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Now on the Silk Road

大唐西市博物館 視察44

薬草・中国医学

(Xi'an 中国)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月 更新:2020年4月1日
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 本稿の解説文は、現地調査や現地入手資料、パンフなどに基づく解説に加え、百度百科中国版から日本への翻訳、Wikipedia 日本語版を使用しています。また写真は現地撮影以外に百度百科、Wikimedlia Commons、トリップアドバイザーさらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビュー、百度地図などを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名を記しています

大唐西市博物館視察44



 薬草・中国医学

唐・西市と薬草・中国医学の発展と促進、古代の化学も促進・医療活動

撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


 以下は漢方薬、中国医学の基礎知識です。

漢方薬(かんぽうやく)

 漢方薬 は、漢方医学の理論に基づいて処方される医薬品の総称。古代中国大陸においては、複数の生薬を組み合わせることにより、ある薬理作用は強く倍増する一方で、ある薬理作用は減衰すること(指向性の強化)が発見されました。その優れた生薬の組み合わせに対し、「葛根湯」などと漢方薬(方剤)命名が行われ、後世に伝えられました。

 漢方医学の特徴は、伝統中国医学と同様に体全体を診るところにあり、「証」という概念を持っています。証は主に体質を表します。この点で西洋医学とは大きく異なります。漢方診療は「証に随って治療する(随証治療)」が原則であり、体全体の調子を整えることで結果的に病気を治していくとされています。

 このため、症状だけを見るのでなく体質を診断し、重んじる(ホーリズム)といえます。西洋医学が解剖学的見地に立脚し、臓器や組織に病気の原因を求めるのとは対照的です。

 同様に、漢方薬も「証」に基づき、患者一人ひとりの体質を見ながら調合されます。西洋医薬は体の状態が正常でも異常でも一定の作用を示しますが、漢方薬は病理状態で初めて作用を示します。

中国(東洋)医学

 以下のような点が中国医学の特徴として挙げられます。①全身を見て治療を行います。西洋近代医学とは異なり、複数ある症状をもって「証」という概念で治療方針を決めます。②人間の心身が持っている自然治癒力を高めることで治癒に導くことを特徴としています。そのために生薬などを用います。③診断も、四診によって行います。西洋近代医学のように機械や採血の検査結果を用いることはありません。よって、体を侵襲することなく、害が少ないとされています。

薬草(本草学)

 中国における薬用植物や生薬の書は、「本草書」と呼ばれますが、最古の本草書とされる『神農本草経』は、後漢時代(22年 - 250年)頃に著されたと考えられています。この書は、数百種類の薬を、上・中・下の3品に分類し、上薬(長期間用いてもよい薬)や下薬(毒性が強いため連用してはいけない薬)などに分けています。

 『神農本草経』は薬用に関する総論的なことがらについても12条記載していますが、その中でも、特筆に価することは、薬物の相互作用の重要性を指摘していることだといいます。

 明時代には李時珍(1518年 - 1593年)が『本草綱目』52巻を著し、先行する本草書の情報に自身の知見を加え、実に1871種類もの薬について草・穀・菜・果・木などの部分に分けて記述した大作であり、李時珍は中国の薬の歴史の代表人物とも見なされています。

新修本草
 
 中国の本草書。唐代に高宗(こうそう)が蘇敬(そけい)らに書かせた中国最古の勅撰(ちょくせん)本で、主流本草です。

 陶弘景(とうこうけい)の『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)集注』を増訂したもので、新附品は115種類に及び、これらのなかには阿魏(あぎ)、訶梨勒(かりろく)、胡椒、底野迦(ていやか)など西域(せいいき)からの輸入品が多く含まれ、当時西域との交流が盛んに行われていたことをうかがわせます。

 日本へも遣唐使が早い時期に持ち帰り、奈良、平安時代には典薬寮の医学生の教科書として用いられていました。宋(そう)代初期に『開宝本草』が出版され、『新修本草』の内容が受け継がれてからは、その価値が失われ忘れられてしまいました。

 江戸時代に古鈔本(こしょうほん)の残巻が発見され、また20世紀には、敦煌(とんこう)の石窟(せっくつ)から古鈔断簡が発見され、これらを基にして岡田為人が『新修本草』の復原を試み、1964年台湾で『重輯(じゅうしゅう)新修本草』と題して出版され、さらに1978年(昭和53)には日本で朱墨雑書の形式で再版されました。なお『新修本草』には彩色された「図経」がありましたが、逸して伝わっていません。

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)

 5,6世紀に中国から日本に中国医学が伝来したといわれています。

 漢方は、治療に対する人間のからだの反応を土台に体系化した医学といえます。古代中国に発するこの経験医学が日本に導入されたのは5~6世紀頃。日本の風土・気候や日本人の体質にあわせて独自の発展を遂げ、わが国の伝統医学となりました。

 17世紀頃、特に大きく発展して体系化され、現在へと継承されています。漢方という名称の由来は、日本へ伝来した西洋医学である「蘭方」と区別するためにつけられたものであり、もちろん、中国の伝統的な医学である「中医学」とも異なります。まさに漢方は、日本独自の医学なのです。

出典:ツムラ



撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900

<漢方薬の種類:左上から右に3つずつ連番>

 1.黄芪 :キバナオウギ(根を強壮剤・利尿剤に用いる.)
 2.紫石英:シセキエイ(アメジスト:、主成分はフッ化カルシウム)
 3.当帰 :トウキ(冷え性、月経不順、貧血など婦人病)
 4.白朮 :ビャクジュツ(オケラ:健胃、整腸、止汗、利尿など)
 5.川弓 :センキュウ(血行を促して、血液を活気付ける作用)
 6.朱砂 :シュシャ=シンシャ(重鎮安神薬のひとつで、安伸・定驚の効能)
 7.茯苓皮:ブクリョウヒ(利尿作用が高く、健脾(けんひ)、滋養、鎮静、血糖降下I
 8.当帰茯苓:トウキブクリョウ
 9.茯苓 :ブクリョウ:サルノコシカケ科のマツホド菌の菌核を乾燥し外皮を除いたもの
      (利尿作用、健脾(けんひ)、滋養、鎮静、血糖降下に効果) 



唐代:孫思邈(そんしばく)『千金方』影印本抜粋
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900

唐代:孫思邈(そんしばく)『千金方』影印本抜粋

 注)孫 思邈(そん しばく、541年? - 682年?)Wikipediaより
   中国唐代の医者、道士。生年は541年、581年とも。中国ないし世界史上有名
   な医学者、薬物学者、薬王とも称される。



唐代:孫思邈(そんしばく)『千金方』影印本抜粋
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900


唐代:孫思邈(そんしばく)『千金方』影印本抜粋
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900



 ①左端シャーレの中身:石英
 ②瓢箪型の容器   :绿釉葫芦瓶=緑釉葫芦瓶(緑釉薬の瓢箪型容器)
  注)葫芦はひょうたんのこと
 ③中央シャーレの中身:紫水晶(隋唐長安城遺跡保護中心所蔵)
 ④右側の瓢箪型容器 :黑釉葫芦瓶=黒釉葫芦瓶(黒釉薬瓢箪型容器)
 ⑤右端シャーレの中身:青蛤貝
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900



右側の瓢箪型容器 :黑釉葫芦瓶=黒釉葫芦瓶(黒釉薬瓢箪型容器)
右端シャーレの中身:青蛤貝
出典:青山貞一 Nikon Coolpix S9900



左から
 ①白瓷小盂=白磁の小さい鉢・碗・容器(口が広く蓋がないもの)
 ②白瓷小罐=白磁の小さい壺・缶罐(陶磁器製円筒型)
 ③不明記載無し
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900

 以下は上記の写真ンお角度を変えて撮影したものです。


白瓷小罐
出典:青山貞一 Nikon Coolpix S9900




錯金針灸銅人(銅製の鍼灸治療用の人体像:ツボを示したものと考えられる)
  漢代(紀元前206年~紀元220年)
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900



薬具(乳鉢、乳棒、薬匙:薬をすりつぶして調合するための道具)
  漢代(紀元前206年~紀元220年)
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900

 以下は上記の写真ンお角度を変えて撮影したものです。


銀薬盒(銀製の薬箱) 注)盒は箱、容器のこと
出典:青山貞一 Nikon Coolpix S9900



出典:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


視察45へつづく