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新疆ウイグル自治区 概要1(中国)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月
独立系メディア E-wave Tokyo
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 次は中国新疆ウイグル自治区の概要です。

◆新疆ウイグル自治区 概要1
 


Source:Wikimedia Commons


アルタイ山脈(新疆ウイグル自治区)

 新疆ウイグル自治区(Shinjang Uyghur Aptonom Rayoni、新疆維吾爾自治区)は、中華人民共和国の西端にある自治区であります。1955年に設立され、首府はウルムチです。

 民族構成はウイグル族のほか、漢族、カザフ族、キルギス族、モンゴル族(本来はオイラト族である)などさまざまな民族が居住する多民族地域であり、自治州、自治県など、様々なレベルの民族自治区画が置かれています。中華民国時代には、1912年から新疆省という行政区分が置かれていました。

 本来中国には時差が設定されていないが、新疆では非公式に北京時間(UTC+8)より2時間遅れの新疆時間(UTC+6)が使われています。


ウルムチ市  Source:Wikimedia Commons


ウルムチ市  Source:Wikimedia Commons


トルファン高昌古城遺跡  トルファン市  Source:Wikimedia Commons


新装なった2015年に新装なったハミ駅  クルム市 Source:Wikimedia Commons


アパク・ホジャの墓(マザル) カシュガル市   Source:Wikimedia Commons


大バザール付近のモスク ホータン市   Source:Wikimedia Commons


杏花?上杏?里的肉  イリ・カザフ自治州    Source:Wikimedia Commons


歴史

清朝以前


 テュルク系民族が多いことから、伝統的にはペルシア語で「テュルク人(突厥)の土地」を意味するトルキスタンと呼ばれ、現在の国境を越えた幅広い地域の一角として、中央アジアの文化圏に属してきました。一方で、中国から西域と呼ばれたこの地域は中国との政治的・経済的な繋がりも古くから有しており、漢代と唐代には、中国の直接支配下に置かれた時期もありました。

 隋煬帝大業五年(609年)、楊広が自ら隋軍を指揮して吐谷渾を征服、今の新疆南東部を実効支配し始めました。中原王朝が西域の実効支配もその時期から始めました。

 唐太宗貞観十四年(640年)、唐軍が高昌を占領し、西州を設置しました。また可汗浮図城において庭州を設置しました。同じ年、高昌で安西都護府を設置し、後庫車へ遷し、安西大都護府へ転換します。

 唐代後期、ウイグル帝国の支配下に入り、9世紀、ウイグル帝国が瓦解したのちも、ウイグル人の残存勢力による支配が続いていました。

 13世紀、モンゴル帝国の勃興によりその支配下に組み込まれ、チャガタイとその子孫による支配が行われました。16世紀に至りヤルカンド汗国が地域を統一したが、17世紀末ジュンガルに征服されました。

清朝

 1755年にジュンガルにおける清朝の領域はほぼ確実なものとなりました。 1775年以降、清のジュンガル征服(清・ジュンガル戦争)にともなってその支配下に入るに至り、「ムスリムの土地」を意味するホイセ・ジェチェン(Hoise jecen、回疆)、「故土新帰」を意味するイチェ・ジェチェン(Ice jecen、新疆)などと清朝側から呼ばれました。19世紀には各地で反清反乱が相継ぎ、ヤクブ・ベクの乱によって清朝の支配は崩れましたが、左宗棠により再征服され、1884年に中国内地並の省制がひかれて新疆省となりました。

中華民国以降

 辛亥革命の後、清朝の版図を引き継いだ中華民国に属しながらも、漢民族の省主席によって半独立的な領域支配が行われました。これに対し1933年と1944年の二度にわたって土着のムスリム(イスラム教徒)によって民族国家東トルキスタン共和国の建国がはかられましたが、国共内戦で東トルキスタン共和国のセイプディン・エズィズィと新疆省のブルハン・シャヒディらが中国共産党に帰順したことでこの地域は中国人民解放軍が展開し、1955年に新疆ウイグル自治区が設置されました。

 大躍進政策とその影響による飢饉のため、中国全土で数千万人ともいわれる大規模な死者を出しました。自治区の経済及び住民生活も大打撃を受けました。1962年には、中国共産党による支配に絶望した国境地帯の住民7万人以上がソ連領内に逃亡しました。

 また、1966年には自治区内に文化大革命が波及。こと文革に関しては、少数民族を多く抱える同自治区の闘争は中国の他地域と比較してある程度は抑制されていたといいますが、それでも一部で行なわれたモスクの破壊や紅衛兵同士の武装闘争により、混乱に拍車がかかりました。

1980年代以降

 文化大革命が終結し、言論統制の緩和がなされた1980年代から1990年代には、ウイグル族住民の中で、グルジャ事件など新疆ウイグル自治区における民族自治の拡大を求める動きが見られました。また、国外の汎トルコ主義者が独立を主張する動きも見られました。

中華民国(台湾)の主張

 中華民国は、ウイグル自治区を新疆省と呼称しており、自国領土だと主張しています。 新疆という呼称は清朝時代に付けられたとしています。

地理

 新疆ウイグル自治区の面積165万km2は中国の省・自治区の中で最大であり、中国全土の約1/6を占めます(日本の約4.5倍)。ただし、面積の約4分の1は砂漠が占めており、これは中国の砂漠総面積の約3分の2に相当します。総人口は約1,900万人で、その3分の2は漢族以外の少数民族です。省都は烏魯木斉(ウルムチ)です。

 新疆ウイグル自治区は中国の最西部に位置しており、東部から南部にかけて、それぞれ甘粛省、青海省、西蔵自治区と省界を接しています。また、インド、パキスタン、アフガニスタン、タジキスタン、キルギス、カザフスタン、ロシア連邦、モンゴル国の8カ国と国境を接し、国境線の総延長は約5,700kmに達します。国境を接する国の数は、中国の行政区分で最大です。ユーラシア大陸の到達不能極に位置しています。

 西部のカラコルム山脈は急峻な山々が峰を連ね、パキスタン国境にあるK2は海抜 8,611 メートルに達するエベレストに次ぐ世界最高峰です。

 1931年8月11日、新疆ウイグル自治区北部でM8の地震が発生。地震研究のための貴重な資料として、当時の地震断層や地形の変化がそのままの状態で残されています。2007年4月19日、断層の保護作業が終了しました。

 
新疆ウイグル自治区概要2へつづく