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  シルクロードの今を征く
Now on the Silk Road

西安 (Xi'an、中国)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月〜6月
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はじめに  西安  兵馬俑1 兵馬俑2 展示1 展示2 展示3 博物院1 博物院2 秦始皇帝陵  楊貴妃墓
大雁塔・大慈恩寺  大雁塔2  大雁塔3  青龍寺1 青龍寺2 青龍寺3 西安古代城壁・西安鐘 西安古城2


 最初はシルクロードの起点となる中国西安(長安市)です。

◆西安Xi'an 中国西安市)

 以下はシルクロードの起点、出発点の中国西安の現在の概要です。



 下は西安市を含む陝西省の位置を示しています。陝西省は中国のほぼ中央にあります。


Source:Wikimedia Commons

 以下も中国全土における西安の位置を示しています(赤〇)。見てわかるように、西安は中国のほぼ中央にあります。


出典::中国旅行エージェンシー

 下のグーグルマップは現在の西安市の全域を示しています。


出典:グーグルマップ

西安の地名の由来

 西安(西京)とは「西の首都」の意味であるが、一般的に東アジアの伝統では、首都の名前をこのようにつけることが多かったのです。

 例えば、日本の東京やベトナムのトンキン(東京)は、「東の首都」を意味します。日本の東京は、首都を意味する京都からの方角をもとにしており、「北京」、「南京」、「西京(長安、西安)」は、中国の内陸部にある洛陽からの方角をもとにしています。

西安の歴史

 西安の古称は長安であり、かつては西都、西京、大興、京兆、奉元等とも称されました。古代より中国の政治の中心地として西周から秦、漢から隋、唐の都城と十数の王朝の都として二千数百年の歴史を有す古都です。

 1369年(洪武2年)、明朝は元朝の奉元路を廃止し西安府を設置しました。これが西安の名称の初見です。

 明末の李自成の反乱に際しては、西安に入城した李自成は一時長安と改称しましたが、清朝により再び西安と改称され中華民国まで沿襲されました。

 1928年、西安に初めて市制が施行され省轄市としての西安市が成立しました。

 1948年には国民政府行政院轄市に改編、中華人民共和国成立後は延安に代わって陝甘寧辺区の首府となり、西北行政区轄市、中央直轄市、計画単列市と改編が続き、1954年に陝西省の省都、副省級市となって現在に至っています。

 1900年の義和団の乱では西太后ら皇族が戦火の北京を逃れ西安に避難しています。また1936年には国共合作による日本政府への対抗を目指す張学良が蒋介石を軟禁した西安事件の舞台となった都市でもあります。

 2004年、西北大学が日本人遣唐留学生井真成の墓誌を市内から発見して話題となったこともあります

東西文化が花開いたシルクロードの起点とし西安

 紀元前11世紀の西周に始まり、中国を統一した秦、そして唐まで11の王朝が都を置いた西安。長安と呼ばれた唐の時代はシルクロードの東の拠点として、遥かヨーロッパと、東西の文物が行き交いました。

 シルクロード(絹の道、英語: Silk Road)は、中国と地中海世界の間の歴史的な交易路を指す呼称です。絹が中国側の最も重要な交易品であったことから名付けられました。その一部は2014年に初めて「シルクロード:長安〜天山回廊の交易路網」としてユネスコの世界遺産に登録されました。シルクロードの中国側起点は長安(陝西省西安市)、欧州側起点はシリアのアンティオキアとする説があります。


唐時代の長安の地図(7〜10世紀)
Source:Wikimedia Commons

 西安には今でも名称旧跡が数多く残っています。

 ざっと上げると、世界遺産の兵馬俑、秦始皇帝陵を始め、華清池、鴻門の宴遺跡、半坂遺跡博物館、崋山、大雁塔、大慈悲恩寺、大唐不夜城、大唐芙蓉園、陝西歴史博物館、城壁西門、青龍寺、興慶宮、碑林博物館、小雁塔、鐘楼、鼓楼、回民街、清真大寺、高家大院、広仁寺、唐大明宮遺跡、秦阿房宮遺跡、漢長安城遺跡、咸陽博物館、茂陵、楊貴妃墓、昭陵、漢陽陵、乾陵、乾陵博物館、法門寺、五丈原、太白山、大興善寺、大興教寺、香積寺、草堂寺、西安野生動物園、翠崋山などさまざまな見どころ、観光施設があります。


中国の西安
Source:Wikimedia Commons


周から清王朝時代の西安における居住地を囲む壁の地図
Source:Wikimedia Commons


つづく