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 シルクロードの今を征く
Now on the Silk Road

イラン・世界遺産1

チョガ・ザンビール (1979年)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月
独立系メディア E-wave Tokyo
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 次はイランの世界遺産1です。

◆イランの世界遺産1  チョガ・ザンビール (1979年)


出典:Wikipedia


チョガ・ザンビールの位置
出典:Wikimedia


チョガ・ザンビール (1979年)
CC 表示-継承 3.0, リンク
Source:Wikimedia Commons

概要

 チョガ・ザンビール(ペルシア語: چغازنبیل‎, ラテン文字転写: Tchoga Zanbil)とは、古代エラム人が現在のイラン・フーゼスターン州に作った複合遺跡です。メソポタミア地方以外では数少ないジッグラトが存在します。デズフールのおよそ25km西、スーサの45km南方に位置します。1979年に、ユネスコの世界遺産に登録されました。

 チョガ・ザンビールの位置(イラン内)チョガ・ザンビールチョガ・ザンビール
 チョガ・ザンビール所在地


 チョガ・ザンビールは、紀元前1250年ごろに、Untash-Napirishaの手によって、Inshushinak神への崇敬の意を込めて建設されました。もともとの名前は、「ウンターシュの街」を意味するDur Untashでした。しかしながら、この古代都市は、祭司を除いてはそれほど人が居住したとは考えられていません。チョガ・ザンビールは、三層の連結した壁で保護されており、壁によって、メインエリアは「街」と定義されます。

 三層のエリアに分けられるチョガ・ザンビールのうち最も内側の層は、主神に捧げるためのジッグラトが建設されました。


チョガ・ザンビール
ninara - Flickr: IMG_3471, CC 表示-継承 2.0, リンクによる
Source:Wikimedia Commons

 このエリアの建設は、Untash-Napirishaが貯蔵庫を併せ持った寺院とともに建設されました。その次の層は、主神に次ぐ地位に入ると考えられる神々のために11の寺院が建設されました。

 もともとの計画では、22の寺院が建設の予定だったと推測されていますが、建設途上でUntash-Napirishaが死亡したため中止され、その後は建設が行われることはありませんでした。最も外側の層は、王宮や葬祭を行うための場所、王室の5つの墓があります。

 Untash-Napirishaが死亡した後、チョガ・ザンビールの拡張は行われませんでしたが、街自体は紀元前640年にアッシリア王アッシュールバニパルが破壊するまで、放棄されることはありませんでした。チョガ・ザンビールに残る膨大な数の寺院に基づいた学者の推測によるとUntash-Napirishaは、(おそらくスーサに取って代わる)新しい宗教の拠点を作ろうとしていたのではないか、それは、高地エラムと低地エラムを一つに結びつけるような宗教の形態と考えています。

 1951年から1962年に実施された考古学調査によって、チョガ・ザンビール遺跡の全貌が明らかになり、ジッグラトが世界中のどこよりも保存のいい状態であると考えられるようになると1979年に、イランで初めて世界遺産に登録されることとなりました。 

チョガ・ザンビールの世界遺産への登録基準

 この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用)。

(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。

(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。



世界遺産2へつづく