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イスタンブル8・経済・金融

(Istanbul、トルコ)


青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月、 公開予定日 2020年7月31日
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 次はトルコのイスタンブル8の経済と金融です。

◆イスタンブル・経済・金融

経済



レヴェントのビジネス地区にはイスタンブールの高層ビルが林立する。
Mimar77 - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
Source:Wikimedia Cmmons

 2008年現在のイスタンブルのGDPは1,820億ドルで、世界の都市圏の域内総生産では34位に付けています。イスタンブルはトルコ国内のGDPの27%を占め、国内産業労働力の20%が都市に存在します。

 1人当たりのGDPで70%、生産性で50%それぞれ国内平均を上回っており一つには高付加価値に集中した生産活動が要因です。多くの人口とトルコ経済への高い貢献からイスタンブルはトルコの国税の5分の2を担っています。税には30人のイスタンブルを本拠とする億万長者も含まれ、この数は世界の都市で5番目に多い人数です。

 都市の大きさが想像されるように、イスタンブルではオリーブオイル、タバコ、輸送機器、電機など様々な製品を生産し多様な産業経済を擁しています。高付加価値の生産活動への集中があるにも関わらず低付加価値の生産部門もかなりを占め、イスタンブルのGDPに占める割合は26%ですが市の合計出荷額の5分の4に相当しています。

 2005年にイスタンブルに本拠地を置く企業の輸出総額は 41,397,000,000ドルで、輸入総額は69,883,000,000ドルでしたった。これはトルコ全体の合計にそれぞれ輸出で57%、輸入で60%を占めています。

 イスタンブルはトルコでは唯一の資本市場ですイスタンブル証券取引所を有します。もともとは1866年にオスマン証券取引所として設立されましたが、その重要性は1930年代の世界大恐慌により減少しました。一連のトルコ政府の金融自由化計画により1986年に現在の形で再編成されています。

 19世紀から20世紀初期の間、ガラタのバンカラル・ジャデッシBankalar Caddesi(銀行大通り)はオスマン帝国の金融センターでオスマン証券取引所もそこにありました。

 バンカラル・ジャデッシはイスタンブルの金融地区として1990年代まで続き、トルコのほとんどの銀行は本社をモダンなビジネス中心地区のレヴェントやマスラクに移転しています。1995年にイスタンブル証券取引所は現在のサルイエルのイスティニエ地区に建物を移転しています。


黒海とマルマラ海を結ぶボスポラス海峡は世界でも繁忙な航路の一つ。
左側がボスポラス橋、右側がオルタキョイモスク。
Caiuscamargarus - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
Source:Wikimedia Cmmons

 現在、石油が豊富な黒海と地中海を結ぶ唯一の海のルートであるボスポラス海峡は世界でも混雑した航路の1つで、1年間で2億トン以上の原油が通過しており交通量はスエズ運河の3倍に上ります。混雑を緩和するため、街のヨーロッパ側に海峡と並行してイスタンブル運河と呼ばれる新たな運河を建設することが提案されています。

 イスタンブルにはハイダルパシャ港、アンバルリ港 Ambarlı、ズィーティンブルヌ港 Zeytinburnu の3つの大きな港の他にいくつかの小さな港や石油ターミナルがボスポラス海峡やマルマラ海沿いに立地しています。

 ハイダルパシャ港はボスポラス海峡の南東に位置し、2000年代初めまでイスタンブル最大の港でした。ハイダルパシャ港からアンバルリ港へ運営がシフトして以来、ハイダルパシャ港は容量以下で運営され港を閉鎖する計画もあります。

 2007年現在、アンバルリは都心の西端に位置し年間150万TEUの取扱能力があり地中海沿岸では4番目に大きな貨物ターミナル港です。一方のハイダルパシャ港の取扱能力は354,000TEUです。

 ズィーティンブルヌ港は自動車道路やアタテュルク国際空港に近いことから利点があり[、都市の長期計画で全てのターミナルと道路、鉄道網との相互の接続性を必要としています。

 イスタンブルは著名な観光地として観光客数が増加しており、2000年には242万人の外国人観光客が訪れ2010年には700万人の外国人観光客が訪れており世界で10番目に多くの観光客が訪れる都市です。

 イスタンブルはトルコの外国人観光客の4分の1を受け入れ、トルコではアンタルヤに次ぐ国際的なゲートウェイとなっています。

 イスタンブルの観光業界はヨーロッパ側に集中し、市内の90%以上のホテルはヨーロッパ側に立地しています。低中級クラスのホテルはサライブルヌに立地する傾向があり、ハイエンドのホテルは金角湾北側の歓楽街や金融センターに立地しています。

 イスタンブルには70の博物館がありますが、もっとも観光客が訪れるのはトプカプ宮殿博物館とアヤソフィアで毎年3,000万ドルの収益をもたらします。市の環境マスタープランでは17の宮殿と64のモスク、49の教会はイスタンブルで歴史的に重要なものですと言及しています。

 所得分配はイスタンブルでは公平ではなく、20%の最高所得層が64%の資産を利用し20%の最低所得層が4%の資産を利用しています。

金融


バンカラル・カデッシはオスマン期のイスタンブールの金融の中心。
右側は1892年に完成したオスマン中央銀行の本店の最初の建物。
VikiPicture - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
Source:Wikimedia Cmmons

 イスタンブルは1923年にアンカラが政治的な首都になってからも常に「金融の首都」です。

 1980年代の特定の市場開放はさらにこの地位を強化しました。1986年初め発足したイスタンブル証券取引所(ISE)は普通株、国債、短期国債、収益分配証明書、債券、民営化の管理で発行される債券と社債取引、夜間の業務を行うために設立されたトルコでは唯一の証券取引所です]。


金融地区のマスラク
英語版ウィキペディアKeRRさん, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
Source:Wikimedia Cmmons

 1993年にイスタンブル証券取引所は金市場の自由化を決定し、1995年にイスタンブール金取引所が設立されトルコ中央銀行の金塊の輸入独占は終わりを告げ、金取引は民間部門のメンバーに移されました。

  レヴェント、マスラクはトルコの大企業や銀行、世界的な金融部門の巨大企業の地域本部が置かれており、シティバンク、メリルリンチ、JPモルガン、HSBCホールディングス、ABNアムロ銀行、INGグループ、BNPパリバ、ソシエテ・ジェネラル、ウニクレディト、ドイツ銀行、コメルツ銀行などがイスタンブールに拠点を置いており、他の金融機関も多く立地しています。

 レヴァントとマスラクの両地区は絶えず成長しダイナミックなスカイラインに変わり、いくつもの新しい超高層ビル計画が提案され認可されており毎年着手されています。


イスタンブル9へつづく