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シルクロードの今を征く
Now on the Silk Road

パキスタン

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月2020年7月31日公表予定
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 次はパキスタン2です。

パキスタン2 (Pakistan)

外交政策

独立以来、アメリカ合衆国と中華人民共和国との協力・同盟関係を維持しながら、カシミール問題で激しく争うインドに対抗するのがパキスタンの外交政策の全体的傾向とされます。中央条約機構や東南アジア条約機構の存続期間等から読みとれます。

対日関係

 日本との関係は1958年の外交関係樹立以来おおむね良好であったが、1998年のパキスタンの核実験を機に関係は悪化した。当時の橋本内閣は遺憾の意を表明したうえ、対パキスタン無償資金協力・新規円借款を停止し、その他の援助も見合わせるなどの制裁を行いました。

 2002年にはムシャラフ大統領が来日した。2005年4月には小泉純一郎首相が日本の首相として5年ぶりにパキスタンを訪問し、核実験以来停止されていた有償資金援助が開始されました。

 また、貿易収支は日本側の大幅な黒字であり、日本からの投資はインドと比較するとかなり少ない。これは不安定な政治とインフレ経済が嫌われたものです。

対印関係

 独立の経緯以来、インドとの間では緊張関係が継続しています。北東部のカシミール地方の所属を巡って1948年に勃発した第一次印パ戦争以来3度の全面戦争(印パ戦争)を経験し、特に1971年の第三次印パ戦争における大敗によって独立運動に呼応したインド軍の侵攻を受けた東パキスタンをバングラデシュとして失うことになった。その後もインドとの間では常に緊張関係が続き、軍事境界線で南北に分断されたカシミールでは両国軍の間で死者を伴う散発的な衝突が日常化していました。

 1998年にはインドに対抗してカーン博士の指導のもと地下核実験やミサイル発射実験などを実施した。インドと共に核保有国の一つとなる。

 2001年12月、イスラム過激派によるインド国会議事堂襲撃テロが起きると、インド政府はパキスタン軍情報機関の関与を疑って対立が激化。当時のムシャラフ大統領は「インドへの核攻撃も検討した」と回想しています。

 一方でムシャラフ前政権は南アジア地域協力連合を通じた緊張緩和に努めており、2004年から和平協議がもたれている等、その成果は徐々に現れてきていました。2008年11月のインド西部ムンバイでの同時爆破テロによって和平協議は一時中断したが、2010年4月、両国首脳がブータンで会談し、外相会談を開催することで合意。

 公式の対話を再開、維持することを決めた。6月には外務次官級協議と内相会談、7月15日にはインドのクリシュナ外相とパキスタンのクレシ外相会談が、パキスタンのイスラマバードで行わました。そして2011年2月に対話再開で合意しています。2018年8月には上海協力機構の合同軍事演習に両国は参加し、インドとパキスタンにとって独立以来初の国連平和維持活動以外での軍事協力となりました。

対米関係

 パキスタンは独立以来、アメリカ合衆国の軍事支援を受け入れている。アメリカにとっては非同盟主義のインドと友好関係が深いソビエト連邦への対抗上、またイラン革命を起こしてアメリカと激しく対立するイランの封じ込め策として、パキスタンは重要な支援対象国家です。

 パキスタン側もこの点は承知しており、クーデターなどで政権交代が起こっても親米路線は堅持されている。しかしながら、近年のテロとの闘いにおいて、米国はパキスタンの一部(特に、部族地域)がタリバンなどの武装勢力の聖域になっていること、パキスタンがそうした武装勢力に対し十分な戦闘や対策を取っておらず、むしろパキスタンの一部(特に、軍統合情報局ISI)はいまだにタリバンなどを非公式に支援していると見られていることに不満を持ちました。一方でパキスタンは、米国がパキスタン国内での無人機攻撃など主権侵害を継続していることに不満を持ち、両国関係は冷却化した。現在、両国の不信感は根深いものがあります。

 1990年、東西冷戦の終結が唱えられる中、アメリカのジョージ・H・W・ブッシュ政権はパキスタンによる核開発疑惑を理由に軍事援助を停止したが、1996年にはビル・クリントン政権によって再開されています。

 2001年9月11日の米国同時多発テロ事件を受け、米国はパキスタンに対しアル・カーイダをかくまうターリバーンとの関係を断ち米国に協力することを迫りました。パキスタンにとってターリバーンはインドとの対抗上重要でしたが、ターリバーンを支援し続けることによる国際的孤立を恐れ、また、米国に協力することに伴う経済支援等の見返りを期待し、ムシャラフ大統領は米国への協力を決断しました。これに対し、パキスタン国内では反米デモが起こるなどムシャラフ政権は苦しい立場に立たされました。

対アフガン関係

 アフガニスタンに関しては、インドとの対抗上アフガニスタンに親パキスタン政権が存在することが望ましく、1979年に始まったソビエト連邦のアフガニスタン侵攻後、パキスタンは反政府武装勢力ムジャーヒディーンを支援した。ソ連軍撤退後の内戦では、パキスタン軍統合情報局は当初ヘクマティヤール派を支援。それがうまくいかなくなると厳格なイスラム原理主義のターリバーンを育て政権樹立まで強力に支援したといわれている。ターリバーン政権であるアフガニスタン・イスラム首長国と外交関係を持つ3カ国のうちの1つでした。

 しかし、ターリバーンがかくまうアルカーイダがアメリカ同時多発テロ事件を起こした事から始まった2001年のターリバーン政権への攻撃ではムシャラフ政権がアメリカと有志連合諸国支持を表明し、ジョージ・ウォーカー・ブッシュ政権からF-16戦闘機供与を含む巨額の軍事・経済援助を受けました。これに対し、イスラム原理主義者をはじめイスラム教徒に対するキリスト教国の攻撃に反感を持つ多くの国民から不満が増大し、パキスタン国内では多くの抗議行動が起こりました。また、アフガニスタンを追われたターリバーン勢力は連邦直轄部族地域に浸透し、パキスタン軍やアメリカ軍との戦闘が継続されている。

 2010年8月31日、パキスタン軍機がアフガニスタン国境付近(パキスタン北部カイバル・パクトゥンクワ州ペシャーワルなど)の部族地域を空爆し、イスラム過激派が少なくとも30人死亡。過激派の隠れ家や訓練施設、自爆テロに使用する予定の車両8台も破壊したと同国治安当局者が語った。

 2011年5月1日、首都イスラマバード郊外の住居でアルカーイダの指導者ウサーマ・ビン・ラーディンが米海軍特殊部隊SEALsに急襲されました。ビンラーディンは頭部を撃たれ死亡、遺体は米軍により確保されたとオバマ米大統領より発表されました。

対サウジ関係

 サウジアラビアはイスラム世界最大の友好国とされ、北イエメン内戦ではパキスタン軍が派遣され、イラン・イラク戦争の過程でサウジアラビアには2万人から7万人ともされるパキスタン軍が駐留することになった。1976年には世界最大級のモスクであるファイサル・モスクが寄贈されました。また、パキスタンの核開発計画の資金源だったともされ、クーデターで追われたナワーズ・シャリーフの亡命も受け入れました。

 2015年にサウジアラビアがイスラム協力機構の条約を根拠にイスラム圏34カ国と対テロ連合イスラム軍事同盟(英語版)を発足させた際は、初代最高司令官に前パキスタン陸軍参謀長のラヒール・シャリフ(英語版)を任命した。2019年2月にムハンマド・ビン・サルマーン皇太子がパキスタンを訪れた際は中国の専用機と同様に搭乗機がパキスタン空軍のJF-17にエスコートされており、グワーダルで製油所建設なども行っています。

対中関係

 中華人民共和国との関係も深く、上海協力機構の加盟国でもあります。中国とはインドへの対抗で利害が一致して印パ戦争で支援国だった他、米中の接近をもたらしたニクソン大統領の中国訪問を仲介したり、核技術やミサイル技術の供与、戦車と戦闘機と軍艦の共同開発など軍事協力を幅広く行い、パキスタン初の人工衛星バドルの打ち上げや原子力発電所、パキスタン初の地下鉄ラホール・メトロの建設も支援されました。

 このような両国の同盟関係を「全天候型戦略的パートナーシップ」関係(中国語:全天候战略合作伙伴关系)と呼ばれている。2011年5月にウサーマ・ビン・ラーディンがパキスタン国内で殺害されて以降米国との関係は悪化しており、中国との関係は近年さらに緊密なものとなっています。パキスタンの中国への急接近は南アジアでの中国の影響力拡大を懸念する米国への牽制との見方もある。2015年の中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典では派遣されたパキスタン軍が天安門広場を行進しました。

 また、ギルギット・バルティスタン州と中国の新疆ウイグル自治区との間はカラコルム・ハイウェイで結ばれており、トラック輸送による国境貿易が行われています。中国とパキスタンの間では自由貿易協定が締結されており、パキスタンは安い中国製品を多く輸入し、多数の中国企業が進出しています。逆にパキスタンの最大の輸出相手は中国です。両国は更に、カラコルム・ハイウェイからアラビア海に面して中国の軍事利用を懸念されてるグワーダル港までの約3000kmで道路・鉄道、発電所などを整備する「中パ経済回廊」(CPEC)計画を進めています。

 事業費4600億ドルは大半を中国が融資します。CPECは過激派の活動地域も含むため、2016年にパキスタン軍はラヒール・シャリフ陸軍参謀長が指揮するCPECプロジェクト警備専門の特別治安部隊(SSD)を創設しました。CPECは中国が進める現代のシルクロード「一帯一路」と、対インド包囲網「真珠の首飾り戦略」の一部でもあります。

 中国とのビジネスが拡大していることから、パキスタン国内では中国語ブームが起きています。イスラマバード市内の私立高校では中国語を必修科目に導入し、パスタン企業の間でも中国語研修を行う企業が増えています。

 パキスタン政府も中国との関係強化と中国企業にパキスタン人を雇用させるというの観点からこうした動きを後押しし、アースィフ・アリー・ザルダーリー大統領も出身地であるシンド州にある全ての小中学校で、2011年から2年以内に英語、ウルドゥー語、アラビア語、シンド語に次いで中国語も必修科目に義務づけると発表しました。

 しかし、教育現場の混乱や生徒への負担、中国語を教える教師の数が不足していることなどを理由にシンド州教育省は中国語を必修では無く、選択科目として緩やかに導入していくことで計画を修正しています。

対露関係

 ソ連のアフガニスタン侵攻で、パキスタンはアメリカ、中国、サウジアラビアとともにソ連と戦うムジャーヒディーンを支援ましした(サイクロン作戦)。ソビエト連邦はアフガン撤退の直後に崩壊。ロシア連邦となってからは同じ上海協力機構の加盟国にもなったこともあって関係が改善し、2016年にはパキスタン領内でロシア連邦軍と初の合同軍事演習を実施しました。

軍事


中国と共同開発のJF-17戦闘機
Peng Chen - Flickr: Pakistan airforce FC-1 Xiao Long, CC 表示-継承 2.0, リンクによる
Source:Wikimedia Commons

 陸軍、海軍、空軍のほか、沿岸警備隊、さらに国境警備、治安維持用の準軍事組織を有します。印パ戦争・カシミール紛争が繰り返されたことからインドと軍事的な対立関係にあります。

 パキスタンは核拡散防止条約(NPT)に加盟しておらず、1998年の核実験以後は核兵器を保有しています。


パキスタン3つづく