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広仁寺1 西安 (Xi'an、中国)

チベット仏教概説

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日
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 次は中国西安市(長安市)にある陝西省で唯一のチベット仏教(ラマ教)寺院の広仁寺です。

◆広仁寺1Xi'an 中国西安市)


西安城壁内の広仁寺の位置

 広仁寺を紹介する前に、チベット仏教について概説します。

◆チベット仏教(ラマ教とは)

 チベット仏教(ラマ教)は、チベットに発達した仏教の一派です。チベット仏教の俗称。ラマとはチベット語で〈上人〉〈師〉を意味します。各自の宗教上の師をさします。

 仏・法・僧の三宝のほかにラマをも尊崇するのでラマ教といいます。チベットへの仏教の伝来はソンツェン・ガンポ王(6世紀ころ)の時代とされ,仏教と古来チベットにあった民間信仰のボン教とが融合したものがラマ教です。

 さらに8世紀には,インドからシャーンタラクシタが戒律を,パドマサンババが密教系仏教を伝えてきました。また中国からは大乗和尚が大乗仏教を伝え,インド僧カマラシーラとの間で論争が行われた。この論争に敗北した中国仏教は,以後チベットから公に追放された。9世紀中ごろランダルマ王は排仏政策をとり,王が暗殺された後のチベットは分裂状態になったのです。その結果,仏教も次第に堕落した。

 しかし11世紀にはインドからアティーシャが訪れ,仏教を改革してカダム派やサキャ派を興しました。13世紀サキャ派の高僧パスパは元朝王室の帝師となり,以後ラマ教は元・明の政治権力と結び再び堕落しました。しかし、14世紀末にツォンカパが出て,宗教改革を行い,厳格な戒律実践を主張しました。彼は弟子に黄帽(こうぼう)を着用させたので,この派を黄帽派と呼び,旧来の紅帽(こうぼう)派と区別します。またこのツォンカパの後継者はダライ・ラマとして尊敬され,チベットの政治支配権も握り,ダライ法王国の基礎をつくった。

 出典:出典 株式会社平凡社百科事典マイペディア


◆チベット仏教の概説

 チベット仏教は、チベットを中心に発展した仏教の一派です。チベット仏教は、根本説一切有部律の厳格な律に基づく出家制度、仏教の基本である四聖諦の教えから、大乗顕教の諸哲学や、金剛乗の密教までをも広く包含する総合仏教であり、独自のチベット語訳の大蔵経を所依とする教義体系を持ちます。

 中国、日本、チベットなどに伝わる北伝仏教[2]のうち、漢訳経典に依拠する東アジア仏教と並んで、現存する大乗仏教の二大系統のひとつをなしています。

 教義としては、智慧と方便を重視します。インド後期密教の流れを汲む無上瑜伽タントラが実践されています。ニンマ派、カギュ派、サキャ派、ゲルク派の4宗派が存在しますが、いずれも顕教と密教の併修を柱としています。チベットでは、7世紀から14世紀にかけてインドから直接に仏教を取り入れた。そのため、インド仏教の伝統が途絶える寸前の時代に伝来した後期密教が継承されています。

 ラマと呼ばれる師僧、特に化身を尊崇することから、かつては一般にラマ教(喇嘛教、Lamaism)と呼ばれ、この通称のために正統的な仏教ではないかのように誤解されていました。ラマ教という呼称は19世紀の西洋の学者によって普及したものであり、チベット仏教に対する偏った見方と結びついていたため、現在では使用されなくなっていまする。

チベット仏教の特徴

 密教に限らず、中期・後期中観派の著作・思想なども含め、総じて8世紀以降の、イスラーム勢力の台頭によって中 国にまで伝達されにくくなった(そしてやがて滅ぼされることになる)インド大乗仏教の系譜を、ヒマラヤ山脈を挟んで目と鼻の先という地の利を活かし、(ネパールのネワール仏教を除けば)事実上世界で唯一継承してきました。

 中国や中央アジアの仏教との相互影響は、その地理的な隣接に比して、比較的弱いといえます。

 一方、特にニンマ派や民間信仰のレベルではチベット独自の要素も見られますが、チベットでは仏教を取り入れるにあたって、サンスクリット語の原典からチベット語へ、原文をできるだけ意訳せず、そのままチベット語に置き換える形の逐語訳で経典を翻訳したため、チベット語の経典は仏教研究において非常に重要な位置を占めています。

 特に密教については、中国仏教では漢訳経典を通じて主に前期・中期密教が伝えられ、後期密教の漢訳と受容は限定的であったのに対して、チベット仏教は8世紀-12世紀にかけて後期密教(無上瑜伽タントラ等)の教えを中心としたインド密教を広範に受け入れ、独自に消化した点にも大きな特徴があります。

基盤となる顕教の教え


タシルンポ寺の大弥勒殿(典型的なチベット仏教寺院)
Source:Wikimedia Commons


エンドレス・ノットの意匠は象徴のひとつ
Source:Wikimedia Commons

 どの宗派においても、一切有情が本来持っている仏性を「基」とし、智慧(空性を正しく理解すること)と方便(信解・菩提心・大慈悲などの実践)の二側面を重視し、有情が大乗の菩薩となり六波羅蜜を「道」として五道十地の階梯を進み、「果」として最終的に仏陀の境地を達成することを説いています。

 哲学的には龍樹の説いた中観派の見解を採用しており、僧院教育の現場においては、存在・認識についての教学・論争による論理的思考能力と正確な概念知の獲得を重視しています。その思想の骨格となる重要な論書としては、シャーンティデーヴァの著した『入菩薩行論』 (Bodhisattvacaryāvatāra)、マイトレーヤの著した『究竟一乗宝性論』 (Uttaratantra Śāstra) と『現観荘厳論』 (Abhisamayālamkāra) などがあるほか、アティーシャ(アティシャ)が伝えたとされるロジョン(blo sbyong, 和訳:心の訓練法)の教えが重視され、全宗派で修習されています


◆信仰形態


チベット仏教の僧侶(ルムテク僧院・シッキム)
Source:Wikimedia Commons

 現在、大きく分けて4宗派が存在しますが、いずれも顕教と密教の併修を柱とする点では共通し、宗派間の影響を及ぼしあって発展してきたこともあり、各宗派の信仰形態に極端な差異は無くなっています。

 恐ろしい形相を表す忿怒尊(ヘールカ)や、男女の抱擁する姿を表すヤブユムが特徴的であり、これらがことさらクローズアップされがちですが、他にも阿弥陀如来や十一面観音、文殊菩薩といった、大乗仏教圏では一般的な如来、菩薩も盛んに信仰されています。

 禅を中心に独自の発展を遂げた中国の仏教では廃れてしまった仏が、日本(特に奈良・平安系仏教)とチベットでは共通して信仰され続けているケースも多いと言えます。

 一方、最高位の仏としてチベットでは釈迦如来や大日如来よりも、後期密教の特徴である本初仏を主尊とする点が独特です。ターラー仏母やパルデン・ラモ(忿怒形吉祥天)といった女神が盛んに信仰されることも特徴的です。

 文化面では、タンカと呼ばれる仏画の掛軸や砂曼荼羅、楽器を用いた読経などが有名です。民間の信仰形態として特徴的なものは、マニ車、タルチョー(経旗)、鳥葬などが挙げられます。また、観音菩薩の真言である六字真言が盛んに唱えられています。

◆諸国への伝播


タクツァン僧院(ブータン)
Source:Wikimedia Commons


ラダック僧院(インド)
Source:Wikimedia Commons


タンボチェのゴンパ(僧院)(ネパール)
Source:Wikimedia Commons


ガンダン寺 (モンゴル)
Source:Wikimedia Commons

 チベット仏教はチベット本国だけでなく、チベットからの布教により仏教を受け入れた諸民族の間で広く信仰されています。

 チベット系民族では国連加盟国のブータンの他、インドのシッキム州、ラダック地方、アルナーチャル・プラデーシュ州のメンパ族、ネパール北部ヒマラヤ地帯のムスタン、ドルポやシェルパ族、タマン族など、またチベット系以外ではモンゴル国と中国領南モンゴル(内モンゴル自治区)のモンゴル人、ロシア連邦内のブリヤート人(モンゴル系)やカルムイク人(同)、トゥバ人(モンゴルの影響が強いテュルク系)といったモンゴル文化圏でも支配的な宗教でした。

 他に満州族、ナシ族、羌族などが伝統的にチベット仏教を信仰してきました。満州族から出た清朝の影響で、北京や五台山、東北部(満州)など中国北方にもチベット仏教寺院があります。また、中国においては明朝の11代皇帝である正徳帝も即位直後からチベット仏教に傾倒し、「豹房」という邪淫の寺を作ってラマ僧らと秘技に明け暮れていたとの記録がある。

 モンゴルは伝統的にチベット仏教第二の中心地ですが、チベット仏教の直輸入的なものであって、地域的な特色はあっても「モンゴル仏教」として区別するほど独立的な要素は強くありません。チベットにおける宗派がそのままモンゴルにも存在し、近代化以前はモンゴルからチベットへの留学が盛んに行われていました。

 他方、ネパールでは北部のチベット系民族にチベット仏教が信仰され、さらに近年では中央部でもチベット仏教の進出が見られますが、元来中央部のネワール族などの間にはチベット仏教とは異なる独自の大乗仏教の系譜が伝えられています。

日本との関係

 中国仏教の系譜を汲む日本の仏教は、チベット仏教と直接の繋がりはないものの、同じく大乗仏教であり、特に中国などでは衰退した密教を保持するという点で共通しています。また、中国での受容を介さないインド直伝の大乗仏教であり、前述の通りサンスクリット原典に近いチベット大蔵経は、仏教学の上で貴重な資料となっています。

 このことが明治時代には能海寛ら仏教学者に注目され、日本人初のチベット探検者河口慧海に続いて、1900年代から大正時代にかけて多田等観、青木文教、寺本婉雅ら日本の僧侶、仏教学者がチベットへ赴き、チベット仏教を研究しました。


広仁寺2つづく