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ヒマラヤ山岳の国と地域
Nation and Entity in Himalayan Range

Cシッキム(Sikkim)

青山貞一

掲載月日:2013年12月8日
独立系メディア E−wave Tokyo
無断転載禁

ヒマラヤ山岳の国と地域
@ 序説 C シッキム F カシミール
A アルナーチャル プラデーシュ D ブータン G チベット亡命政府
B チベット E ネパール H ザンスカール

◆シッキム
(旧シッキム王国、現在はインドの州)

 





創立 1975年5月16日

人口 540,493

面積 7,096 km2

州都 ガントク


シッキムの位置 赤い部分 Source:English Wikipedia


ヒマラヤ山岳の国と地域  Source:Wikipedia をもとに青山作成


シッキムの地形 出典:グーグルマップ

<概要>

シッキム 【Sikkim】

インド北東部、ヒマラヤ山脈南麓の州。州都ガントク。中国とインドを結ぶ要路に位置する。もと王国でインドの保護領から1975年に州となる。住民はヒンズー教徒のネパール人とラマ教徒のボーティア族・レプチャ族。ヒマラヤ南麓のネパールとブータンのあいだに位置する。かつてシッキム王国だった歴史的な経緯により、インド28州のうち人口最少、面積はゴア州に次いで2番目に狭いという小さな州となっている。

 出典:コトバンク

<シッキム王国>

 シッキムにはレプチャ人が居住していた。しかし、1642年、チベットがチベット仏教ゲルク派が主導する政権であるガンデンポタン(ダライ・ラマ政権)により統一されると、ゲルク派に対立していたチベット仏教ニンマ派の高僧と同派を奉ずるチベット人(のちのブティヤ人)の一部がシッキムの地に亡命し、プンツォク・ナムゲルを擁立してシッキム王国(ナムゲル朝)を建国した。チベット人の亡命政権だったことからチベットはシッキムを属国とし、チベットを属国としていた清朝もシッキムを自らの属国と看做すという複雑な状況となっていた。


シッキム王国の地図   出典:Wikimedia Commons

 1706年, ブータン王がカリンポン一帯を奪い取り、現在の地名に変更した。1780年代後半、ネパールから来たグルカ族がダージリンとカリンポンに侵攻し、1788年までに一帯を支配した。イギリス領インド帝国時代になると、ネパールがイギリスとシッキムにとって共通の敵とみなされた。イギリス東インド会社がネパール(シャー王朝)に侵攻したグルカ戦争(1814年-1816年)でスゴウリ条約が結ばれ、シッキムの王チョギャルがダージリンとカリンポンの奪還に成功した。

 その一方でイギリスはチベットとの交易も模索し始め、シルクロードのあるシッキムはその中継点として理想的といえた。それは南下しつつあるロシア帝国がチベットとの関係を深めようとすることを牽制する意味があった。

 1840年に隣国の清がアヘン戦争になると、緩衝地帯の西に位置するラダックに当時あったシク教国とチベットの間で清=シク戦争(1841年-1842年)が行われた。しかしその直後、イギリスとの間で第1次シク戦争(1845年-1846年)及びSecond Anglo-Sikh War(1848年-1849年)が行われ、シク教国は滅亡し、ジャンムー・カシミール藩王国が誕生した。

 1849年、シッキムは南部のダージリン地方を当時の35,000ルピーでイギリスへ割譲させられた。チベットは、イギリスと隣接する領域が西部だけでなく東部にもできることに脅威を感じ反発したが、イギリス軍がチベット軍を撃退、1861年には清朝との間でシッキムをイギリスの保護国とすることが定められた。

 1866年、フランスによる雲南省経由通商路の調査がきっかけとなって、雲南問題で知られるイギリス、フランス、中国間の紛争が始まると、イギリスの主な関心はより豊かな雲南方面へと移っていき、この地域に求められる役割はインド総督府の避暑地となったが、1888年のシッキム遠征で初めてチベット軍と戦闘になり、英国のチベット遠征の前哨戦となった。この時期に茶葉栽培のためにネパール人が労働力として大量に移住し、ブティヤ人を凌ぐ人口を擁するようになった。

<中国によるインド主権の承認>

 中華人民共和国政府は、シッキムが清の属国であったチベットの属国であったという歴史的経緯から、インドによるシッキムの併合を認めていなかった。このため、中国で発行される地図には長い間シッキムが独立国家として描かれていた。

 2003年、中国の温家宝首相がインドのアタル・ビハーリー・ヴァージペーイー首相と会談した際、両国の辺境問題 (インドが中国のチベット支配を、中国がインドのシッキム支配をそれぞれ認めていないこと) について議論された。

 この結果、中国はシッキムにおけるインドの主権を承認し、中国で出版される地図でシッキムは独立国家としては描かれなくなった。2005年、中印両国は、チベット・シッキム間のナトゥラ峠(Nathu La)とジェレプラ峠(Jelep La)について、その開放を提案した。

 チベットを含む中国本土全域を領土と主張する台湾の中華民国政府は、現在もインドによるシッキム支配を公式には認めていない。このため、台湾で出版される地図にはシッキムが独立国家として描かれていることがある。

<行き方・費用など>

北シッキム旅行ガイド  ※シッキム入国許可書
シッキム個人旅行例   ※シッキムトレッキング
陸路ネパールからシッキムへの旅
ヒマラヤの麓・シッキムでの 1 年半を終えて

※1ルピー = 約1.7 円 (2013年11月9日現在)


◆シッキムの写真集


シッキムのユメソン(Yumesongdong)ルート。ユムタン河(en:Yumthang)の渓谷を通る。
 出典:Wikimedia Commons


北シッキムに数百ある湖のうちの一つ。この湖の高度は約5000mである
 
出典:Wikimedia Commons


Sikkim Photos
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Rumtek Monastery, Sikkim  シッキムのラムテック王宮
出典:Wikimedia Commons

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