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  シルクロードの今を征く
Now on the Silk Road

 
莫高窟 #201-#300

(Mogao Caves、中国甘粛省敦煌市)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日
独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁
 

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窟(1-50) 窟51-100)  窟(101-200)  窟(201-300) 
窟(301-401)
 窟(401-600) 参考 石窟マップ


◆莫高窟201-300

 次は莫高窟201-300です。


Source:Wikimedia Commons 



観無量寿経壁画 敦煌莫高窟第217窟
Source:Wikimedia Commons 

 注)『観無量寿経』(かんむりょうじゅきょう)Wikipediより
  大乗仏教の経典の一つ。別名『観無量寿仏経』、『無量寿仏観経』、『無量寿観経』
  ともいい、『観経』と略称される。サンスクリット原典、 チベット語訳が発見されて
  いないため中国撰述説もある。
 
 注)観無量寿経 無盡燈(浄土真宗本願寺派法性山善徳寺)Webサイトより
  観無量寿経(観経)は、「いづれの行もおよびがたき」罪悪の凡夫でも、南無阿弥陀仏の
  お念仏を称えることによって救われ、極楽に往生できることを説く経典です。その経典
  の序分には、「王舎城の悲劇」と称される、親子の間で繰り広げられた悲劇の物語が説
  かれています。 この経典のサンスクリット原典は伝えられておらず、畺良耶舎(きょ
  うりょうやしゃ:西暦424-453年)という西域の人による漢訳『仏説観無量寿経』のみが
  現存しています。 


太宗皇帝
作者不明-甘肅省敦煌壁画 第220窟
Source:Wikimedia Commons 



縁取りのある弦楽器(琵琶)奏者(月琴?) 莫高窟第220窟北壁,
唐王朝(618-907)、作者不明
Source:Wikimedia Commons 



敦煌莫高窟 第249窟 阿修羅
Source:Wikimedia Commons 



後で上塗りが部分的に削除された後に明らかになった初期の壁画。 酸化から保護され
た顔料を含む人物の肌の色調は、後の右側の絵の仏の暗めの色調とは対照的です。
莫高窟第253窟、北魏時代。
Source:Wikimedia Commons 



虎ジャータカ(仏法説話のひとつ)を描いた壁画。敦煌莫高窟第254窟。
作者不明、北魏時代、
Source:Wikimedia Commons 

 注)ジャータカ(Jataka)
  仏教説話集。 jātakaとは「生れたものに関する」の意で「本生話」「本生譚」とも
  訳す。インドに古くからある業報輪廻思想を仏陀にあてはめたもの。現世で悟る以前,
  仏陀が六道で菩薩としてさまざまな姿,形をとって善行を行う様を述べる。 (1) 現在
  世の物語,(2) 過去世の物語,(3) 過去と現在のつながりを説く3部門から成る。成立
  年代は明確ではないが,前2世紀にはこれを題材にした彫刻が出現している。説話数は
  547 (パーリ語聖典) 。早くから各国語に翻訳されて西方諸国に広まり,『千一夜物語』
  『イソップ物語』『グリム童話』などに影響を与え,また日本の『今昔物語集』にも
  類話がみられる。



求職の鹿の壁画の部分。敦煌莫高窟第257窟
Source:Wikimedia Commons 



莫高窟第275洞窟の壁画
Source:Wikimedia Commons 



Mural from Mogao cave 263, showing underlying painting. Northern Wei Dynasty. Later painting seen on right hand side.
Source:Wikimedia Commons 



第272窟(5世紀) 天井
出典:NHK BS3 もうひとつのシルクロード



第272窟(5世紀) 天井
出典:NHK BS3 もうひとつのシルクロード



最古の洞窟の1つである北部梁(397-439)の第275洞窟の中の弥勒仏像。
3枚の円盤状の王冠と交差した足首の像は、クシャーナ王朝の芸術からの
影響を示している。
Source:Wikimedia Commons 



第275窟の弥勒菩薩像、北涼時代(397-439)の窟で最も古い窟の一つ。3枚の円盤を頭に
載せ、かかとを交差させた像はクシャーナ朝の芸術の影響を受けています。
Source:Wikimedia Commons 



第275窟(5世紀) 交脚弥勒菩薩
出典:NHK BS3 もうひとつのシルクロード



第275窟(5世紀) 交脚弥勒菩薩
出典:NHK BS3 もうひとつのシルクロード



第275窟(5世紀) 交脚弥勒菩薩
出典:NHK BS3 もうひとつのシルクロード



第275窟(5世紀) 交脚弥勒菩薩
出典:NHK BS3 もうひとつのシルクロード



第275窟(5世紀) 交脚弥勒菩薩
出典:NHK BS3 もうひとつのシルクロード




飛ぶアプサラ(天女)。 285窟、538-539 AD、西魏時代
Source:Wikimedia Commons 



第285窟 
出典:NHK BS3 もうひとつのシルクロード



第285窟(6世紀) 
出典:NHK BS3 もうひとつのシルクロード



第285窟(6世紀) ビハーラ窟
出典:NHK BS3 もうひとつのシルクロード



第285窟(6世紀) 
出典:NHK BS3 もうひとつのシルクロード



菩薩を参拝する様子を描いた壁画、第285窟、魏王朝時代
Source:Wikimedia Commons 



五百人の強盗のアヴァダーナの物語を描いた壁画。第285窟、西魏時代
Source:Wikimedia Commons

 注)アヴァダーナ(Avadana) 浄土宗大辞典より
  原語は現存の五部四阿含よりも古い経典分類形式である十二分教(十二部教)の一支
  を指すが、その原意はいまだ明らかではない。その言葉の意味から、輝かしい遂行、英
  雄的な行為・偉業、ブッダおよび仏弟子の高貴な行為に関する物語などと定義されたり
  するが、これは実際に「アヴァダーナ」を冠する説話の内容と必ずしも一致しない。よっ
  て、その内容面から「弟子や信者の現在事を説明するのに前生過去事を持ち来たり、そ
  の因果応報の理で結びつける物語」と定義されることもある。確かにアヴァダーナと呼
  ばれる物語は、現世の楽果・苦果を前世の善業・悪業で説明するものが多いが、中には
  明らかにジャータカでも「アヴァダーナ」と呼ばれる話も存在する。一方、この語は
  「譬喩」と漢訳されることから、これを教訓譬喩と解し、誰かを教戒する目的で使われ
  る話は、内容がジャータカでも「アヴァダーナ」と呼ばれていた可能性を示唆する研究
  者もいる。これはその「内容」ではなく「機能」という観点から「アヴァダーナ」を定
  義したもので、興味深い解釈である。

 注)五百強盗成仏図 台東区ヴァーチャル美術館より
  五百強盗成仏因縁は「昔、コサーラ国で人々を苦しめていた500人が王のさし向けた
  軍隊に敗れ、捕らえられ両眼をえぐられる刑罰を受けた。山中で苦しむ盗賊を哀れんだ
  仏は、神通力によってその眼に再び光明を与えた。悔い改めた盗賊は剃髪出家した」と
  いう物語である。500人の盗賊を5人で表し、宮殿や山岳で場面を区画し、場面の動と
  静を対比させ、花や木、動物など点景を巧みに描写し、絵巻物風に物語を展開する。



第285窟
出典:NHK BS3 もうひとつのシルクロード



第285窟
出典:NHK BS3 もうひとつのシルクロード



第285窟
出典:NHK BS3 もうひとつのシルクロード



第285窟
出典:NHK BS3 もうひとつのシルクロード


窟(301-400)へつづく