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 シルクロードの今を征く
Now on the Silk Road

天竺

インド旧名)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月
独立系メディア E-wave Tokyo
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 次はシルクロードの中間点にありますイランのテヘランです。

◆天竺

 天竺(てんじく)とは、インドの旧名です。ただし、現在のインドと正確に一致するわけではありません。

由来

 中国人がインドに関する知識を得たのは、張騫の中央アジア(後年の用語で言う西域)探検によってでした。司馬遷の『史記』では、インドを身毒(しんどく)の名で記しています(大宛列伝、西南夷列伝)。

 天竺の名は『後漢書』に見える(西域伝「天竺国、一名身毒、在月氏之東南数千里」)。また天篤という字も使われた

 インダス川のことをサンスクリットで Sindhu、イラン語派では Hindu と呼んでいました。またイラン語派の言語ではインドのことをインダス川にちなんで Hinduka と呼んでいました。身毒も天竺も、この Hinduka に由来しています。

 おなじ Hindu が 古代ギリシア語: Ἰνδός を経て、ラテン語: Indus となり、そこから India の語が生まれました。

 インド方面から中国に渡来した人の姓としても「竺」の字が使われました(竺法護)。また、仏教の僧侶が竺姓を名乗ることもありました(竺道生)。

 後に、音韻変化によって天竺や身毒が Hindu と音の違いが大きくなると、賢豆という字もあてられました。

 天竺にかわって印度の語をはじめて用いたのは玄奘ですが、玄奘はこの語をサンスクリット indu (月)に由来するとしています。また、この語をインドラの町を意味する Indravardhana に結びつける説も現れました。

日本

 日本では『義経記』八巻の「真に我が朝の事は言ふに及ばず、唐土天竺にも主君に志深き者多しと雖も、斯かる例なしとて、三国一の剛の者と言はれしぞかし」などに見えるように、かつては唐土(中国)・天竺(印度)・本朝(日本)を三国と呼び、これをもって全世界と表現していました。

 日本では原義から離れ、はるか彼方の異国から渡来した珍しい品物に対して、天竺という接頭辞を付けるという使い方も生まれました。ダリアのことをかつて天竺牡丹と呼びましたが、これはダリアが日本にはオランダ人によってもたらされたからです。

 現代日本では、天竺を『西遊記』で玄奘ら一行が取経に向かった地とすることが多いのですが、『西遊記』原文には天竺の語はあまり現れず、通常は西天(『西天竺』の略) と呼んでいます。


宗教

 現在、インドの人口に占める各宗教の割合はヒンドゥー教徒80.5パーセント、イスラム教徒13.4パーセント、キリスト教徒2.3パーセント、シク教徒1.9パーセント、 仏教徒0.8パーセント、ジャイナ教徒0.4パーセント(2001年国勢調査)です。

 また、『ブリタニカ国際年鑑』2007年版によれば、ヒンドゥー教徒73.72パーセント、イスラム教徒11.96パーセント、キリスト教徒6.08パーセント、シク教徒2.16パーセント、仏教徒0.71パーセント、ジャイナ教徒0.40パーセント、アイヤーヴァリ教徒0.12パーセント、ゾロアスター教徒0.02パーセント、その他1.44パーセントです。

ヒンドゥー教徒

 ヒンドゥー教徒の数はインド国内で8.3億人、その他の国の信者を合わせると約9億人とされ、キリスト教、イスラム教に続いて、人口の上で世界で第3番目です。

 ヒンドゥー教はバラモン教から聖典やカースト制度を引き継ぎ、土着の神々や崇拝様式を吸収しながら徐々に形成されてきた多神教です。ヴェーダ聖典を成立させ、これに基づくバラモン教を信仰した。紀元前5世紀ごろに政治的な変化や仏教の隆盛があり、バラモン教は変貌を迫られました。

 その結果、バラモン教は民間の宗教を受容・同化してヒンドゥー教へと変化して行きました。ヒンドゥー教は紀元前5 - 4世紀に顕在化し始め、紀元後4 - 5世紀に当時優勢であった仏教を凌ぐようになり、以降はインドの民族宗教として民衆に広く信仰され続けてきました。神々への信仰と同時に輪廻や解脱といった独特な概念を有し、四住期に代表される生活様式、身分(ヴァルナ)・職業(ジャーティ)までを含んだカースト制などを特徴とする宗教です。

ジャイナ教

 ジャイナ教とは、マハーヴィーラ(ヴァルダマーナ、前6世紀 - 前5世紀)を祖師と仰ぎ、特にアヒンサー(不害)の誓戒を厳守するなどその徹底した苦行・禁欲主義をもって知られるインドの宗教です。仏教と異なりインド以外の地にはほとんど伝わらなかったのですが、その国内に深く根を下ろし、およそ2500年の長い期間にわたりインド文化の諸方面に影響を与え続け、今日もなおわずかだが無視できない信徒数を保っています。

仏教

 仏教発祥の地ですが、信仰者はごくわずかです。

 1203年のイスラム教徒ムハンマド・バフティヤール・ハルジー将軍によるヴィクラマシーラ大僧院の破壊により、僧院組織は壊滅的打撃を受け、インド仏教は、ベンガル地方でベンガル仏教徒とよばれる小グループが細々と命脈を保つのみとなりました。

 一説では、東南アジア・東アジアに仏教が広まったのは、インドで弾圧された多くの仏教関係者が避難したことが理由として挙げられます。

 1956年、インド憲法の起草者の1人で初代法務大臣を務めたアンベードカルが死の直前に、自らと同じ50万人の不可触民とともに仏教徒に改宗し、インド仏教復興の運動が起こりました。

チベット仏教

 ラダック連邦直轄領、ヒマーチャル・プラデーシュ州の北部、シッキム州など、チベット系住民が居住する地方では、チベット仏教が伝統的に信仰されています。

シク教

 16世紀にグル・ナーナクがインドで始めた宗教。シクとはサンスクリット語の「シシュヤ」に由来する語で、弟子を意味します。それにより教徒たちはグル・ナーナクの弟子であることを表明しています(グルとは導師または聖者という意味である)。

 総本山はインドのパンジャーブ州のアムリトサルに所在するハリマンディル(ゴールデン・テンプル、黄金寺院)です。教典は『グル・グラント・サーヒブ』と呼ばれる1,430ページの書物であり、英語に翻訳されインターネットでも公開されています。

天竺木綿

 天竺木綿(てんじくもめん)は、太番手の糸で経緯(たてよこ)同じ密度で平織りにした綿織物を意味します。単に「天竺」ともいいますが、天竺編み(メリヤス編みのこと)と混同する場合があるので注意が必要です。

概要

 明治維新ごろにインドから輸入された綿織物であるため「天竺」と言います。当時「T」の字の商標が使われていたため、「Tクロス」との呼び名もあります。

 同じく平織りの綿織物の「金巾」とともに、日本で非常に広範囲に使われている織物の一つです。天竺木綿の糸の太さが16番手から24番手くらいなのに対し、「金巾」は糸の太さが30番手から40番手くらいであり、金巾の方が布が薄く、高級とされています。

 天竺木綿とよく似た布に「細布」があります。細布は天竺木綿よりやや薄く、やや高級な布とされていますが、糸の太さで言うと20番手から26番手くらいであり、実際はたいした違いはありません。日本では、天竺木綿と金巾のだいたい中間くらいのものを「細布」と呼んでいますが、アメリカでは天竺木綿や細布のような一般的な薄い平織りの綿織物のことは「muslin(モスリン)」と総称される(イギリスでは「muslin」は高級織物のことで、一般的な薄い平織りの織物のことは「calico(キャラコ)」と呼んでいます)。

 天竺木綿は生地が厚いため、シャツなどには使いません。シャツに使われる最も一般的な綿織物は金巾です。なお、シャツで「天竺」と言うと、シャツに使われる最も一般的な編地である「天竺編み」を意味します。



出典:Wikimedia Commons


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