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ヴェネツィア( Venezia、イタリア)


ヴェネツィアン・グラス
( Venetian glass)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2019年4月20日
独立系メディア 
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 本稿の解説文は、現地調査に基づく開設に加え、Veneziaイタリア語版を中心にVenice英語版からの翻訳及び日本語版を使用しています。また写真は現地撮影分以外にWikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビューを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名をつけています。 

◆ヴェネツィアン・グラス (Venetian glass)

 ベネチアン・グラスまたはヴェネツィアン・グラス( Venetian glass ヴェートロ・ディ・ムラーノ 「ムラーノ島のガラス」)は、イタリア北東部ヴェネト州の州都・ヴェネツィアで作られるガラス工芸品の地域ブランドです。

概要


ゴブレット (1675-1725年) ヴェネツィア・ヴィクトリア&
アルバート博物館 no. 108-1853
Source:Wikimedia  Commons
CC 表示-継承 3.0, リンクによる


 ヴェネツィアン・グラスは鉛を含まないソーダ石灰を使用する事が特徴で、コバルトやマンガンなどの鉱物を混ぜることで様々な色合いを表現することが出来msづ。 混ぜた鉱物により硬度が変化し、赤色のものが最も硬度が高いのす。

 高い装飾性も特徴です。

 基本的な製法はソーダガラスを使用した吹きガラスですが、空中で吹くことにより極薄に吹き上げる技法や、グラスを細く引き伸ばしそこに竜や花や鳥などをモチーフにした複雑な装飾を施すなど、「軽業師の妙技」と呼ばれる高度なテクニックが用いられます。

 昔は、極限まで薄く吹いたガラスを割り、カーニバルの行列で紙ふぶきの代用としてばら撒いた時代がありました。

 グラス作成に熟練した職人をマエストロと呼びます。

歴史


イスラム技術と様式に由来するエナメル装飾を施された
ヴェネツィアン・グラスのAldrevandini beaker (1330年頃)
Source:Wikimedia  Commons
CC BY-SA 3.0, Link


 ヴェネツィアン・グラスの発祥は、13世紀中世ヴェネツィア共和国が東方諸国のすぐれた産物をヨーロッパ諸国に独自供給し東西貿易の中心地となる中で、その中でも最も珍重されていたガラス製品を自国で生産すれば多大な利益を得ることが出来ると考えガラス製造に乗り出したことに始まるる、とする見解もあります。

 しかしトルチェッロ島からは7世紀ないし8世紀のガラス工房跡やガラスが発見されており、文献上も10世紀末にはガラス製造のことが登場する。ヴェネツィアン・グラスの正確な起源は謎に包まれています。

  ヴェネツィア共和国は当時最も進んだ技術を持っていたアンティオキアと協定を結び、原料や燃料さらにはガラス職人までをもヴェネツィアに移しました。これによりローマ帝国-イスラム時代から発展してきたガラス技術を取り入れ、応用することでヴェネツィアン・グラスの技術は発展を遂げていったのです。

 しかし元々原材料や燃料を自国で産出できない土地柄であるヴェネツィア共和国は、ヴェネツィアン・グラスの技術が原材料の豊富な国々に漏れコピー製品が作られることを恐れたため強力な保護政策を取りました。

  1291年には全てのグラス工房のムラーノ島への強制移住を決定します。

 グラス職人やその家族・販売者を島に住まわせ、島外に逃げる者は厳しく罰し功績を挙げたものには手厚い褒賞を与えるという法令を発令しました。この政策には、火事を防ぐためという名目もありました。 これにより狭い島の中に工房が密集したため技術の切磋琢磨が進みグラステーブルやシャンデリア、鏡など様々な名品が作られたのです。

 一方でこのような厳しい保護政策の下でも逃げ出す職人はおり、各地に散らばりガラス技術を伝えました。このような職人達の教えにより他の地方で作られたヴェネツィア様式のグラスをファソン・ド・ヴニーズ(フランス語: facon de Venise/ヴェネツィア技法)と呼びます。

 ルネサンス期の15世紀~16世紀にはその繁栄は頂点に達した。

 ヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」はムラーノ島から連れ出された12人の職人が作成したと言われています。 この時代に一番力を注いだ技法がエナメル装飾で、貴族達は華麗な絵付けの施されたガラス製品を競うように買い求め、エナメル絵付けの施されたガラス製品を持つことがひとつの社会的ステータスとなりました。

 またこの時代にソーダガラスに消色剤を加え透明度の高い無色透明のガラス(クリスタッロ)の製法が確立されました。

 これは他国には無い技術であり、王侯貴族の間で高く取引された(その精巧な技術による薄さは毒を入れると割れるという噂も手伝って王侯貴族の間で取引されたとも言われています)。成形前のガラスの塊を冷却水につけて模様を生じさせるアイス・ガラス(ア・ギアッチョ)もこの時期に開発された。レース・ガラスの発明もこの頃で、以降のヴェネツィアン・グラスの代表的な装飾技法となりました。

 ただし、この時期はガラス職人が法の網の目をかいくぐって海外に流出した時期でもある。これによってヴェネツィアン・グラスの技法と様式が海外に広められたとも言えます。

 17世紀・18世紀には、ヴェネツィア風のガラス製品がヨーロッパ中で大流行しました。 現在でもムラーノ島では多くの工房が軒を連ね、豊かな伝統技術を親から子へと受け継いでいます。


ヴェネツィアン・グラスの装飾品のショーウインドーを見る池田こみち
撮影:青山貞一 Nikon Coolpixs10


ヴェネツィアン・グラス2つづく