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阿房宮(あぼうきゅう)2

(咸陽、中国)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月
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阿房宮1  阿房宮2  楊貴妃墓1  楊貴妃墓2  楊貴妃墓3  


 最初はシルクロードの起点となる中国咸陽の阿房宮遺跡2です。

◆阿房宮2 咸陽Xi'an 中国西安市)

 阿房宮の規模については、諸説があります。その殿上には1万人が座ることができ、殿下には高さ5丈の旗を立てることができました。殿外には柵木を立て、廊下を作り、これを周馳せしめ、南山にいたることができ、複道を作って阿房から渭水を渡り咸陽の宮殿に連結しました。

 これは、天極星中の閣道なる星が天漢、すなわち天の川を渡って、営室星にいたるのにかたどったものです。なおも諸宮を造り、関中に300、関外に400余、咸陽付近100里内に建てた宮殿は270に達しました。このために民家3万戸を驪邑に、5万戸を雲陽にそれぞれ移住せしめました。

 以下は阿房宮の復元図です。出典はいずれも中国・百度百科です。


秦阿房宮前殿秦未央宮前殿唐大明宮前殿対比 出典:中国百度百科
原文網址:https://kknews.cc/news/zmkyz4g.html


阿房宮 (秦朝著名宮殿)夏の復元図   出典:中国百度百科


阿房宮 (秦朝著名宮殿)の復元図  出典:中国百度百科


磁石門の復元図  出典:中国百度百科

 各6国の宮殿を建造し、6国の妃嬪をことごとくこれに配し、秦の宮殿を造って秦の佳麗をこれに充てました。そこで、趙の肥、燕の痩、呉の姫、越の女などそれぞれ美を競って朝歌夜絃、「三十六宮渾べてこれ春」の光景をここに現出せしめました。唐代詩人の杜牧「阿房宮賦」(zh)に詠われたのは、必ずしも誇張ではありありません。

 なお『史記』項羽本紀に「項羽が咸陽に入り、秦王子嬰を殺害すると、秦の宮室は焼き払われ、3か月間にわたって火が消えなかった」とする記述があり、このとき阿房宮は焼失したものとみなすのが長らく通説でした。しかし、2003年に「項羽によって焼かれたのは咸陽宮であり、阿房宮は焼かれていない」とする新説が公表されました。これが事実であれば、阿房宮は秦王朝の滅亡後も漢王朝によって使用されていた可能性が高いと言えます。

 阿房宮遺跡は、1961年に中華人民共和国全国重点文物保護単位の第1次全国重点保護文化財に指定されました。

◆阿房宮前殿遺跡は未完成の阿房宮
 12月 17, 2007 (中国通信=東京)

 西安12日発新華社電によると、秦阿房宮遺跡の発掘調査と試掘が基本的に完了した。135平方キロの範囲内で阿房宮前殿と同じ時代の秦代建築遺跡が発見されなかったことから、阿房宮前殿遺跡が未完成の阿房宮であることが確認された。

 中国社会科学院考古研究所と西安市文物保護考古研究所は02年10月、阿房宮考古調査隊を結成した。考古専門家はまず、阿房宮前殿遺跡を全面的に調査、部分発掘を行い、この遺跡が未完成の大型版築土台で、その上に秦代の宮殿遺跡はなく、焦土遺跡も発見されなかったことを確認した。

 中国社会科学院考古研究所研究員で阿房宮考古調査隊長の李毓芳氏は次のように説明している。考古調査隊は04年から、阿房宮前殿東部を流れる?河、西部を流れるレイ(さんずい+豊)河、北部を流れる渭河、南部にある昆明池(漢代)北岸に囲まれた135平方キロのエリアで大規模な発掘調査、部分試掘を行った。

 考古調査隊は今年11月末までに、紀陽寨遺跡、阿房宮烽火台遺跡、阿房宮上天台遺跡、秦阿房宮磁石門遺跡、秧歌台遺跡などを発掘調査した。調査結果によると、これらの遺跡は秦国が戦国時代に建設した上林苑建築や漢代の上林苑建築で、阿房宮と同じ時代の建築遺跡は発見されなかった。

 李毓芳氏は「考古調査の結果、阿房宮遺跡の範囲は阿房宮前殿遺跡の範囲であることが確認されており、項羽が阿房宮を焼き払ったという学説には根拠がない」と指摘した。

無料 文化・教育・芸術

出典:中国通信社


<参考>


 以下は、中国メディア「毎日頭條」の記事にある写真です。

 この阿房宮の復元建築物は、5年間で竣工させるために2億元の費用をかけ、竣工後、13年間運用後に解体されたとあります。



出典:阿房宮的來歴 秦始皇和阿房女的故事、毎日頭條


出典:阿房宮的來歴 秦始皇和阿房女的故事、毎日頭條



出典:Hatena Blog 2008-11-02 

◆阿房宮遺跡
 中国陝西省編 西安市北郊外編 未央(Weiyang)編 古代遺跡編


 阿房宮遺跡は現在の西安市西郊外の三橋鎮の南、趙家堡と大古村の間にあり、阿城とも呼ばれる秦王朝皇宮の前殿です。阿房宮は恵文王の時に創建され、秦王朝になってから拡張されました。

 当時の阿房宮の規模を非常に大きく、正殿の東西は500歩、南北50丈で、殿の上には一万人以上が座ることができ、殿の下には5丈の旗が建てられ、閣道の南端は終南山まで達し、宮殿の前には12体の銅像が立っていました。

 唐の詩人杜甫は【阿房宮賦】で雄壮で美しい阿房宮を徹底的に描写しています。「露圧三百里、隔離天日、驪山北構而西折、直走咸陽、二川溶溶、流入宮塙、五歩一楼、十歩一閣、廊腰縵回、檐牙高啄、各抱地勢、鈎心斗角」


秦阿房宮遺跡

 現在、遺跡には東西1300m、南北500m、高さ20m、総面積60万平方mの土台が残っていて、当地の人は「始皇帝天台」と呼んでいます。 遺跡の南にある西宝公路の脇には「阿房宮縮微園」が建てられ、多くの観光客を集めています。

 住所:西安市西郊紅光炉西段 電話:029?84521134
 営業時間:8:00?18:00
 入場料:50元(電動車・カートと遊覧船代込み) 観光所要時間:約1時間

西安観光情報 (id:xiaojun) 10年前



阿房宮のイメージ図
出典:西安城壁展示
撮影:青山貞一


つづく