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高昌故城 (百度百科編3) 

(khocho ruins、新疆ウイグル自治区トルファン市)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月
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 次はトルファン市の高昌故城の百度百科編3です。

高昌故 百度百科編3 (新疆ウイグル自治区・トルファン市)

遺跡の特徴


高昌旧市街地図  出典:百度百科編

 高昌故城の内外の建築類型は、唐代の長安城の形式とレイアウトに似ています。平面の長方形で、周囲の長さは5.4キロメートル、総面積は約200万平方メートル、レイアウトは、外城、内城、宮城の三つに分かれています。

 外城の城壁の基礎幅は12メートル、高さは11.5メートル、夯土(版築)工法を用い、土の厚さは8cm~12cm、少量の土坯を混ぜることにより、目は清楚でくっきりし、馬の顔の輪郭、凹凸もはっきりと残っています。

 城全体で9箇所の城門があり、南に面して3つの城門、その他3方向にそれぞれ2つずつ城門があります。北側の西寄りの城門は最も保存状態がよく、湾曲した甕城(おうじょう)がありまた、外城中央部にある内城には、正方形の平面があり、城壁全体が夯土による城となっています。西と南は両方とも保存状態が比較的良好で、建築年代も外城に比べて早い時期です。

 宮城(王宮)は最も北側にあり、城内には、外城壁、内城壁、宮城壁、可汗堡、狼煙台、仏塔などの建築物がありました。外城の北壁は宮城の北壁でもあり、内城の北壁は宮城の南側の壁となっていました。外城内の西南の角にはひとつ仏寺の遺跡があり、その面積は1万平方メートルで、院内中央には菩薩像と壁が残されていました。

 注)夯土(こうど)=版築(はんちく)
  土を建材に用い強く突き固める方法で、堅固な土壁や建築の基礎部分を徐々に高
  く構築する工法を指す。 もともと石灰分を多量に含んだ微粒子から成りこの工法に著し
  く適した黄土が広く堆積した黄河流域で古代から用いられ、特に発展を見せた工法で
  ある。 なお版築で作った壁等の構造物自体を指して版築と呼ぶ場合もある。

 注)土坯 (白水社中国語辞典)
  粘質土を焼かないでれんが状に固めたもの,土れんが,日干しれんが,泥れんが、アド
  べ(アドービ)粘土、アドベ煉瓦、生煉瓦。

 注)アドベ(アドービ)とは、砂、砂質粘土とわらまたは他の有機素材で構成された天然建
  材である。これらの有機素材を木製の型枠を使って日なたで干すことでレンガの形にし
  て使われ、ヨーロッパのコブ(英語版)や日干しレンガによく似ている。アドベの構築物は
  非常に耐久性に富み、地球上に現存している最古の建築物によく使われている。アドベ
  建築物は熱を吸収してから非常にゆっくりと放出するため、建築物の内部は涼しいままに
  保たれ、暑くて乾いた気候に適している。(Wikipedia)

 注)甕城(おうじょう)Wikipediaより
  中国の城郭や関所で、正規の城門外(まれに城門内側)に防御用の城門を二重(もしく
  は三重以上)にかけた半円形あるいは方形の小堡をいう。蘇州、南京、西安などの都市
  城壁に付属して見られる。


文化遺産


蓮の花びら   出典:百度百科編

 高昌故城から出土した文化遺産の主要なものは、陶、銅、鉄、木、石器などがあります。陶器は大宗のものであり、多くの当機片が残されていました。陶器の口の部分の特徴から、それらの当機は、甕、大桶、罐(ほとぎ:薬罐や銚子など)、盆、鉢、碗などがあり、中でも、盆と罐そして甕などが比較的大量にありました。

 1号住居跡の1階の部屋からは千仏を描いた壁画の破片が出土しており、佛陀の丸い顔、太った体、後頭部に高く結い上げた髪、肩に掛けた衣、体の下には、蓮の花を伏せた仏座が見られました。体は真っ直ぐで、曲線は少なく、絵柄は沢山描かれており、唐時代の仏像の特徴に比較的似ていて、唐王朝の豊満が美しいとする美の概念に符合しています。絵画の筆のタッチは軽くなめらかで、これも明確に唐時代の芸術様式を表しています。

 1号住居の南側の地層からは“開元通宝”が1枚出土しています。3号民家の西半分の建物は、東半分の建物とよく似ており、二つの建物の間には何らかの関係があったものと思われます。東側半分の建物の仏寺付近から唐代の“建中通宝”の貨幣が出土しており、また、上部の建物が崩れ落ちた土の中からは、宋時代の“皇宗通宝”の貨幣が出土しています。


研究上の価値


高昌古城1号遺跡  出典:百度百科編

 高昌故城は、ウィグル語で「亦都护城」といい、これはすなわち、“王城”を意味しています。それは、高昌王国の都の城であり、また、世界宗教文化が集まる貴重な場所のひとつです。これは、古代西域における重要な政治、経済、文化、宗教、軍事の中心であり、古代西域都市文化、建築技術、様々な主教と他民族文化の存在するトルファン盆地の文交流と伝播についての貴重な資料を提供しています。


保護措置


カーンフォートF2遺跡  出典:百度百科編

 1961年3月4日、高昌故城は、中華人民共和国国務院により、一括して全国重点文物保護対象施設であることが発表されました。

 1999年8月16日、新疆ウィグル自治区は高昌故城の4面の境界を設置し:北は外城の北城壁を基準線として、外側に150メートルまで延伸し、東は、二堡郷公路の西縁まで、南は、南門までの800メートル、西は、現行の道路と並行に、外城西門の外100メートルまでとしました。

 総面積は459.97平方メートルです。各4辺の緩衝地帯としては、北は火焔山北側山麓まで、東は、吐峪沟(トゥーユーゴウ)東側2kmまで、南側は、吐峪沟郷北側まで、西は、库鲁克艾格孜沟谷を超えて汗迪克里克路までとし面積は51,203.28平方メートルとなっています。


歴史文化

歴代の名称

 《漢書》の中で最も早く“高昌壁”に言及しています。

 《北史・西域傳》には、「昔、漢の武将が西征伐のために兵を派遣した際に、旅で疲弊し、生きるのに困窮していた。地形は高く広大で、人々は繁栄していることから、高昌という名にする」と書かれています。

 高昌故城は、唐代以前は“高昌”と呼ばれ、唐時代には“西州”と改め、西州回鶻が占領した後、遼王朝時代には“和州”と呼ばれました。また、元時代には、“哈刺火者”、“哈刺霍州”,“哈刺火州”“火州”そして“哈刺和绰”等に翻訳され名前が付けられていました。

 注)『漢書』(かんじょ)
  中国後漢の章帝の時に班固・班昭らによって編纂された前漢のことを記した歴
  史書。二十四史の一つ。「本紀」12巻、「列伝」70巻、「表」8巻、「志」10巻の計
  100巻から成る紀伝体で、前漢の成立から王莽政権までについて書かれた。
  『後漢書』との対比から前漢書ともいう。

注)『北史』(ほくし)
 中国の北朝について書かれた歴史書。西域については、列伝第八十五で触れている。


観光情報

地理的位置

 高昌故城は、新疆ウィグル自治区の火焔山南山麓木頭溝河三角洲、吐魯番市東面40多公里的三堡鄉に位置しており、勝金口南二堡と三堡の間にあります。

 勝金口から流れ出した木頭溝の水は、二堡に流れ込み故城の中を流れます。高昌故城の西の吐魯番市までは約30キロメートル、東の鄯善県の街までは約55キロメートル、西約1.5キロメートルで三堡郷役所、北に約2帰路メートルで二堡郷の役場、そして西北に約2.2キロメートルでアスターナ古墳群です。その中心の座標は東経89°31′7.51、北緯42°51′01.43、海抜は約51メートル(大仏寺)です。


公開時間
 高昌故城の開放时间:4月21日—10月20日(繁忙期)08:00-21:00
           10月21日—次年4月20日(閑散期)10:00-18:30。
 高昌故城の入場料 :70元/人。
 交通経路:吐魯番市街——老城東路——東環路——G312——連霍高速路——X052——高昌故城


視察1へつづく