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パキスタン5

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月2020年7月31日公表予定
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 次はパキスタン5です。

パキスタン5 (Pakistan)

民族構成


民族構成(パキスタン)
Source:Wikimedia Cmmons

 パンジャーブ人56%(60%とも)、パシュトゥーン人16%(13%とも)、シンド人13%、バローチ人4%、カラシュ人など。


宗教

 イスラム教97%(国教)、ヒンドゥー教1.5%、キリスト教1.3%、ゾロアスター教0.2%など、ほかにアニミストも存在しています。

 ゾロアスター教の信者は10万人くらいで、地方によってはカースト制度なども残っています。

婚姻

 結婚時に妻は結婚前の姓をそのまま用いること(夫婦別姓)も、夫の姓に変えること(夫婦同姓)も可能。イスラム法では夫の姓に変えることを求めておらず、イスラム系住民は婚前の姓をそのまま用いることが多いと言えます。

言語

 ウルドゥー語(国語)、英語に加え、パンジャーブ語、シンド語、カシミール語、コワール語といったインド語群のほか、イラン語群のパシュトー語およびバローチー語、ドラヴィダ語族のブラーフーイー語、孤立した言語ブルシャスキー語などがある。

 現行の1973年憲法251条はパキスタンの国語をウルドゥー語としており、1988年までに英語に代えてウルドゥー語を公用語化することになっていましが、2004年現在も実現にいたっていません。同時にウルドゥー語が公用語化されるまでは英語を公用語とする旨規定しています。憲法を始めとする全ての法令や、公文書は英語で書かれています。政府の公式ウェブサイトは英語でだけ書かれています。全ての高等教育機関が英語を教授言語としています。

 ただ、ほとんどの初等中等教育はウルドゥー語で行われているため、英語を自由に操るパキスタン国民はあまり多くありません。母語を異にするもの同士が会話する時は、ウルドゥー語を用いることが多いのです。ウルドゥー語を母語にするパキスタン人は全人口の一割以下です。

 ウルドゥー語は北部諸語とはやや近いもののシンド語とは離れており、さらに南部でウルドゥー語を母語とするムハージル人(パキスタン独立時にインドから逃れてきた難民の子孫)とシンド語を母語とするシンド人との間に対立があるため、ウルドゥー語の公用語化には特に南部で反対が強いと言えます。

母語の割合

Source:Wikimedia Commons

文化


モヘンジョダロ
オリジナルのアップロード者は英語版Q52M.Imranさん - en.wikipedia からコモンズに移動されました。, CC 継承 1.0, リンクによる
Source:Wikimedia Commons


ブロンズ製のチャリオットと運転手(紀元前2000年)
ハラッパー遺跡
Miya.m - Miya.m's file, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
Source:Wikimedia Commons

 著名な遺跡として世界遺産になっているインダス文明のモヘンジョ・ダロ遺跡とクシャーナ朝時代に繁栄したタキシラの都市遺跡があります。ほかに標式遺跡となったハラッパー遺跡があります。

 古典音楽は北インドと同じヒンドゥースターニー音楽。イスラム神秘主義の宗教歌謡カッワーリーの大歌手ヌスラト・ファテー・アリー・ハーンは、パンジャーブ地方で生まれています。

食文化

 パキスタン国内にはアジア最初のビール醸造所として知られるマリー醸造所)(マリー・ブルワリー)があり、非ムスリム向けにマリービールが製造されています。フンザ地方においては、ワインがよく飲まれています。

世界遺産

 パキスタン国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が6件存在します。背かい遺産については、別途詳細を紹介します。

 文化遺産

 モヘンジョ・ダロの考古遺跡(1980年)
 タキシラ(1980年)
 タフテ・バヒーの仏教遺跡群とサハリ・バハロールの近隣都市遺跡群(1980年)
 タフテ・バヒー
 サハリ・バハロール
 ラホールの城塞とシャーラマール庭園(1981年、2000年から2012年まで危機遺産登録)
 タッターの文化財(1981年)
 ロータス・フォート(1997年)

 暫定遺産リス

 パキスタンは以下の物件を暫定遺産リストに登録しています。

 バードシャーヒー・モスク(1993年)
 ワズィール・ハーン・モスク(en:Wazir Khan Mosque、1993年)
 ジャハーンギール廟、アシフ・ハーン廟、アクバルのキャラバンサライ(en:Tomb of Jahangir、1993年)
 シェイフプーラのヒラン・ミナール(en:Hiran Minar、1993年)
 ムルターンのシャー・ルクネ・アーラム(en:Rukn-e-Alam、1993年)
 ダドゥのラニコート・フォート(en:Ranikot Fort、1993年)
 タッターにあるシャー・ジャハーンのモスク(1993年)
 チャウカンディーの墓(en:Chaukhandi tombs、1993年)
 メフルガルフの考古遺跡(en:Mehrgarh、2004年)
 レーマン・デリの考古遺跡(en:Rehman Dheri、2004年)
 ハラッパー考古遺跡(2004年)
 ラニガットの考古遺跡(2004年)
 Shahbazgarhi Rock Edicts(2004年)
 バルティット・フォート(en:Baltit Fort、2004年)
 ビビ・ジャウィンディ、バハ・ハリームの墓、ジャラールッディン・ブハーリー・モスク(2004年)
 ムルターンのシャー・ルクネ・アーラム(en:Rukn-e-Alam、2004年)
 Port of Banbhore(2004年)

司法・人権侵害

 パキスタンではイスラム教徒・非イスラム教徒を問わず、イスラームやムハンマド、コーランに対する批判は禁止されており、言論の自由はありません。違反した場合投獄や死刑に処されます。またイスラム教徒が他の宗教に改宗することも国法で禁止されており、違反した場合死刑となります。2008年6月にはコーランを焼却し、ムハンマドを批判したとしてイスラム教徒の男性に死刑が宣告されました。

 パキスタンは死刑存置国であり、2014年6月、スイス・ジュネーブで開催された国連人権理事会の会合において提出された「死刑制度のある国に死刑囚の権利保護を求める決議案」に日本、中国、インド、サウジアラビアなどとともに反対するなど死刑維持の姿勢を取っていますが、一方で2009年以降、国法上の死刑の執行自体は凍結していました。

 また、法律とは別に保守的な慣習が根強く存在しており、主に婚前交渉を行った女性を家族の名誉を汚したとして処刑する名誉の殺人は珍しくないとされています。2011年度は、900人を超える女性が「家族に恥をもたらした」などの理由で殺されています。「パキスタン人権委員会」の調査によると、2015年で987件の名誉の殺人が発生し、1000人以上が殺害されたといいます。

 2016年に名誉の殺人を厳罰化する新法が制定された後も、2016年10月から2017年6月までの間に少なくとも280件の名誉殺人が発生するなど、大勢の若い女性が、家族に恥をもたらしたという理由で親族に殺害されています。男性も対象となることはありますが、犠牲者は女性が圧倒的に多く、中には婚前交渉など無くとも、単に「男性を見た」という理由だけで発生する殺人もあります。

災害

 2005年10月8日、パキスタン北東部カシミール地方・インド国境付近を震源とするマグニチュード7.8の大地震(パキスタン地震)が発生し、死者9万人以上の大災害となりました。カシミール地方を中心に被害が相次いだほか、首都イスラマバードでも高層アパートが崩壊しました。

 2010年7月末、カイバル・パクトゥンクワ州で大規模な洪水が起こり、パンジャブ州、シンド州にも広がった。被災者1400万人、死者1200人以上の大災害になっており、少なくとも200万人が家庭を失っています。国連人道問題調整事務所(OCHA)は、被災地の一部では下痢などの疾病が広がっているとしています。欧米メディアが2010年8月16日、大規模な洪水により飲料水が汚染され、伝染病の流行の可能性が高まり、約350万人の子どもが感染の危機にさらされていると国連人道問題調整事務所(OCHA) の報道官の話として報道しました。

 北澤俊美防衛大臣は2010年8月20日夕方、国際緊急援助隊派遣法に基づく派遣命令を発出しました。8月23日以降陸上自衛隊第4師団を主力とした部隊が派遣され、復興活動を行いました。10月10日(現地時間)をもって活動終結しています。

 7月の洪水で、国土(79.6万平方キロ)の約2割が被害を受け、死者約2千人、家屋174万軒損壊(国家災害管理庁)た。12月時点でも一部地域が冠水しています。シンド州の約4200平方キロ(福井県に相当)が冠水19万人が国内避難民[55]と成っています。


パキスタン6つづく