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パキスタン・世界遺産6D

ロータス・フォート(1997年)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月
独立系メディア E-wave Tokyo
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ラーニー・マハル 6D


ラーニー・マハル(王妃の宮殿)
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Source:Wikimedia Commons

 ラーニー・マハル(王妃の宮殿)とは、ハヴェーリー・マン・シンのそばにある宮殿です。一層構造の建物であり、かつてはこの建物には4部屋があったとされていましたが、現存しているのは1部屋のみです。とはいえ、4部屋とも基礎部分は現存しています。

 ラーニー・マハルは、もともと、ロータス・フォートが建設された当時からある建築物ではなく、ハヴェーリー・マン・シンと同時期に建設されたヒンドゥー建築の好例です。

 現存しているラーニー・マハルの高さは約20フィート(6メートル)であり、建物の内壁、外壁ともに、美しい装飾が施されています。ラーニー・マハルのドーム屋根は、花のような形状があります。ラーニー・マハルの屋根の内部は、花、幾何学模様、偽窓が施されています。

装飾的特徴

石に刻まれた彫刻


 ロータス・フォートの門、あるいはモスクは石で築かれており、その大部分には、アラビア文字で書かれたカリグラフィー、ヒマワリをモチーフにした彫刻が刻まれています。

 そのうちの1つが前述のシャーヒー・モスクの内部であり、また、もう1つが宗教指導者の小部屋の内壁に刻まれています。その彫刻には、アラビア語でアッラーフと刻まれています。同様の彫刻は、シャーヒー・モスクの胸壁の上部にも見出すことができます。

 ヒマワリをモチーフにした彫刻はシャーヒー・モスクのそれぞれのアーチ部分の両側で見ることができます。


シャーヒー・モスク
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カリグラフィーによる描写

 これらの描写の多くがシャーヒー・モスクに施されています。モスクの外壁、アーチの両側には、6つのカリマ(en)と呼ばれるアラビア語の言葉がカリグラフィーで描写されています。ここではアラビア語の書法であるナスフ書体(Naskh)が利用されています。

輝くタイル装飾

 シーシー門では、タイル装飾を見ることができます。ムガル時代に、タイル装飾が洗練され、人気となっていました。したがって、ロータス・フォートによるタイルの使用は、インドにおける最初の使用例と考えられます。タイルはラホールで製造されたものです。

出し狭間

 出し狭間とは、部屋の内部から城壁の外に溶融した鉛やそれ以外の熱い液体を排出するための小さい排水路です。壁の内部に向けて建設されたこれらの設備の数はロータス・フォート内で100以上を数え、それぞれに、美しく幾何学模様による装飾が施されています。

建築様式

 ロータス・フォートは、アフガン・ペルシア建築様式によって建設されています。インド亜大陸には、アフガン人とペルシア人がこの城塞の建築の5世紀前には、到来していました。ロータス・フォートの建築以前では、アフガン建築とヒンドゥー建築が融和した形では存在したことはありませんでした。ロータス・フォートは、2つの建築様式が融合した最初の例です。

 ヒンドゥー建築の要素は、

 ソヘール門のバルコニー
 ヒンドゥー建築の様式で建築されたシャーヒー・モスク
 純粋なヒンドゥー建築であるHaveli Man Singh

の3つです。

アフガン建築の要素は、

 実利的な建築スタイル
 城壁にレンガに変わって、石を使用したこと
 住居空間が存在しないこと
 装飾が相対的に少ない

点です。

ロータス・フォートの使用

 シェール・シャーは、ロータス・フォートが完成する前に死亡し、彼の没後10年経過するとスール朝は滅亡しmsぢた。フマーユーンが15年の海外生活を終え、インドに戻り、ムガル帝国を再興しmsぢた。フマーユーンがインドに帰国するとロータスを塔していたタタール・ハーン・カースィーはロータス・フォートから逃亡しました。

 ロータス・フォートの軍事的性格のため、ムガル皇帝の間では、この城塞は不人気でした。アクバルのロータス・フォートの滞在は1日のみだけであり、ジャハーンギールは、カシミールへ移動する際に泊まりました。

 また、ジャハーンギールは、マハバット・ハーンによって、カーブルが危機に晒された時に、再度滞在しました。ジャハーン・ギールの妻ヌール・ジャハーンはラホールから軍隊を引き連れ、マハバット・ハーンに、ジャハーン・ギールを解放するように命令しました。

 ジャハーンギールは、ロータス・フォートに軍隊を進め、しばらくの間、ロータス・フォートは、王宮の役割を果たしました。その後、ジャハーンギールは、カシミールを経た後ラホールへ戻り、そこで死亡しています。

 ジャハーンギール以降のムガル皇帝の城塞の使用はほとんど皆無です。というのも、ムガル帝国とガーカル部族との間で同盟関係が締結されたため、ロータス・フォートに軍隊を駐留させる必要性がなくなったためです。

 パシュトゥーン系のドゥッラーニー部族連合は、ロータス・フォートの重要性を熟知しており、彼らは、ドゥッラーニー朝の首都カーブルとの連絡のために、この城塞を使用していました。

 ドゥッラーニー朝が滅亡したのち、シク王国が、この地方を支配しました。シク王国の藩王ランジート・シンがロータス・フォートに駐屯したのは、シク王国の将軍ハリ・シン・ナルワーがジャムルード(現在のパキスタンのトライバル・エリアの都市)でアクバル・ハーンを中心とするパシュトゥーン人の手によって殺害された報を聞いた時です。

世界遺産登録基準

 この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用)。

(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。

(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

保存状態

 現在、ロータス・フォートの大部分が、良い状態で保存されています。シャー・チャンドワーリー門の中央アーチ部分は、最近になって再建されたものであり、唯一、建築当時の姿で現存しているわけではありません。

 2005年、水の浸出と豪雨、そしてその状況を放置していたために、ターラーキー門の左正面が崩壊し、また、右正面の基礎部分と切り離された形となってしまいました。

 ガターリー門は、ロータス・フォートへ入る門役割を果たしてきましたが、時の経過により、門の右側の稜堡とそれを支える城壁が雨水の浸水により崩壊しています。

ヒマラヤ野生生物財団

 ロータス・フォートの保存は、2000年より、ヒマラヤ野生生物財団の協力を得ています。財団の協力により、ロータス・フォートは、国際的な保存基準を満たし、観光拠点となっています。ヒマラヤ野生生物財団の協力は、ノルウェー大使館の保証を受けています。現在では、以下の事業が行われています。

 シャー・チャンドワーリー門の完全な復旧
 Haveli Man Singhの保存
 ターラーキー門とガターリー門の保存
 ソヘール門上部に設けたシェール・シャー博物館の設立
 ロータス・フォート内に存在する村落の生活水準の向上


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