナウ委員会が設立され、船舶の航行を容易にするために、デルタ地域と下流で改良工事がおこなわれた。

 90年代には、「鉄門」として知られる峡谷部分に新水路がもうけられた。

 第1次世界大戦後のベルサイユ条約では、ヨーロッパ・ドナウ委員会が承認され、さらに国際ドナウ委員会が発足した。

 第2次世界大戦中、これらの委員会はナチス・ドイツによって廃止され、1940〜1944年には、ドイツがドナウ川全域を支配した。第2次世界大戦がおわると、ソ連とドナウ川沿岸の東欧諸国はドナウ委員会をつくり、オーストリアは60年に、西ドイツは63年にこの委員会に加入した。


●ドナウ川を巡る環境問題

 1980年代に、スロバキア南部のドナウ川沿岸にガブチコボ・ダムの建設がはじめられた。このダムの建設によってドナウ川の流路が北方に変更されたため、90年代の初頭には、ハンガリーとスロバキアの間で政治的な緊張が高まった。

 この計画は、もともとチェコスロバキア、ハンガリー、オーストリア3国による共同プロジェクトだったが、環境保護派などによる政治的な圧力をうけてハンガリーとオーストリアが撤退し、チェコスロバキアの解体にともなって、チェコも手をひいた。

 スロバキアは、ハンガリー政府の強硬な抗議にもかかわらずダムを完成させたが、1995年に、より多くの水量を下流に放流することでハンガリーと合意した。

 ドナウ川の歴史及び環境問題の出典:エンカルタ百科事典

ドナウ川の諸元概要
延長 2,860 km
水源の標高 678 m
平均流量 6,400 m3/s
流域面積 817,000 km2
水源 シュヴァルツヴァルト(ドイツ)
河口(合流先) 黒海(ルーマニア)
流域 ルーマニア(28.9%)
ハンガリー(11.7%)
オーストリア(10.3%)
セルビア(10.3%)
ドイツ(7.5%)
スロバキア(5.8%)
ブルガリア(5.2%)
ボスニア・ヘルツェゴビナ(4.8%)
クロアチア(4.5%)
ウクライナ(3.8%)
チェコ(2.6%)
スロベニア(2.2%)
モルドバ(1.7%)
スイス(0.32%)
イタリア(0.15%)
ポーランド(0.09%)
アルバニア(0.03%)
出典:Wikipedeia

 以下では、「美しき青きドナウ」演奏の背景イメージ映像として流されたドナウ川を中心に、ドイツのドナウ川の源流からルーマニアのドナウデルタまで2840kmに及ぶ自然、文化、歴史、景観を紹介する。存分に風景を堪能して欲しい!

 ドナウ川はこれだけの大河であるにもかかわらず、スロバキア、セルビアなどの一部を除き大部分が自然護岸となっていることも注目に値する。

つづく