エントランスへはここをクリック   

 シルクロードの今を征く
Now on the Silk Road

テヘラン8

(Tehrān、イラン)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月
独立系メディア E-wave Tokyo
 無断転載禁

総合メニュー

フェルガナ サマルカンド・ブハラ  テヘラン1  テヘラン2  テヘラン3  テヘラン4  テヘラン5 
テヘラン6  テヘラン7  テヘラン8  テヘラン9  テヘラン10  テヘラン11 テヘラン12  
ヘラート フンザ1 フンザ2  フンザ3  フンザ4 バルチットフォート KKH1 KKH2  KKH3
カイバル峠 イスタンブール モスク  トプカプ宮殿1 トプカプ宮殿2  プカプ宮殿3 トプカプ宮殿4 
トプカプ宮殿5  トルコイスラム美術博物館 ヴェネツィア
 <ヴェネツィア総合メニュー>  ローマ


 次はシルクロードの中間点にありますイランのテヘラン8です。

◆テヘラン

素材

 ペルシア絨毯の素材としてもっとも多く使用されているのは羊毛ですが、綿も多く用いられています。羊毛は、コルクウール、マンチェスターウール、キャメルウールなど、様々な品種の羊からとられたものが使用されています。

 絹は羊毛に比べて高価で耐久性に劣り、古くなるにつれて価値が落ちていくため、絹だけで織られた絨毯はそれほど一般的ではありません。絹のペルシア絨毯は、その希少性と価値、そして耐久性の低さから、床の敷物ではなくタペストリのように壁飾りとして使用されることが多いようです。

デザイン

 16世紀、17世紀のペルシア絨毯には多くのバリエーションがあります。様々な地方で生産されていたことが多様なデザインを生み出すことにつながりました。また、共通するモチーフとして、唐草文様、アラベスク文様、忍冬文様 (en:palmette)、円形文様、幾何学文様などは、多くの絨毯に採用されています。人物文様は、イラン国内で流通する絨毯には良く見られるモチーフですが、輸出される絨毯ではそれほど採用されてはいません。

 産地ごと、あるいは家系ごとに様々なデザインが継承されており、それらの多くはシンプルで直線的な文様です。このような文様を絨毯に表現する際には、特別な下絵などを使用せずに職人の記憶や経験によって制作されることが多く、曲線で構成される複雑な文様の場合は、前もって用意された下絵のデザインと色調を絨毯のサイズに合わせて写し取っていきます。伝統的なデザインも時代とともに少しずつ変化しており、現在では下絵を絨毯のサイズにあわせて縮小あるいは拡大するために、コンピュータが使用されています。

歴史

 現存している最古の手織り絨毯として、アケメネス朝ペルシアで制作されたと見られます古代文明パジリクで発見されたおよそ2500年前の絨毯があります。ペルシア絨毯の最初の記録は古代中国のもので、224年から651年のサーサーン朝ペルシア時代の記録であります。

 7世紀にイスラム教圏となるまで、ペルシアでは様々な王朝が勃興、衰退を繰り返し、ペルシア絨毯にも多くの変化がもたらされましたが、ペルシア絨毯の生産は途切れることなく続いていていました。その後、13世紀のモンゴル帝国によるペルシア侵攻のためにペルシア絨毯は衰えていましたが、イルハン朝ペルシア、ティムール朝ペルシアのもと、ペルシア絨毯は再び発展してくことになります。

 ペルシア絨毯に使用される羊毛、絹、綿といった天然素材は、経年変化によって腐食し、朽ちてしまいます。このため、考古学者たちの古代遺跡調査によっても、ペルシア絨毯に関する有益な発見がなされることは極めてまれです。古代からペルシアで手織りの絨毯が制作されていたことを示す証拠は、数点の磨りきれた絨毯の断片しか存在しません。このような断片からは、12世紀に全盛を迎えたセルジューク朝ペルシア以前のペルシア絨毯がどのような特徴を持っていたのかを判断することは、ほとんど不可能となっています。

ゾロアスター教時代

 1949年に、シベリアのアルタイ山脈のパジリク古墳群から、考古学史上非常に貴重な絨毯が発見されました。この絨毯はスキタイ人の王族とみられる人物の墳墓から発掘されたものです。

 放射性炭素年代測定により、この絨毯が紀元前5世紀のものであることが判明しています。283×200センチメートル の絨毯で、1平方センチメートルあたり36の編目で制作されています。この現存する世界最古の絨毯と見られるパジリク絨毯の洗練された織物技術から、この芸術分野の進化と発展が長期にわたって蓄積されてきたことがわかります。

 絨毯中央部は深い赤に彩られ、周囲を巡る二本の縞模様部分にはシカとペルシア人騎手が表現されています。 このパジリク古墳群から出土した絨毯は、遊牧民族たるスキタイ人の手によるものではなく、アケメネス朝ペルシアで制作されたものだと考えられています。

 アケメネス朝ペルシアの初代国王キュロス2世はパサルガダエに王都をおき、その宮廷内は豪華な絨毯で飾り立てられていました。当時のペルシアとマケドニアは緩やかな同盟関係にあり、マケドニア王アレクサンドロス2世はキュロス2世の霊廟の飾りだった絨毯に目を奪われたという伝承があります。

 6世紀まで、羊毛や絹で織られたペルシア絨毯は歴代の王朝で発展し続けてゆきました。サーサーン朝ペルシア国王ホスロー1世が織らせた有名な『春の絨毯 (en:Baharestan Carpet)』は、王都クテシフォンにあった王宮の主謁見室の装飾に使用されたものです。

 この『春の絨毯』は絹織りで、金、銀、貴石が使用された長さ140メートル、幅27メートルという大規模なもので、楽園のような華麗な庭園が表現されていました。

 その後637年にアラブのイスラム諸国に王都が占領されると、略奪された『春の絨毯』は小さく切り分けられて、戦利品として兵士たちに与えられました。また、タキディス王の玉座は一カ月間を表現した特別な30枚の絨毯と、四季を表現した絨毯で飾られていたいわれています。


紀元前5世紀頃のパジリク絨毯。現存する最古の絨毯である。
出典:Wikimedia Commons

イランの食文化 イラン料理の特色

 料理の味付けは薄めで、ふんだんに使われた香草と香辛料で風味が付けられています。

 果物と香草がふんだんに使用され、食材として用いるほかに保存のために乾燥、瓶詰め、ペースト状に加工されることもあります。香辛料ではサフランとシナモンが、香草ではイノンドとコリアンダーの実が多く使われます。

 食材は温・冷・乾・湿の4種類に分類され、分類に基づいた食材の組み合わせがされています。また、それぞれの性質は気候や体調に応じて使い分けられています。甘酸っぱい味付けが特徴で、デザートではない一つの料理に甘味のある食材と甘味の無い食材を使用する点に特徴があります。

 このため、ホウレンソウとプルーンを使った仔羊のシチュー、酸味のあるサクランボ(あるいはザクロ)のソースとアヒルの肉を合わせた料理が作られています。イランでは酸味が好まれるため、卓上にはライムのしぼり汁が調味料として置かれることもあります。甘味と酸味を組み合わせた料理は、サーサーン朝時代にまで遡ることができます。


ジュージェ・キャバーブと野菜の串焼き
出典:Wikimedia Commons


チェロウキャバーブ
出典:Wikimedia Commons


皿に乗せられて出されたタフ・ディーグ
出典:Wikimedia Commons


アーシュ
出典:Wikimedia Commons


シーリーン・ポロウ
出典:Wikimedia Commons


クーフテ
出典:Wikimedia Commons


ドルメ
出典:Wikimedia Commons


テヘラン9つづく