エントランスへはここをクリック   中央アジア・シルクロード  【世界紀行

シルクロードの今を征く
Now on the Silk Road

パキスタン・世界遺産6A

ロータス・フォート(1997年)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月
独立系メディア E-wave Tokyo
 無断転載禁
総合メニュー(西アジア)

パキスタンの世界遺産     世界遺産1A  世界遺産1B  世界遺産1C 
世界遺産2A  世界遺産2B  世界遺産2C  世界遺産2D  世界遺産2E 
世界遺産3   世界遺産4A  世界遺産4B  世界遺産4C  世界遺産4D
世界遺産5   世界遺産6A
  世界遺産6B  世界遺産6C  世界遺産6D

 次はパキスタンの世界遺産6Aです。

◆ロータス・フォート


ロータス・フォートのカーブル門
Omar mukhtar - http://en.wikipedia.org/wiki/File:Rohtas_Fort_Magnificent_Kabuli_Gate.jpg, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
Source:Wikimedia Commons

 ロータス・フォートまたはロータス城塞(ウルドゥー語:قلعہ روہتاس)は、シェール・シャーによって建設された要塞です。

 周囲は約4キロメートルに達し、パシュトゥーン建築とヒンドゥー建築の両様式が絶妙に融合した最初期の事例です。ロータス・フォートは、ジェーラム市の北西16キロメートルに位置しています。

 海抜818メートル、面積は、12.63エーカー。この砦の北側にはカーハーン川が大きく蛇行する形で流れており、また西の方角には東部大岩塩層で最も標高が高くなるティッラー・ジョーギヤーン丘陵があります。

名前の由来

 シェール・シャーは、この城塞の名前をつけるにあたり、現在のインド・ビハール州にあるロータースガル・フォートの名前を採用しました。

 この地方は、シェールが、1539年に自らの王国の版図に加えた地域です。ロータースガルは、ソーン川の上流域、北緯20度37分・東経85度33分にあります。ロータースガルは、ソーラール朝のハリーシュ・チャンドラが息子「ローヒタースヴァ」にちなみ名付けた城塞です。

建設の目的

 シェールが、ロータス・フォートを建設した目的の1つに、カナウジの戦いでインドから追放されたムガル第2皇帝フマーユーンのインド復帰を阻止する目的がありました。ロータス・フォートは、現在のアフガニスタンとパンジャーブ平原を結ぶグランド・トランク・ロード上にあります。ロータス・フォートは、ペシャーワルからラホールへいたるルート防衛の要衝でもありました。

 第2の目的に、現在のパンジャーブ州に広がるポートーハール平原に居住していた諸部族を抑圧がありました。これら諸部族は、フマーユーンと同盟関係にあり、シェールと友好関係を築くことを拒否していました。ポートーハール平原に居住していたガーカル族は、現在のスルターンプルにいくつかの要塞を建設し、シェールに逆襲を展開ましした。これらの要塞は現在もその姿をとどめています。

概観


ロータス・フォートの概観。図の左側の部分がカーハーン川に面している。
要塞は、左側のインナー・フォートと右側のアウター・フォートに分けられる。
本地図はコンピュータが読み取れる情報は提供されていませんが、Omar mukhtar~commonswikiだと推定されます(著作権の主張に基づく) - コンピュータが読み取れる情報は提供されていませんが、投稿者自身による作品だと推定されます(著作権の主張に基づく), パブリック・ドメイン, リンクによる
Source:Wikimedia Commons

 ロータス・フォートは、守備隊を駐屯させるために建設された要塞であり、3万人の軍隊を駐留させることが可能でした。要塞の地政学上の要請から、厚い壁、罠が仕掛けられた城門、3本の井戸を備えています。ロータス・フォートは、一度も攻囲戦を経験していなかったのですが、これらの設備により、難攻不落の要塞となりました。

 要塞の建材の多くは、近隣の村から集められた切石で作られています。いくつかの部分では、レンガが使用されました。

 この城塞の形は不規則です。それは、等高線に従って、城塞が設計されたからです。城塞の周囲は約4キロメートルに達し、全長533メートルの壁が城内を2つに分割します。城塞には、68基の稜堡が不規則に設けられました。3本の井戸が掘られました。

建設にかかった費用

 ロータス・フォートの建設は、1541年に始まりました。この地に居住していたガーカル族は、城塞の建築に対して、協力姿勢を採ることはありませんでした。

 建設を指揮したトダール・マル(Todar Mal)はシェールに対して建設が難航している状況を報告しましたが、シェールは「建築に関して費用を削るつもりは無いので建設に邁進してほしい」と励ましました。

 とはいえ、ガーカル族のボイコットは、ロータス・フォートの建設に大きなコストとして跳ね返りました。

城壁

 ロータス・フォートをめぐる城壁の高さはおおよそ10メートルから18メートルの間に収まります。厚さはおおよそ10メートルから13メートルの間に収まり、厚さによって、2ないし3つのテラスが設けられました。厚さの面で最大なのは、モーリー門の13メートルです。テラスは、手摺つきの階段と連結しています。

 ロータス・フォートに設置された稜堡において、マスケット銃を装備することが可能になっており、戦士たちは、また、壁越しに溶融した鉛を注ぐことができました。


城壁、銃眼を備えた胸壁、テラス
コンピュータが読み取れる情報は提供されていませんが、Omar mukhtar~commonswikiだと推定されます(著作権の主張に基づく) - コンピュータが読み取れる情報は提供されていませんが、投稿者自身による作品だと推定されます(著作権の主張に基づく), CC 表示-継承 2.5, リンクによる
Source:Wikimedia Commons


城門

 ロータス・フォートは、12の城門を持っています。全ての城門が、切石積みで建設されていまあす。

ソヘール門


ソハール門の図


ソハール門
コンピュータが読み取れる情報は提供されていませんが、Omar mukhtar~commonswikiだと推定されます(著作権の主張に基づく) - コンピュータが読み取れる情報は提供されていませんが、投稿者自身による作品だと推定されます(著作権の主張に基づく), CC 表示-継承 2.5, リンクによる
Source: Wikimedia Commons

 ソハール門は、シェール・シャー時代に建設された、ロータス・フォートにおけるもっとも好例の石造建築の城門です。ソヘールの名前の由来は、門の南西に埋葬されている聖者ソヘール・ブハーリーにあります。

 長方形の形をしているソヘール門は、二十問の形式を採用しています。21.34メートルの高さ、幅20.73メートル、奥行き15メートルであり、中央のアーチ部は、4.72メートルの幅があります。ソヘール門には、内部・外部ともに質素ながらも美しいヒマワリをモチーフにした装飾が施されています。

 ソヘール門には、中央部のアーチ部の両側に、バルコニーが設けられています。それぞれのバルコニーには、小さなドーム建築が施されており、バルコニーの側面と底部にもまた、彫刻が施されています。他のロータス・フォートの建築物がアフガン・ペルシャン様式による建築がなされているのに対して、ソヘール門のバルコニーは、ヒンドゥー様式を採用しています。


ソヘール門のバルコニー
コンピュータが読み取れる情報は提供されていませんが、Omar mukhtar~commonswikiだと推定されます(著作権の主張に基づく) - コンピュータが読み取れる情報は提供されていませんが、投稿者自身による作品だと推定されます(著作権の主張に基づく), CC 表示-継承 2.5, リンクによる
Source:Wikimedia Commons

 ロータス・フォートのような形式を採用しているバルコニーは、ヘヴェーリー・マン・シンにも見ることができます。アーチ部の中央部には小窓がある。この小窓は、両側のバルコニーとは異なり、簡素なつくりです。

 ソヘール門は7つの欄干があります。また、銃眼も備えており、内部は3層構造です。

 ソヘール門の内部は、外部と正反対で装飾はあまり施されていません。加えて、銃眼やバルコニーも備え付けていません。ソヘール門の上層階は、城塞内部に向けての窓が設けられています。


世界遺産6Bつづく