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パキスタン・世界遺産5

タッターの文化財(1981年)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月
独立系メディア E-wave Tokyo
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 次はパキスタンの世界遺産5です。

◆タッターの文化財 


出典:Wikipedia


マクリーの丘
Mwaqas から en.wikipedia.org, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
Source:Wikimedia Commons

 タッター(ウルドゥー語: ٹھٹہ‎, シンド語:ٺٽو )は、パキスタン・シンド州にある人口22,000人の歴史的な都市です。

 アレキサンダー大王がインド・パキスタン遠征をした時、紀元前326年に通過しました。「タッターの文化財」として、1981年に、世界遺産に登録されました。

 14世紀以来、タッターは、低シンド地域の首府として機能し、1592年には、ムガル帝国の支配下に入りました。1739年に、ナーディル・シャーがイランよりインドへ侵攻するとタッターは陥落すると同時に放棄されるに至ったのです。

 ジャーマー・モスクを含むタッターの文化財は、1647年から1649年にかけて、シャー・ジャハーンの手によって建設され、釉薬が掛かったタイルを特色としています。また、1461年から1509年にかけてタッターを統治したジャーム・ニザームッディーンやムガル帝国の役人の墓もタッターにはあり、加えて、数千の墓を持つ広大な共同墓地がマクリーの丘(en:Makli Hill)の近くに見つかっています。

 タッターの中心地には、シャー・ジャハーンが建設したバードシャーヒー・モスクがあります。このモスクは101のドームによって構成され、拡声器などの道具なしでもこのモスクの随所でイマームの声が届くように設計されています。

 また、タッター近辺にはキーンジャルと呼ばれる美しい湖があり、カラチから多くの人々が週末にはこの湖を訪れます。

世界遺産への登録基準

 この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用)。

(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。


タッターの文化財 写真ギャッラリー


City of Graveyard Makli
Naveidniceman - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる



A King with His Queen Resting in peace for more than 3 centuries
Hasan Feroz Qureshi - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
Source:Wikimedia Commons



This is a photo of a monument in Pakistan identified as the
Shaharyar wiki - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
Source:Wikimedia Commons



GD faizy - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる
Source:Wikimedia Commons



Aliraza manjothi - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる
Source:Wikimedia Commons


世界遺産6Aつづく