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マレーシア機はなぜ消えたか

ニューズウィーク日本版』
2014−4・1(昨火曜日発売)

航空 /
乗員乗客239人を乗せて消えたマレーシア航空370便
5つ星エアラインの安全な飛行機が行方不明になった
原因とは


 239人の乗員乗客を乗せて3月8日にクアラルンプール国際空港を出発した後、こつぜんと姿を消したマレーシア航空370便。手掛かりが見つからないまま10日以上が過ぎ、乗客の家族のいら立ちが頂点に達した20日、機体の残骸の可能性がある浮遊物がオーストラリア当局によって発見された。

 現場はインド洋南部、オーストラリア南西約2500キロの海域だ。初の大きな手掛かりに捜索隊は色めき立ち、飛行機と船舶を急行させた。ただ現場付近の天候は大荒れで、衛星画像で見つかった浮遊物にたどり着けず引き返す飛行機も出た。

 オーストラリアの当局者は、数日かけて残骸を回収できたとしても、それが何かを特定するのにさらに数日を要すると認めている。仮に370便の機体の一部だと判明しても、機体そのものの発見は困難を極めるだろう。インド洋の水深は平均3900メートル。残骸は既に海流に乗ってかなりの距離を流されているとみられる。

 今回のケースが特に衝撃的だったのは、問題の当事者が「優良エアライン」として知られるマレーシア航空で、しかも機体が安全性を高く評価されたボーイング777だったからだ。
 マレーシア航空は、イギリスの航空サービス格付け会社スカイトラックスが「5つ星」に選んだ世界的に評価の高いエアラインだ。安全面に加え、高品質のサービスが幅広い支持を得ている。

 ボーイング777は95年以来1000磯以上製造されたが、昨年アシアナ航空機がパイロットの操縦ミスでサンフランシスコ空港への着陸に失敗するまで、死亡事故を起こしたことがなかった。ボーイングだけでなく、他社の機体と比べても安全だと考えられていた。

 370便は、クアラルンプールを離陸してから約40分後に地上との交信を絶ち、直後に突然航路を西に変えた。その後どういう経路をたどったかははっきりしない。安全性を高く評価されたエアラインと航空機が起こした行方不明事件だけに、テロやハイジャック、パイロットの自殺など、事故ではなく「事件」の可能性を疑う指摘がマレーシア航空やマレーシア政府から相次いだ。

「高度上昇を続け、成層圏を突き抜けて燃え尽きた」「無人島に不時着して救援を待っている」「他機の機影に隠れてレーダーから逃れた」 − あまりにも情報が少ないため、とっぴな臆測も大まじめに語られている。

◆残されていた通信手段

 確かに、大型機がこれだけ長期間にわたって行方不明になり、機体の一部も見つからない状況は航空史上、過去にもあまり例がない。26カ国が飛行機や船を動員して捜索を続けているが、進展は芳しくない。捜索エリアが広過ぎるためだ。

 捜索エリアの絞り込みが困難なのは理由がある。何らかの理由で370便側から現在位置を特定するための通信信号が遮断されたため、最終経路や現在地につながるデータが乏しいのだ。

 一般に、民間航空機と地上管制を結ぶ通信手段は3つある。最も頻繁に使用される無線での音声通信、地上管制が航空機の速度や高度、進行方向を追跡するトランスボンダ、そして運航状況や機体の状態を自動送信する機上コンピューターACARS(エーカーズ)だ。
 370便の場合、離陸から約30分後にはACARASの、続いて約40分後にはトランスポンダの通信機能が停止された。コックピットからの無線応答もなくなった結果、地上管制が370便の位置を捕捉する方法がなくなってしまった。こうなると、少なくとも民間のレーダーで発見するのは困難になる。

 マレーシア当局は、通信停止の原因は機器の故障ではなく人為的なものだと示唆している。例えば爆発のような事故なら3つの通信手段が一度に切れるはず。だが、今回は時問差がある。無線とトランスポンダはコックピットから容易に通信を切ることができる。一方、ACARSは整備士の管轄で、パイロットが切るには専門知識が必要だ。

 だが実は、これ以外にも残された通信手段が1つだけある。通信衛星向けの信号だ。マレーシア当局によれば、370便からの信号は離陸後7時間半が経過した8時11分まで、衛星に受信されていた。つまり少なくともこの時点までは、370便は飛行を続けていたことになる。このデータによって、370便がカザフスタンなどの中央アジア方面か、インド洋の南方に向かった可能性が判明した。

 370便の航路と現在地を知る手掛かりは今のところこれだけだ。燃料搭載量から計算して、最大航続距離はクアラルンプールから4000キロの範囲内。現在の捜索エリアは、インド洋を中心とした770万平方キロに達している。オーストラリアの国土にほぼ匹敵する面積だ。

◆「ハイジャックは不可能」

 370便の捜索がここまで難航したのは、人為的な原因もある。まず、マレーシア政府当局の姿勢。情報は小出しの上、二転三転する情報に乗客の家族やメディアのいら立ちは募った。捜索に参加する各国との情報共有もうまくいかなかった。

 マレーシア航空にも問題がある。米ワシントン・ポスト紙は先週、コスト増を嫌ったマレーシア航空が370便の機内コンピューターのアップグレードを怠っていた、と報じた。

 アップグレードをすることで、1フライト当たり10ドルの追加コストが発生する。ただこのプログラムを導入していれば、トランスポンダやACARSの機能が失われても現在地や燃料残量、速度といった運航情報を衛星経由で地上に送信できていたはずだという。10ドルを惜しんだばかりに、膨大な捜索費用と貴重な時間が失われた可能性がある。

 今回の370便と同様、飛行中に行方不明になった00年のエールフランス477便墜落事故の際には、同様のプログラムを導入していたため速やかに捜索範囲を特定することができた。墜落地点を大西洋の一部に絞り込み、墜落から6日後には機体や座席の残骸を次々に発見している。

 こつぜんと姿を消した370便を取り巻く最大の謎はやはり、なぜ本来の航路を外れたのかという点だろう。370便は出発から2時間を過ぎた段階で、本来の飛行経路から数百キロ離れたマラッカ海峡北端を飛んでいたことが軍用レーダーによって確認されている。クアラルンプール国際空港から北京に向け北北東に取っていたはずの針路が大きく西にそれていた。

 直後に浮上したのはハイジャック説だ。370便には偽造パスポートによる搭乗者が少なくとも2人いた。ただし、乗員乗客239人全員について各国が行った調査からは、ハイジャックを企てる明確な動機を持つ人物は見つかっていない。元日本航空パイロットで航空評論家の小林宏之も「仮にハイジャック犯がいたとしても、通常ならコックピットに侵入するのは至難の業だ」と指摘する。

 マレーシア政府当局も外部からのハイジャックの線は薄いと判断したのか、次の矛先は乗員へと向かった。乗員の誰かが、故意に機器類を操作して外部との接触を遮断したのではないか、という説だ。370便が通信を絶った後に7時間近くも飛行を続けたことも、内部犯行説を強く裏付けているように見える。

 やり玉に挙がったのは、ザハリエ・シャ一機長と副操縦士のファリク・ハミドだ。当局は370便が行方不明になってから7日後、ザハリエとファリクの自宅を捜索。ザハリエの自宅からフライトシミュレーターが見つかったことで、疑惑は頂点に達した。

 ザハリエはパソコンのモニターを3台連ねて操縦室を自宅に再現していた。このフライトシミュレーターは世界各地の地形を精密に再現できる性能を持っていたと報じられている(もちろん、趣味が高じただけの可能性もある)。

 また、ザハリエがマレーシアのアンワル・イブラヒム元副首相の親類で、アンワルの所属する人民正義党の熱心な支持者だったことも判明。370便が消息を絶つ前日、イプラヒムにマレーシア上訴裁判所から同性愛行為による禁錮5年の判決が下ったことに落胆したザハリエが、同機を道連れに自殺を図ったという推測も登場した。

 副操縦士のファリクにも、3年前のフライトでの疑惑が表面化した。飛行中のコックピットに10代の女性2人を迎え入れ、1時間にわたり写真撮影や喫煙に興じていたというのだ。

 この告発はオーストラリアのテレビ番組で、当時ファリクに迎え入れられた女性本人が行った。安全のため、コックピットには機長と副操縦士以外は立ち入れない。精密な電子機器を搭載する場所での喫煙などもっての外だ。

 告発が事実だとすれば、倫理的に疑わしい人間が少なくとも1人はコックピットにいたことになる。しかし機長にも副操縦士にも、航空機を墜落させるまでの強い動機は見えてこない。

◆火災説が否定される理由

 もっとも、実際は人為的なものではなく、単に機体トラブルが原因だったのかもしれない。20年のパイロット経験を持つカナダ人、クリス・グッドフェローは自身のブログで次のように推測している。
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 離陸直後に機内で火災が発生、ザハリエ機長は最も近い避難先としてマレーシア北部にあるランカウィ国際空港へ向かった。ルート上に約2400メートルの山が立ちはだかるクアラルンプールに引き返すより、障害物がなく海上から進入可能なランカウィを選ぶのは自然なことだ。
 さらに火災で機体の通信機器が損傷して制御不能になり、通信が途絶えた。トランスポンダやACARSが不能になったのはこのためだろう。やがて乗務員たちは煙に巻かれて操縦不能になり、自動操縦装置で飛行を続けたものの、燃料切れか延焼で操縦機器が破壊され墜落した。

 98年のスイス航空111便のケースでも、離陸1時間後に機内で火災が発生して通信機能が遮断された。近くの空港に緊急着陸しようとしたが、最終的には大西洋に墜落している。
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 もっともらしいが、現実には考えにくいシナリオだ。

「現在の航空機のシステムは、二重三重の電気系兢でセキュリティーが担保されている。予備電源も個別に存在する。たとえ火災があったとしても、複数のシステムが同時にダウンすることは考えにくい」と、元日航パイロットの小林は指摘する。

 370便の場合、非常に近いタイミングで無線、トランスボンダ、ACARSという3つの通信手段がすべて不通になっている。ただ「30便から周囲に異変を知らせる救難借号すら出されていない。機体トラブルの可能性は非常に低い」と、小林は言う。

◆頼みの綱はあの機器だが

 ブラックボックスの発見に過剰な期待はできない

 ただ見つかれば真実が明らかになる

 機体トラブルでなければ、370便の問題は乗員による故意の操作が原因だった可能性が高いことになる。結局のところ原因特定のカギを握るのが、「ブラックボックス」の行方だ。

 ブラックボックスとは、衝撃と熟に耐えるオレンジ色のケースに入った2つの記録装置のこと。1つは、飛行速度や飛行時の角度、パイロットが入力したデータなどを記録したフライトデータレコーダー。もう1つは、コックピットの会話を記録したコックピット・ボイスレコーダーだ。

 航空機の運航状況を記録するブラックボックスは、航空事故の原因特定には欠かせない存在だ。仮にトランスポンダやACARSを人為的に遮断したとしても、ブラックボックスには外部から手を出せない。

 ブラックボックスがその役目を果たすのは航空事故発生時。そのため墜落時に位置通信用の無線信号を発する緊急用の音響発生装置(ビーコン)を内部に備えている。自ら信号を発することで、捜索隊に見つかりやすくするのだ。

 200人以上が死亡した09年のエールフランス477便の事故は当初、テロの疑いを持たれていた。ただブラックボックス解析の結果、最終的にパイロットの操作ミスが原因と断定された。機長が休憩中で、経験の浅い副操縦士が操縦かんを握つていたときに速度計が故障。マニュアルに切り替えたところ失速し、さらに操縦かんの操作を誤ったため飛行機はコントロールを失い、海面に激突した。

「上昇しろ」

「操縦かんを引いています」

「違う、引くんじゃない!」

「何ってこった、このままでは衝突するぞ、あり得ない!」

 墜落直前のコックピットに響いた絶望的な叫び声は、エールフランス機の事故原因を特定する上で決定的な役割を果たした。

 だが現状を考えれば、ブラックボックス発見に過剰な期待はできない。オーストラリア南西沖で見つかった残骸が370便由来のものだとしても、ブラックボックスにたどり着くまでには相当の時間を要するだろう。衝撃や爆風で壊れてしまっているかもしれない。

 ブラックボックスから発せられるデータが届くのはせいぜい周囲200キロほど。しかも内蔵バッテリーの寿命は30日分しかない。370便の場合、ブラックボックスからの発信データを頻りにできるのは、せいぜいあと半月だ。

 航空機にはブラックボックスに加えてELTという航空機用救命無線機も備わっている。こちらは、周囲400キロ程度まで信号を発信できる。しかし残念ながら、バッテリー寿命が48時間から60時間程度しかない。

 09年のエールフランス477便のケースでも、結局ブラックボックスが回収されたのは事故発生から2年後のことだった。

 オーストラリアで見つかった残骸が事故と無関係なら、捜索は迷宮入りする可能性もある。

安藤智彦(本誌記者)」