エントランスへはここをクリック   中央アジア・シルクロード  【世界紀行】
  シルクロードの今を征く
Now on the Silk Road  中国歴史・文化概説

中国人民共和国(歴史2) 

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月
独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁
本文に戻る場合は<西安>か<西域>を選んでください。
総合メニュー(西安)  総合メニュー(西域)

ソグド・歴1 ソグド・歴2 ソグド・文1 ソグド・文2 ソグド・文3 春秋・歴 春秋・文財 秦・歴
秦・文 秦・文財1 秦・文財2 漢・歴 漢・文  漢・文財 史記 司馬遷 三国志 匈奴・歴1
匈奴・歴2 匈奴・文  ウイグル・歴1 ウイグル・歴2  ウイグル・歴3 ウイグル・歴4 ウイグル・文
五胡十六国・歴11 五胡十六国・歴2 五胡十六国・歴3 五胡十六国・文4 南北朝・歴 南北朝・文
隋・歴  隋・遣隋使 唐・歴1  唐・歴2 唐・文 唐・陶磁器 唐・書 唐・仏画 唐・仏像 宋・歴
宋・文1 宋・文2  宋・文3 宋・文4 元・歴 元・文  明・歴 明・文 明・文財1 明・文財2
明・絵画
 明・西安城壁 明・南京城壁
 清・歴1 清・歴2 清・文 清・文財1 清・文財2
清・文財3 清・文財4 文財5 清・文財6
 中国・歴1 中国・歴2 中国・全体 中国・統計
中国・文1 中国・文2 中国・文明1 中国・文明2 中国への仏教伝来
凡例:暦=歴史、文=文化、文財=文化財

  この部分は参考情報です。必要に応じてごらんください!

◆中国人民共和国(歴史2)



毛沢東の時代

 毛 沢東(もう たくとう、マオ・ツォートン、1893年12月26日 - 1976年9月9日)は、中華人民共和国の政治家、軍事戦略家、思想家。字は詠芝、潤芝、潤之。筆名は子任です。

 中国共産党の創立党員の1人で、長征、日中戦争を経て党内の指導権を獲得し、1945年より中国共産党中央委員会主席および中央軍事委員会主席を務めました。

 日中戦争後の国共内戦では蒋介石率いる中華民国を台湾に追放し、中国大陸に中華人民共和国を建国した。以後、死去するまで同国の最高指導者の地位にありました。


1949年、天安門にて中華人民共和国の建国を宣言する毛沢東

 毛沢東時代の中華人民共和国は、社会主義化を推進しました。中華人民共和国の建国後、毛沢東は毛沢東思想に基づき、中国共産党を軸にした世界革命路線を推進しました。ソビエト連邦と中華民国間で締結された中ソ友好同盟条約(1945年8月)によって、ソ連が中華民国から租借していた旅順港・大連港・南満州鉄道について、1950年の中ソ友好同盟相互援助条約と同日締結した協定により中華人民共和国へ編入しまし。

 1952年には朝鮮戦争に介入し、韓国軍と、アメリカ軍を主体とする国連軍を阻止しました。1954年9月の第1期全国人民代表大会において、「中華人民共和国憲法」(略称:54年憲法)を採択し、それまでの人民民主統一戦線体制の「共同綱領」ではなく一党独裁制へ移行しました。

 毛966年より経済の立て直しを巡る対立からプロレタリア文化大革命(文革)を発動し、官僚化した中国共産党を打倒しようと呼びかけた毛沢東の訴えに紅衛兵が呼応したため、「造反有理」、「革命無罪」の呼号の下、国内は内乱状態となりました。


毛沢東の肖像画が掲げられた天安門における中国人民武装警察部隊員
Source:Wikimedia Commons

 外交では1971年の第26回国際連合総会にて採択されたアルバニア決議の結果、それまで国際連合常任理事国だった中華民国に代わって国連安全保障理事会常任理事国となりました。また、ソ連との関係では中ソ対立が継続していたため、1972年2月21日のリチャード・ニクソン大統領訪中を契機にソビエトと対立するアメリカ合衆国との関係が緩和され、同年9月29日には日本の田中角栄首相と日中国交正常化を果たし、ソ連の影響から離れて資本主義諸国との関係を改善した。以後、西側諸国から経済支援を受け、国際社会に強い影響力を持つことに成功しました。

 1974年には南シナ海で当時の南ベトナム支配下の西沙諸島を占領した(西沙諸島の戦い)。文化大革命は1976年の毛沢東の死と共に終結しました。その後、「二つのすべて」を掲げた華国鋒が毛沢東の後を継ぎましたが、1978年12月の第11期3中全会で鄧小平が実権を掌握しました。

◆鄧小平の時代

 鄧 小平(とう しょうへい、1904年8月22日 - 1997年2月19日)は、中華人民共和国の政治家。中華人民共和国を建国した毛沢東の死後、事実上の中華人民共和国の最高指導者となります。改革開放や一人っ子政策などで毛沢東時代の政策を転換して現代中国の路線を築きました。

 1978年より始まる鄧小平時代以降の中華人民共和国は、鄧小平理論に基づいて政治体制は中国共産党による一党体制を堅持しつつも、市場経済導入などの改革開放政策を取り、中華人民共和国の近代化を進めました。

 1980年代以来の経済の改革開放の進展により、「世界の工場」と呼ばれるほど経済が急成長しました。一方、急激な経済成長とともに貧富差の拡大や環境破壊が問題となっています。


◆江沢民の時代

 江 沢民(こう たくみん、簡体字: 江 泽民、拼音: Jiāng Zémín、1926年8月17日 - )は、中国の政治家です。鄧小平引退後の中国の最高指導者で、中国共産党中央委員会総書記、中国共産党中央軍事委員会主席、国家主席、国家中央軍事委員会主席を務めました。

 天安門事件から江沢民が台頭しました。1992年、それまで「従業員と企業が保険料を社会統括基金に全額上納していた」年金制度を改め、上納先に個人口座が加えられました。

 1998年に投資信託制度が開始されました。2001年に国内の資産運用会社は社会保障基金の運用管理業務を認められました。2002年、中国は適格海外機関投資家に対して上海・深圳市場でのA株売買を認めた。2005年、資産運用会社は企業年金の運用管理業を認められました。2006年、適格海外機関投資家の国内証券市場投資がルール化されました。


胡錦濤の時代  「2008年北京オリンピック」および「上海万博」

 胡 錦濤(胡锦涛、拼音: Hú Jǐntāo、1942年12月21日 - )は江沢民引退後の中国の最高指導者で第4代[2]中国共産党中央委員会総書記、第5代中国共産党中央軍事委員会主席、第6代国家主席、第3代国家中央軍事委員会主席を務めました。


 人口の高齢化は企業の抱える年金債務を増やしたので、官民挙げて一人っ子政策を緩和し保険料収入の増加に努めています。


2008年、BRICsの首脳4人。左から、マンモハン・シン、ドミートリー・メドヴェージェフ、
胡錦濤、ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ
Source:Wikimedia Commons


◆習近平の時代 「アジアインフラ投資銀行」、「一帶一路」

 習近平(しゅう きんぺい、シー・チンピン、簡体字: 习近平、拼音: Xí Jìnpíng(シー・ジンピン)、漢族、1953年6月15日 - )は、中国の政治家です。中国の第5代最高指導者、第18期・第19期中国共産党中央委員会総書記、党中央軍事委員会主席。第7代国家主席、第4代国家中央軍事委員会主席です。

 第17期・18期・第19期中国共産党中央政治局常務委員会委員、中国共産党中央国家安全委員会(中国語版)主席を務める。中国共産党の第4世代の最高指導者であった胡錦濤元総書記の後任として、2012年より第5代中国共産党中央委員会総書記、第6代中国共産党中央軍事委員会主席、2013年より第7代中華人民共和国主席、第4代中華人民共和国中央軍事委員会主席を務め[3]、中華人民共和国の最高指導者の地位にある。党内序列は第1位です。


 2012年11月15日、習近平が中国共産党中央委員会総書記、中央軍事委員会主席に選ばれました。

アジアインフラ投資銀行(AIIB)


出典:Wikipedia

 習近平はアジアインフラ投資銀行(英: Asian Infrastructure Investment Bank, AIIB、中: 亚洲基础设施投资银行,亞洲基礎設施投資銀行)を設立しました。これは国際開発金融機関の一つです。

 中華人民共和国(中国)が2013年秋に提唱し、主導する形で発足しました。「合計の出資比率が50%以上となる10以上の国が国内手続きを終える」としていた設立協定が発効条件を満たし、2015年12月25日に発足し、2016年1月16日に開業式典を行いました。

 57か国を創設メンバーとして発足し、2017年3月23日に加盟国は70カ国・地域となってアジア開発銀行の67カ国・地域を超えています。2019年7月時点で100カ国・地域が加盟しています。一方で日本、アメリカ合衆国は2019年の現時点で参加を見送っています。 創設時の資本金は1000億ドルです。


一帯一路(The Belt and Road Initiative)


出典:Wikipedia


一帯一路国際協力サミットフォーラム
Source:Wikimedia Commons

 シルクロード経済ベルトと21世紀海洋シルクロード(中国語: 丝绸之路经济带和21世纪海上丝绸之路、拼音: Sīchóu zhī lù jīngjìdài hé èrshíyī shìjì hǎishàng sīchóu zhī lù、英語: The Silk Road Economic Belt and the 21st-century Maritime Silk Road)とは、2014年11月10日に中華人民共和国北京市で開催されたアジア太平洋経済協力首脳会議で、習近平総書記が提唱した経済圏構想です。

 通称は一帯一路(英語: The Belt and Road Initiative, BRI; One Belt, One Road Initiative, OBOR)と呼ばれています。

 中国西部から中央アジアを経由してヨーロッパにつながる「シルクロード経済ベルト」(「一帯」の意味)と、中国沿岸部から東南アジア、スリランカ、アラビア半島の沿岸部、アフリカ東岸を結ぶ「21世紀海上シルクロード」(「一路」の意味)の二つの地域で、インフラストラクチャー整備、貿易促進、資金の往来を促進する計画であり、インフラ投資計画としては史上最大規模とされ、中華人民共和国建国100周年に当たる2049年までの計画完成を掲げています。

 前者は習総書記が行った2013年9月7日のカザフスタンのナザルバエフ大学での演説、後者は同年10月3日のインドネシア国会での演説でアジアインフラ投資銀行(AIIB)とともに初めて提唱されました。


◆一国二制度


中国の国際金融中心香港
Source:Wikimedia Commons

 一国二制度(英: One Country, Two Systems、葡: Um país, dois sistemas)は、中華人民共和国の政治制度において、本土領域(中国政府が対香港・マカオ関係で自称する際は「内地」)から分離した領域を設置し、主権国家の枠組みの中において一定の自治や国際参加を可能とする構想、制度です。当初は、台湾(中華民国)との統一のために提案された構想でした。現在は、かつてイギリス植民地であった香港と、ポルトガル植民地であったマカオにおいて実施されています。

 ここでいう「制度」は本来、経済制度を指しています。しかし、マカオは返還前の一二・三事件から事実上本土との一体化が進んでおり、経済的には返還後の急成長の原動力となった中国本土からの観光客に依存しています。また、領域内の制度の差異を基準としても、香港とマカオの法・経済制度が異なるため、中国本土と合わせて3つの制度がある事になります。

国土の変遷

 以下は1942年と2015年の中国と日本の領土(版図)です。但し、2015年のカザフスタンが日本の色と似ていますが、領土はまったく違います。ご覧になれば分かるように、大日本帝国が<大東亜共栄圏>でアジア諸国に侵攻、侵略していた1942年の版図(水色)を見ると、末恐ろしいさが分かります。


中国の領土と統治の変遷
出典:東アジアの国々、統治の変遷


〔中華人民共和国成立以後〕 


中国の領土と統治の変遷
出典:東アジアの国々、統治の変遷

 以下は、中国の領土と統治の変遷を示す動画です。


中国の領土と統治の変遷
出典:東アジアの国々、統治の変遷


中国・全体概要つづく