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Now on the Silk Road

(書)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月
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凡例:暦=歴史、文=文化、文財=文化財


  この部分は参考情報です。必要に応じてごらんください!

◆唐 書(中国)

Wikipedia 出典:
https://ja.wikipedia.org/wiki/唐

 唐代の美術品については現存するものが少ないと言えます。

 書は王羲之を尊崇する太宗とその周囲に集まった人物たちによって隆盛を迎えます。書に於ける唐初三大家と呼ばれる存在が欧陽詢(おう ようじゅん)、虞 世南(ぐ せいなん)、褚 遂良(ちょ すいりょう)であります。

 これら初唐の書は王羲之以来の均整を重んじるものですが、これに対して張旭は狂草と呼ばれる奔放な書体を創り、さらに張旭に師事した顔真卿は自らの意思を前面に押し立てた書体を打ち立てました。上述の呉道玄と同じく蘇軾曰く「書は顔魯公に至りて終われり。」とあります。

Wikimedia Commons 出典:
https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Calligraphy_of_the_Tang_Dynasty?uselang=ja


九成宮の石碑の拓本。欧陽詢が書いた文字。原作:西暦632年の唐時代に彫られたもの。拓本:明王朝の時代。唐の皇帝太宗は、彼の夏の宮殿を訪れたときに、すばらしい春の季節を感じていました。彼は、政治家である魏徴に別荘の春についての随筆を書くように命じ、欧陽詢に筆記を依頼しました。それが有名な書道家-特に標準的な筆跡(墨跡)=楷書について、欧は、後続の世代の書道に大きな影響を与えました。



大雁塔の神聖な宗教の序文として書かれた褚遂良の書の拓本。オリジナルは、唐王朝の拓本で、明王朝時代につくられた。この序文は、太宗皇帝によって書かれたもので、それは、玄奘三蔵大師によって翻訳されたインド仏教の経典のため太宗皇帝の皇太子李治によるエッセイも一緒に書かれていました。書は当時の政治家であり書家であった褚遂良によるものです。この序文は、紀元653年に彫られたもので、西安の大雁塔に納められました。
Source:Wikimedia Commons



唐王朝時代、顔真卿(がん しんけい)による行書で書かれた「祭姪文稿(さいてつぶんこう)」小全幅(作品全体)。
Source:Wikimedia Commons

 注)祭姪文稿(さいてつぶんこう)
 とは唐の政治家・書家顔真卿が記した書。『争座位文稿』、『祭伯文稿』とともに「顔真卿の三稿」
 といわれた1つ。758年(乾元元年9月3日)、現在の山西省永済市にある普救寺で記された。 安史
 の乱で非業の死を遂げた顔杲卿、顔季明(顔杲卿の子、顔泉明の弟)ら一族、中でも「姪」(1世代
 下の宗族)である顔季明を追悼するため記された弔文の原稿であり、塗りつぶされた34文字を含め
 259文字からなる。 「稿」の字が示すとおり弔文の原稿であり、塗りつぶしや修正などの跡が見られ
 るが、国家に忠義を尽くした顔真卿が一族を哀悼する気持ちをも露わに記した書は中華史上屈指の
 名書とされ、歴代の皇帝が至宝として蔵した。現在は台北の国立故宮博物院に所蔵されている。



唐玄宗所书《鹡鸰颂》。此图像的真品目前为台北故宫的馆藏。
Source:Wikimedia Commons

 唐王朝第9代皇帝、玄宗の本「鶺鴒頌」(せきれいしょう)。 この画像の本物は現在、台北の国立故宮博物院の収蔵品のひとつです。

 注)唐 玄宗 「鶺鴒頌」卷について (国立故宮博物院Webサイトより)
  開元9年(721)の秋、千羽もの鶺鴒(セキレイ)が宮殿の屋根に群れ集い、飛び立つ時は短く鋭い
  鳴き声を発し、動き回る時は尾羽を規則的に揺らしていたという。鳥たちが「飛鳴行揺」(飛び立つ
  時に鳴き、動く時に尾を揺らす)しながら、互いに気を配っている様子を見た玄宗は、兄弟が楽しく
  集う様子を連想した。そこで、人を召して文を書かせ、自らこの巻を書した。現代まで伝えられた玄
  宗唯一の書蹟である。

 力強い運筆からは、一筆ごとの起筆や転折、停按、収筆などがはっきりと見られる。字形は王羲之の「蘭亭序」に似ているが、筆画は太く壮健である。唐太宗が王羲之の書法を唱導後、それが皇室の書風に与えた影響が見て取れる。ふくよかな美が好まれた盛唐時代の風潮も反映されている。



唐王朝時代の李太白上陽臺(唐王朝時代に李白バルコニーにて)
Source:Wikimedia Commons

 注)李太白=李白(りはく)[701~762] (コトバンクより)
 中国、盛唐期の詩人。中国最大の詩人の一人。西域で生まれ、綿州(四川省)で成長。字(あざな)
 は太白(たいはく)。号、青蓮居士。玄宗朝に一時仕えた以外、放浪の一生を送った。好んで酒・月・
 山を詠み、道教的幻想に富む作品を残した。詩聖杜甫に対して詩仙とも称される。「両人対酌して
 山花開く、一杯一杯又一杯」「白髪三千丈、愁いに縁(よ)りて個(かく)の似(ごと)く長し」など、人口に
 膾炙(かいしゃ)した句が多い。



歐陽詢(おう ようじゅん:557-641年)は、「般若波羅蜜多心経」を写経しました。落款からこの作品は貞観(じょうがん)九年に書かれたもので、この版の心経は玄奘僧正が貞観23年に写経したものでした。そのため、この作品は、後世の人々にとって歐陽詢の写経の文字コレクションとなるべき作品です。
Source:Wikimedia Commons



張旭(ちょう きょく)の楷書「尚書省郎官石記」拓本の最初の頁。
Source:Wikimedia Commons

 注)張旭(ちょうきょく:生没年不詳)
 中国唐代中期の書家。字は伯高。呉郡呉県(現在の江蘇省蘇州市)の出身。官は左率府(さそつふ、
 警備にあたる官庁)の長史(総務部長)になったことから張長史とも呼ばれた。

 草書を極めるとともに、従来規範とされて来た王羲之と王献之、いわゆる「二王」の書風に真正面から異を唱え、書道界に改革の旋風を巻き起こすきっかけとなった。

 詳しい経歴は不詳であるが、常熟県(現在の江蘇省蘇州市常熟市)で官位を得たあと長安に上京、官吏として勤めながら顔真卿・杜甫・賀知章らと交わり書家として活動していた。

 大酒豪として知られ、杜甫の詩「飲中八仙歌」の中でいわゆる「飲中八仙」の一人に挙げられているほどである。

 注)「尚書省郎官石記」(尚書省の郎官石記/郎官石柱記)
 開元29年(741年)、張旭の書・陳九言の撰文による。郎官に任ぜられた者の名を六角の石柱に刻したの
 でこの名がある。原石は北宋時代に存在していたようであるが、その後なくなり、原石拓は宋代のものが
 ただ一本伝わるのみである。一時、明の王世懋がそれを所蔵し、その模本が『戯鴻堂帖』に刻入された。
 張旭は狂草の祖といわれるが、この書は唯一の楷書として貴重な資料であり、かつ宋代以後の人々から
 高く評価されている。



敦煌の文献で、キリスト教関連の文書の一部で、現在は日本に収蔵されている。
Source:Wikimedia Commons

 注)景教経典(けいきょうけいてん)とは
 唐代に漢文で書かれた景教(キリスト教ネストリウス派)の文書を指す。単に景典とも呼ぶ。
 20世紀前半以降に発見された。中国語(漢文)に翻訳されたキリスト教文献として現存最古
 のものである。

 注)序聴迷詩所経
 杏雨書屋所蔵。170行が残る。羽田亨によれば敦煌文献であり、「支那の某氏」から高楠順次
 郎経由で羽田亨の手に入った。これも「一神論」と同じころの著作であり、奇怪な文章で書かれ
 ている。仏教や忠孝について説いているところから、翻訳ではなく、キリスト教の教義を唐の国情
 にかんがみて潤色を加えたものだろうという。

 十戒に相当する「天尊の十願」が記されているが、偶像崇拝の禁止、および安息日を守ることは記されていない。後半部分にはマリアの受胎からはじまってイエス・キリストの生涯を記す。題の意味はよくわからない。羽田亨は「序聴」は「イエス」の音写(「聴」はおそらく「聡」の誤字かという)、「迷詩所」は「迷詩訶」の誤りで「メシア」の音写と考えた。



日本語:王献之(おう けんし:書家)による唐時代の「新婦地黃湯帖」の複製
品。縦25.3cm、横24.0cm。現在は台東区立書道博物館収蔵。
Source:Wikimedia Commons

 注)地黄湯帖
  書体は行書。宋の高宗の書簽がある。その後、文徴明蔵となり、現在は中村不
  折書道博物館(東京都台東区)蔵。紙本墨書の搨模本。淳化閣帖にも収録されて
  いる。



この「苦い筍」は毛筆の墨汁で書かれた書のひとつで、唐王朝時代の草書の大家である懐素(かいそ)の手書きの書である。 多くの単語はなく、合計14語しかないため、熟練の筆使いや、美しい文字、蛇が舞うような線の美しさを鑑賞できるだけでなく、作者の書く時の内面を直接感じることもできる。(中国語の説明のGoogle翻訳)
Source:Wikimedia Commons

 注)苦筍帖 (懐素
  中国・唐代の書家で僧でもある懐素(かいそ:開元13年(725年)-貞元元年(785年))の書。
  『苦筍帖』(くじゅんじょう)は、全文14字の短い草書の尺牘(手紙)であり、懐素の真跡とされ
  る。「非常によい苦筍とお茶があるので、すぐにでも来られたし。」との内容から、率意の書と
  思われるが、行の芯を通し、構成も巧みである。書写年不詳。24.8×12cmの絹本。上海博物
  館蔵。

 率意(そつい、卒意とも)とは、手紙や草稿など書作品としての制作意図を持たずに、自己の欲するまま自由に特色を発揮して書くことをいう。作意に対する語


唐・仏画へつづく