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莫高窟  百度百科6

 
(甘粛省敦煌市)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月
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 窟(401-500)


 起点の西安の次は中国敦煌市莫高窟の百度百科6です。

◆莫高窟 百度百科6(Mogao Caves, 中国敦煌市)


Source:Wikimedia Commons 

歴史的価値


敦煌、甘粛   出典:中国百度百科


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 敦煌石窟の建設及びその歴史的過程は、敦煌の有給の歴史であり、当地の豪族一族に影響を与え、敦煌周辺の民俗と西域との関係を構築しましたが、歴史の詳細は埋没して記録は僅かです。

 敦煌石窟には何千、何万の仏教信徒の肖像画が描かれており、その中の千体以上には絵の題名やサインが残っています。これらによって多くの歴史的な状況や歴史の糸口を理解することが可能となります。

 本生、仏傳、福田経変、弥勒経変、宝雨経変、楞伽経変、及び仏教信徒題記などは、古代の経済生活の状況を理解するのに役立ちます。

 法華経変と涅槃経変は、古代軍の訓練、探検、征服、そして攻撃と防御の作戦の戦闘図、そして武器と装備の貴重なイメージを提供しました。

 敦煌壁画には、騎馬射、射撃、馬技、躍馬、相撲、力比べ、重量挙げ(象挙や鐘挙)、将棋、壺投げ、武術、水泳、ポロ、フットボール等のスポーツ属性に属する材料が含まれています。

 敦煌石窟のカラフルな絵画や壁画は、主に仏教に関する内容です。具体的には、カラフルな塑像や壁画の仏像、釈迦牟尼の生涯、因縁(カルマ)、仏教故事、各種経変画、多くの様々な仏教伝来に関する故事の絵、神話や人物がなどで、それぞれ膨大かつ大量に存在し、系統的な材料が用いられています。

 それはまた、(仏教が)インド、西アジア、中央アジア、新疆、その他の地域に伝わり、古代の敦煌と河西回廊の仏教思想、宗派、信仰、伝播、仏教と中国の伝統文化の融合、そして仏教が中国化の過程をたどる過程を理解する上で大変役立ちます。


芸術的価値


Cescent Lake and Pagoda from north / northwest
Source:Wikimedia Commons

 敦煌石窟建設にかかった1000年の歴史は、中国の歴史のなかで中期から上期に当たる時期で、漢王朝以降の長期にわたる分裂と軍閥割拠の時代であり、民俗融合、南北統一、そして唐王朝の最盛期に向かっていく時期でもありました。

 また、この時期は、絶頂期から大きく凋落していく重要な発展途上の時期でもありました。一方で、この期間は、中国の芸術的秩序、流派、分類(カテゴリー)、そして理論の形成と発展の時代であり、仏教と仏教美術の導入後、仏教理論と仏教宗派が確立され発展し、仏教美術・芸術が中国美術・芸術の重要な分野となり、最終的に中国化されてその時代を終えました。

 注)中国化とは(Wikipediaより)
 一つの国家または民族が言語的、文化的に中華文化に同化される、特に
 中華民族の根幹を成す漢民族(漢族、漢人)が周辺民族を同化及び融合す
 る過程を指す、漢化やシニサイゼーション(Sinicization)ともいう。中国化は
 中国の歴史において絶え間なく発生し、中国の歴史そのものとも言える。
 漢族は高度な政治、経済文化、優越な地理条件、圧倒的な人口の優勢を
 持ち、それ故にこの民族融合の過程の中核的存在であり続けた。

 中国の絵画を美術的観点から見ると、敦煌石窟の人物画、風景画、動物画、装飾的な図柄は、すべて1000年の歴史を有しており、独自のジャンルを形成し、数も多いのが特徴で、それぞれが、人物画史、山水画史、動物画史、装飾図案画史として独立した分野を形成しています。

 特に、宋時代以前、すなわち10世紀以前の人物画、風景画、動物画、装飾模様図などが保存されており、これは世界中の美術館コレクションでは見られないことです。

 敦煌石窟壁画には音楽を題材にしたものが200以上もあり、たくさんの楽隊、、楽器演奏や楽器の絵があり、統計によると、500以上の多くの楽隊があり、笛を吹いたり、太鼓をたたいたり、、弦楽器をひいたり/弾いたり、楽器類は40種類にも上り、全部で4500件もあるといいます。

 敦煌蔵経洞(チベット経典石窟)には楽譜やその他の音楽資料があります。豊富な音楽に関する画像は、千年近くにわたる中国音楽文化の継続的発展や変化を示しています。中国音楽の歴史を研究し、中国と西洋の音楽交流のためにも貴重な情報を提供しています。

 敦煌石窟の大多数の壁画には、ほとんどすべてに舞踊のイメージが描かれています。人々の社会生活を反映し、風俗習慣としての舞楽の場面や舞踊の図柄が描かれ、西域の音楽や舞踏、人々の饗宴や結婚に際しての舞楽、また、経変の中には宮廷貴族の宴会用音楽や歌舞の場面、仙人の住む天宮の舞踊イメージ、天女の様な舞のイメージ、仏教信徒の楽器演奏等の絵がありました。

 舞踏芸術は時間・空間に保存できない芸術です。古代の舞踏の形は現代人はほとんど知りません。この点から考えても、敦煌石窟は、まさに、舞踏芸術の博物館であると言えます。そこには無数の舞踏技巧や美しい舞踏の形が保存されていて、各時代の舞踏の様相とその後の発展過程を保存してくれています。

 敦煌石窟の芸術には建築史に関する豊富な情報があります。敦煌の壁画には、五胡十六国時代からXixiaまでのさまざまな種類の建築絵画が描かれており、仏教寺院、城壁、宮殿、宮殿、門塔、僧侶の庵、遊牧民用の丸いテント、蚊帳、屏風(幕・カーテン)、宿屋、旅館、屠殺場、狼煙台、橋梁、監獄、墓などがあります。これらの建物には、複合の建物として建てられているものと単独の建築物として建てられたものがあります。

 壁画には、斗拱(組み物)、柱、ドアと窓、建築施工図面など、さまざまな建築部品や装飾品もあります。1000年にも及ぶ長い年月の建築関連資料や中国建築の歴史の一部を示しています。

 重要なのは、敦煌の建築材料の本質は、南北朝時代の北朝時代から隋王朝、唐王朝までの400年の間の建物の様相を反映しており、南北朝時代から最盛期の唐王朝までの建築資料の空白を埋めていることです。さらに、さまざまな時代に、形が異なる800以上の洞窟が建物され、唐と宋王朝時代の木造建築のの5つ庇(ひさし、のき)のある洞窟、そして洞窟寺院の舎利塔群はすべて古代から現在に残る貴重な実物の建築資料です。


莫高窟(百度百科7)つづく