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交河故城

(Yarghol Qedimki Shehiri、新疆ウイグル自治区トルファン市)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月
独立系メディア E-wave Tokyo
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 次はトルファン市の交河故城です。

交河故城(新疆ウイグル自治区・トルファン市)


Source:Wikimedia Commons


交河故城遺跡
Source:Wikimedia Commons

概要

 交河故城(Yarghol Qedimki Shehiri)、交河古城、交河城址(-じょうし)は中華人民共和国、新疆ウイグル自治区トルファン市高昌区の中心部から西方11キロに位置する世界最大、最古級の版築で築かれた都市遺跡です。

 中国でただ一つ残る漢代からの都市遺跡でもああります。遺跡は柳葉形の台地上に位置し周囲は約30メートルの断崖に囲まれ自然の要害をなしています。遺跡の全長は約1650メートル、幅は最大で約300メートル、総面積は約38万平方メートルです。

 紀元前2世紀に建設され、14世紀に戦火で焼け落ちました。交河故城は1961年3月4日、中華人民共和国国務院により第一批全国重要文化保護財に指定され、2014年にはシルクロード:長安-天山回廊の交易路網の構成資産としてUNESCOの世界遺産リスト登録物件に含まれました。


仏塔遺跡
Source:Wikimedia Commons

歴史

 紀元前2世紀以前に車師人はすでにここに居住し、紀元前108年~450年の間、車師前国の都でした。

 漢代には「戍巳校尉」がこの地に置かれました。450年~640年には高昌に属し、640年~9世紀初めには唐の交川県に属しました。西域の最高軍事機関である安西都護府が設置されました(640年~658年)。9世紀中葉には高昌回鶻の管轄下に入り、14世紀には戦火で破却されました。


故城全体の縮尺模型
Source:Wikimedia Commons

都城の構造

 故城の中心には中央大道が貫き、城内を東西2つのエリアに分けていました。東エリア中部は周囲を塀で囲まれた官府エリア、西エリアと城域北部は寺院エリアで現在でも50余の遺跡が確認できます。その最小のものは1平方メートル、最大の寺院は南北に88メートル、幅が59メートルで面積5200平方メートルもの南北朝期の寺域が現在でも確認できます。北部エリアには101基もの仏塔が整然と残されており、小さい方塔が25基ずつ4組を構成し、中間に大きな方塔が1基あります。

 南の城門から故城に入り、甕城を経て幅10メートル全長350メートルの南北大道があります。これが交河故城の幹線道です。東側には崖下へ通じる城門があり、大道の北部は最大の寺院と通じています。

建築方法

 故城の全体は減土法という昔ながらの方法で建造されています。建物は土煉瓦や版築で塀を築き、アーチ、あるいは小梁屋根を持った地下、あるいは半地下構造となっており、現地の高温な気候に対する配慮がなされています。

文化遺産

 以下は交河故城から出土した文化遺産です。


Half-figure of of a devata or a bodhisattva. Yarkhoto, 10th century CE (?). Clay, burnt. Height 38 cm. Located in the Museum fur Indische Kunst, Berlin-Dahlem.
出典:Wikipedia Commons



Half-figure of of a demon(?). Yarkhoto, 8th/9th century CE (?). painted clay. Height 49.5 cm. Located in the Museum fur Indische Kunst, Berlin-Dahlem.
出典:Wikipedia Commons

 以下は中国旅行-Arachinaによる交河故城の概説です。内容は上記とほぼ同じです。

 交河故城は世界最大、最古の土で築かれた都市遺跡で、保存状態のよい都市遺跡です。 唐の時代に西域の最高軍事機関である安西都護府が設置されました。新疆ウイグル自治区トルファン市の西方13キロにある島形の台地にあります。2本の河が南側で合流することからその名がついた「交河故城」は昔、西域36国の一つ、『車師前国』の都でした。

 交河故城遺跡の全長は約1650メートル、幅は最大で約300メートルで、全体的には柳葉形に見えます。トルファンは気候が乾燥しているので故城の保存状態は良好です。建築物はすべてが天然の土を掘って作られたもので、配置が唐の都、長安に似ています。

 交河故城は寺院や議会の跡地、塔群、民家など様々な建築物が集まった古代遺跡です。そのうち、寺院の敷地面積は5000平方メートルで、大仏寺の前には井戸があります。仏塔群には101基もの仏塔が整然と残っており、空から見ると交河故城は一枚の大きいな柳葉のように見えます。

 交河故城から出土した文物はたくさんあります。例えば唐の時代の蓮花煉瓦、蓮花経巻があります。最近、考古学の専門家たちは地下に建てられていた寺院と車師前国貴族の墓地を発見し、そこから仏舎利などの貴重な文物を出土しました。

 交河故城は、紀元前2世紀-5世紀(今から2000-2300年前)に車師国人によって建設されたものです。南北朝と唐の時代に最盛期を迎え、9世紀-14世紀に戦火によって衰えていきました。元末の察合台の時代にトルファン一帯には戦火に苦しみ、交河城は焼け落ちてしまいました。

 古城遺跡はよく保存され、寺院エリア、官府エリアなどに分けられています。古城は総面積が約47万平方メートルで、現存する建築遺跡の面積はおよそ36万平方メートルです。城内の建築物はほとんどが唐の時代に建てられたもので都城の構造は独特で、宋代以前の中原地域の都市にある建築物と同じような特徴を持っています。

 2000年以上にわたる時を経て今でも高く聳え立つ交河故城は「世界で最もすばらしい廃墟」と言われています。


 以下は人民中国による交河城の概要紹介です。

 トルファン市は新疆ウイグル自治区の首府ウルムチ市から東南に約185キロの距離にあり、高温少雨のため「火州」と呼ばれています。夏の気温は、常に45度ぐらいだ。このような気候は葡萄の生育に極めて適しています。

 トルファン市から西へ10キロのところに、古代の洪水によってできた河谷があります。長い年月の侵食により、中央に短刀の形をした黄土高台の平面ができました。交河故城の遺跡はその巨大な高台に位置しています。

 高台は南北に長さ約1650メートル、東西に最も広い場所で幅約300メートルあります。周囲は30メートル余りある切り立ったがけに囲まれ、がけの下は水の枯れかかった河床です。建築物はほぼ高台の東南部に集中し、北西部は埋葬エリアとなっており「陰陽城」の構造を形作っています。


南北に長さ約1650メートル、東西に最も広い場所で幅約300メートルある交河城
出典:人民中国

 交河城は、紀元前2世紀に、この地に住んでいた車師人によって建てられました。『漢書』西域伝にも、「車師前国、王治交河城、河水分流繞城下、故号交河(車師前国の国王は交河を治めました。河の水が故城を分けていることから交河と呼ばれた)」との記述があります。

 その最大の建築的特徴は、主体建築区にある寺院・官署・民家が煉瓦を用いず、現地の資源を利用して黄土の台地から少しずつ土を掘り出して造られていることです。

 古代の交河城は楼蘭と同じようにシルクロードの重要都市でした。東西の頻繁な貿易と文化の往来により繁栄し、唐代に最盛期を迎えました。歴史学者の推定では、安西都護府(唐代における西域の最高軍政機関)は最初、この地に設置されたといいます。

 しかし、その後は長年の戦乱と自然環境の悪化により、交河城は徐々に衰退しました。そして、14世紀前ごろ現地に侵入したモンゴル軍の攻撃によって徹底的に破壊され打ち捨てられたと考えられています。


視察1つづく